Fa49012世界 ソレイユランド 【決行】
手紙の受け渡しが行われたその夜。
「クロイツ様。すいませんが、今晩は少しお出かけさせてもらいますね。」
「ん、珍しい。いつ頃戻ってくる?ついていこうか?」
「いえ、少し野暮用で。大丈夫です、朝までには戻ります。」
出来すぎとさえ思えるタイミングで、リリーの方から一晩の別行動を持ち掛けてきた。
どういった経緯で呼び出すに至ったのかはわからない。
わからないけれど、先生が手をまわしてくれたのは間違いないだろう。
「さっきのリリー、なんだかいつもと雰囲気が違いました。心配ですね。」
「だーいじょーぶ。リリーは自ら進んで危ないことに首を突っ込むような人間じゃないよ。
それにリリー自身に何かあることが、命の恩人である俺への最大の裏切りになることを彼女は知っているはずさ。」
「ふふ、すごい信頼関係ですね。」
「だろ?うらやましがっていいぜ。」
くつくつと笑うクロイツ。
この男、多少鼻につく物言いこそあれど根が悪い人物でないことを、私はもう分かっている。
それでも私は、この男を殺さなければならないのだ。
「ホントはリリーと三人で、と思ってたんですけど、飲みます?」
「おお、エールか。いいな。
リリーには少し悪いけれど、少し飲もうか。」
クロイツはこれから私に殺されるなどとは夢にも思っていないだろう。
何のためらいもなく、グラスに注いだエールに口を付けた。
もちろんそこに睡眠薬が紛れ込んでいることなど一切知らずに。
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「も、もしもーし。起きてますかー。
……起きてませんよねー?」
草木も眠るという表現がなされる深夜。
我ながら阿呆みたいな確認の仕方だとは思うが、声をかけ肩を揺さぶる。
転生者クロイツは宿の一室、私の目の前で無防備に眠っていた。
「すぅー……ふぅー……。」
深呼吸。
……今から、この男を。
二十日以上にわたって行動を共にした男を、殺す。
躊躇はある。
この男を殺すことへの抵抗など、この世界に来た当初と違っていくらでもある。
それでも覚悟を決めろ。
甘い感情移入はよせ。
今ここで、私が、この男を、
殺 す 。
勢い良く振りかぶった私のナイフ。
ナイフは吸い込まれるようにクロイツの心臓部へ――
パリン。
何かが砕けた音。
見えない力に阻まれ、身体を貫くことなく折れたナイフ。
ふと、脳裏をよぎる、いつかの露天商の言葉。
―― 一度だけ、所有者の身代わりとなるペンダント ――
「夜、襲……!」
身の危険によって目を覚ましたクロイツ。
布団から転がるように飛び出すが、なにぶん寝起き、薬も回っているからか動きが鈍い。
私は万が一のために用意していた予備のナイフを取り出し、追撃する。
実力に天と地ほどの差がある以上、ここで仕留めきれなければ次は無い!
「ぐ、があああああああ!!」
悲鳴。
クロイツのもの。
手ごたえはあった。
しかし、ずらされた。
私の一撃は横腹を割いただけ。死には直結しない。
言葉さえまともに発することのできない、想像を絶する痛みの中であろう。
しかし暗闇の中、こちらを睨み付けるその目には、未だ怒気を含んだ生気が満ちていた。
クロイツの周囲に魔力が渦巻くのが分かる。
失敗だ。
情けないだとか、先生ごめんなさいだとか。
そんな言葉も浮かんでは来るけれど。
何よりも強く浮かんでくる言葉が「死にたくない」なのは。
目の前の人物を殺そうとした自分を、完全に棚に上げた考えで。
我ながら、最悪だなと思った。
それでも抗えずに諦めから目を閉じると。
私の耳に、鈍い破壊音が響いた。
……?
破壊音?
なんで?
「あ゛?」
クロイツのものと思われる、くぐもった声。
恐る恐る目を開くと、視界に入るのは蹴り破られた部屋の壁と、その残骸。
そして男が拳を握り、クロイツの傷口を全力で打ち抜く姿が映った。
「美味しいとこ、もらっちゃったね。」
轟音とともに吹き飛ぶクロイツ。
あまりの痛みに気を失ったか、はたまた既にこと切れたのか、完全に沈黙する。
そんなクロイツをよそに、声の主はポツリと呟く。
――暗闇でだってわかる。
私は、この優しい声が、誰のものなのか知っている。
「先、生。」
「うん。先生だよ。」
先生は笑う。
「どうして、先生がここに?
なんで倒せるの?
私が、ピンチだって、わかったの?」
「うん、うん。落ち着いてから、ゆっくり話そうね。
……まあ、強いて言うなら、この宿の壁が薄かったおかげかな。」
おどけてみせる先生。
それが私を不安にさせまいという気遣いだということくらい、ちゃんと分かる。
いつの間にか床にへたり込んでしまっていた私を、背中に負ぶってくれる。
温かい。
それが先生の体温によるものなのか、浴びた返り血によるものなのかはよくわからないけれど。
「とりあえず、早く場所を移ろうか。」
先生は私を負ぶったまま、部屋の窓から飛び降りる。
背負われながら流れていく町の景色はとても幻想的で。
まるで自分が闇夜に溶けていくようで。
緊張の糸が切れたかのように、私はそのまま意識を失っていった。