Fa49012世界 ソレイユランド 【研修】
目を開ける。
右手、左手。右足、左足。
身体が思うように動くことを確認して、顔を上げる。
眼前には男の子。
黒髪で、木にもたれて座っているけれど、背はそんなに高くなさそう。
少なくとも外見年齢は、きっと私と同じくらい。
だけど、この人が見た通りのただの少年でないことは、ちゃんと分かっている。
「あの、すいません、起きておられますか……?」
この人は私の先生。
私は恐る恐る近づいて顔を覗くも、先生は生気がないどころか息もしていない。
これは、ただの器。
きっと先生の意識は、まだこちらの世界に到着していないということなのだろう。
「んー、あー、あー、ごほん。」
先生から3歩ほど離れた位置で姿勢を整え、喉を整える。
願わくは、先生からの第一印象が良いものであることを。
――願わくは、これからの私のエージェント生活が、より良いものであることを。
◇
見渡す限りの草原、木陰。そして直立不動の女性。
それが、僕が目を開いたときに入ってきた情報。
「お初にお目にかかります!本日よりお世話になります、エージェントIh014です!よろしくお願い致します!!」
一言でいえば元気。
髪色は僕と同じく黒。
女性にしては少し短い程度。
顔立ちは整っている。
身長は僕よりも僅かに低い。160㎝くらいだろう。
見た目の歳は15歳前後といったところか。
美人で結構。
外見が美形であれば、それだけで取ることのできる作戦は広がる。
「ああ、こちらこそよろしく。僕はエージェントAa004。
ここではフォーと名乗るから、覚えておいてね。キミのことは、何て呼んだらいい?」
「はい!私のことは、アイとお呼びください!」
「了解。ところで、そんなに緊張しなくていいよ。
というか、いくらなんでも緊張しすぎじゃない?」
目の前の女性、アイからは一挙一動に緊張が見られる。
声は若干震え、先ほどから瞬き一つしていない。
初の任務で緊張するのは理解できるけれど、流石にこれは。
「いえ!偉大なフォー先生の直弟子になるとあれば、緊張するなという方が無理です!お許しください!」
なるほど、偉大なフォー先生、と来たか……。
「意識の海で、具体的にはどんなことを聞いてきた?」
「はい!それはもう、先生についての数々の武勇伝を!」
そこから僕の武勇伝について話す彼女は目が輝いていた。
最初期メンバーのエージェントコード、「Aa」の名を冠し、一桁ナンバーで今もなお現役である唯一の存在。
数々の任務をこなし、一般人以下の性能の器をもって勇者を屠った男。
研修制度の導入後、各世界に通じる優秀な弟子を何人も輩出した大ベテラン。
「――そして最も多くの転生者を排除し、誰よりも世界秩序の均衡に貢献するお方で!!」
「いや、もういい、十分わかったよ。ありがとう。」
初対面でもわかる最高の笑顔で生き生きと語られると、聞いているこちらが恥ずかしくなる。
声色からは、決してお世辞やゴマすりのつもりの無いことも伝わってきて、なんだか余計にくすぐったい。
「僕のことは敬わなくていい。偉そうにする気は無いし、そもそも偉くない。
ただ、緊張しなくていいと言って緊張が解けることは無いからね。無理に態度を崩せというつもりも無い。
けれど少しずつ、慣れていけるように努力はしよう。
何気ない場面で思いがけずに敬語が出ると、場合によっては任務に支障が出るかもしれない。」
「はい、了解致し……了解です!」
「うん、よし。
じゃあ、ターゲット目指して町まで移動しようか。今回の任務の情報を確認しながらね。」
「はい!」
僕らは歩き出す。
緊張を隠せないアイが右手右足を同時に突き出すのを横目で見て、小さく笑みがこぼれた。
---
この国の名であるソレイユランドとは、太陽の地を意味するらしい。
そして今、僕らがいるこの町の名はグランツシティ。
こちらは輝きの町という意味を持つのだとか。
太陽の地の輝きの町。
なんともまあ大層な町である。
そんなこの町には特筆すべき点が一つ。
それはこの国で唯一、奴隷売買が認められているということ。
「で、太陽の地の輝きの町ですか。
大したもんですね、まったく。」
「まあ、名前負けしてる土地なんて、どこの世界に行ったっていくらでも見かけるさ。」
西洋風の、大きな町。
中心には太陽神をかたどったという大きな塔。
人の往来は激しく、栄えている印象を受ける。
が、道端の物乞いや危険な空気を感じる路地裏など、負の側面も隠しきれていない。
町の入り口で簡単な町の紹介を聞き出した僕とアイは、町の中をウロウロとしていた。
宿を探すこと。
土地勘に慣れること。
あわよくば転生者の情報を得ること。
散策の目的はいくつかあったが、その一つには純粋にアイに楽しんでもらうというものもあった。
初めての世界線移動。
緊張と同時にさぞ期待に満ち溢れていることだろう。
僕だって昔はそうだった。
「すいません。そこの指輪一つ、もらいます。」
「お、兄ちゃん買ってくれるのかい。
ついでにこっちもどうだい?
一度だけ、所有者の身代わりとなるペンダントって触れ込みの商品なんだけど。」
「残念ながら、二つ買うほどの余裕は無いもので。」
道の隅に陣取る露天商と言葉を交わして代金を払うと、キョトンと見ていたアイに差し出す。
素直な若い芽には、手を差し伸べたくなるものだ。
「はい、アイ。これから先、決して楽しいことばかりじゃないけれど、頑張ろうね。」
「……先生、けっこうプレイボーイですね。」
しまった、そりゃあそうなるか。
言わば先生・先輩としての歓迎のプレゼントであって、他意は無かったのだけれど。
「冗談ですよ。
ありがとうございます、大切にしますね。」
本当に、いい笑顔だった。
顔合わせから移動を含め、町に来るまで約半日。冗談が言えるくらいには僕にも慣れてくれたようだ。
他愛ないやりとりをしながら歩いているうち、前方の人混みの密度が高くなっているのに気づく。
どうも、この先の広場に野次馬が集まっているらしい。
「決闘だってよ、決闘。」
「馬鹿言え、ありゃあ痴情のもつれってえんだよ。そんな偉いもんじゃあねえ。」
「はあー、美人を侍らせてるあの男、憎いねえ。」
「アイツは最近、ちょっとした有名人だよ。野郎どもから一心に嫉妬を買ってるからな。」
「なんていう名前のヤツだ?」
「確か名前は――」
――リリウム=クロイツ。
「先生。」
「ああ、大当たりだね。ちょっと見学しようか。」
それは今回のターゲット、すなわち転生者の名前。
「ゆっくり、殺気は立てずに。
どうせ今すぐにどうにかする必要はないんだ。
じっくりとターゲットを観察する、それだけでいい。」
「はい、先生。」
転生者の顔を拝みに、行くとしよう。