九話
お読みいただいてありがとうございます。
「カト~」
タトラの声が厨房の裏口から響く。
わが食堂がある港町ツァトラツラは、王都に最も近く、交通の要衝であり、様々な食材が、ありとあらゆる国から持ち込まれる。市場のそばのゴミ箱にも、ぼくの元いた世界からすると、あり得ない様なファンタジックな「食材」の端切れがこれでもかと破棄されており、スラムの子供の日々の糧として消費されていく。スラムの楽園と呼ばれたりする場所なのだ。
この有為転変な異世界に落ちて来たぼくは、色々紆余曲折あって、この港町の片隅で小さな食堂をやっている。今では、ちょっと個性的な常連客も付き、慣れない食材と奮闘しながら、懸頭刺股で頑張っている。
「カトー、ほらほらカトー。」
タトラがあんなかまってほしそうな声を出す時は決まって不思議な食材を持ち込む時だ。ぼくは鼻の頭を掻いてから、仕込みの手を止めて、裏口のほうに振り向いた。
「今日のは何かいいもの?」
仕入れ業者のタトラは、まだまだ駆け出しのギャンブル好きな女の子だ。掛け金を吊り上げすぎて、プロの博打打ちのような業者からいちかばちかというより、圧倒的にハズレの多い、ゼロか百かの食材を仕入れて来る。そして反省しない。
うちの常連さんは、食事は何かのゲームだと勘違いしてる人が多いので、とんでもない料理でもよく食べてくれる。だから普通の食堂が仕入れてくれないものを、よく押し付けられる。
「夫婦牡蠣って言うんだけど、仲睦まじくなれるとか、仲悪くなれるとか、どっちなんだよっていう噂の食材なんだ。」
そう言ってわくわくしながらタトラが見せたのは、笊に乗せられた1対の牡蠣だった。見た目は普通の牡蠣のようにぎざぎざしていて、螺旋のように捻くれて、お互いに絡まりあっている。いや、どっちなんだよはこっちが聞きたいわ。はっきりしろ。
試しにヘラを使って貝柱をくじり切り、開けてみた。中身はうねうねとした曲線の模様があるものの、まんま牡蠣の身だ。もう一つを開けるとそちらは直線で、稲妻のような模様が付いている。
「まっすぐな模様が雄で、曲線の模様が雌だね。」
覗き込んだタトラが、説明してくる。圧倒的にこの世界の食材に対する知識がないぼくには、日々勉強だと思っていろんなものを試すようにしている。まあこの程度なら、大丈夫かな。
「じゃあ引き取るよ。」
「ほんと?よろしく!」
そう言ってタトラは朗らかに手を振って出て行く。ぼくは早速、試食のためにフライパンをコンロに置いた。新鮮な生牡蠣なら、柚子やなんかでポン酢を作って、酢牡蠣にするのが一番だけど、生なんて食べ慣れないだろうから、食べやすくバターソテーしてみる。たっぷりとひいたバターが香ばしく焦げるまで熱すると、片栗粉をまぶした牡蠣を入れる。じゅっといい音がして、牡蠣に火が通っていく。片栗粉がカリカリに、身がぷっくりと膨らんだら、塩胡椒して、ささっとお皿に乗せる。バターの風味が食欲をそそって、いい塩梅だ。
「おお、おいしい。」
雄雌両方食べてみたけど、どちらもあまり味は変わらない。普通の牡蠣よりコクがあり、強めの苦味が癖になる。味はいいけど、身体に変化は認められない。両方食べたのがいけなかったのだろうか。
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「あ、いらっしゃいませ。」
「どうも、カトーさん。」
相変わらず花のような笑顔で、にっこりと微笑むフランチェスカさん。見た目は本当に生粋のお姫様だ。
偉い人なのに、こんな小さな食堂に足を運んでくれている。お箸やカラトリーの使い方がとても綺麗で、思わずいつも見惚れてしまう。どんなものでも、お箸の先の方で、ちょんと摘まんで左手を上品に添えて、余り口を開けずにそそっと食べてしまう。箸の先の方しか汚れない。汁物もあるのに、どうやって食べているのかとても不思議だ。
「ふふ。そんなにじっと見られると、ちょっと恥ずかしいです。」
フランチェスカさんがおかしそうに笑う。また我知らず、見惚れてたらしい。
「失礼しました。すごく綺麗だったので…不躾でしたね。」
綺麗な所作というのは思わず魅入ってしまうものだ。赤くなって慌てて謝ってしまう。
「まあ、ありがとうごさいます。」
そう言って彼女はころころと笑う。王族なんだし、お世辞だりなんだりには慣れているのだろう。こういうやり取りでは、勝てる気がしない。
「そうだ、今日の仕入れ、謎食材があったんですよ。味は美味しい牡蠣なんですけど、今一付与効果が分からなくて。」
「あら、じゃあいただきますわ?」
「え、いやいや、よくわからなくて…。」
「味見をされたのなら大丈夫です。いただきますわ?」
そう言ってにっこり微笑まれると、何も言えなくなる。フランチェスカさんの笑顔にはなぜか逆らえない。まあ、色んな考えがあるのだから、郷に入りては郷に従うべきだろう。
牡蠣のソテーを形良く盛り付け、レモンを添えてテーブルに出す。フランチェスカさんは、曲線の模様の付いた方を一口サイズに切って、ちゅるんと食べた。
「コクがあって、とても美味しいですね。……あら?」
見ていると、フランチェスカさんの左手がふるふる震えている。ゆらゆらと所在なげに彷徨ったあと、近くにあった僕の右の太ももの内側に、ペタンと吸い付いた。
「うひゃあ!」
慌てて変な声を出してしまう。
「あらあら、離れませんね。」
ぐいぐいと力を入れているけれど、磁石のように離れない。あっそこ、やばいです。微妙に触ってます。…磁石のように?…磁石!あの模様は……、SとNか!
「あっ…ちょっ…おふぅ」
何処とは言えない場所に、ぐにょんと触られて、変な声が出る。思わず左手でフランチェスカさんを突き放そうとしたけれど、ある一定の距離から反発する感じがして触れない。そういえば、味見のときに両方食べたな。この感じだと、左半身がSで、右半身がNってことか。
「引っ張る力を感じるのじゃ。…しかし、反対に引き離す力も感じるの。」
ププルさんがもぐもぐしながら、左肩にくっ付いてきた。え、なんですか。ププルさんも食べちゃったの?お皿を見ると雄の牡蠣が一個ない。
「ちょ、待って下さい。まだ効果を消す方法がわからないんですよ!……っうぎょべっ!!」
「これ面白いじゃんー」
カタリナさんの飛び蹴りは、吸い込まれるように右側頭部にクリーンヒットした。そのまま皆を巻きこんで、どどっと小上がりに倒れこむ。いだだだだ、関節が曲げられない方向に曲がりそう!なんで皆そう考えなしなの!
「うふふ。これはなかなかのラッキースケベね~。」
ルールルさんがうれしそうに言う。海老反りになった僕は、人間の関節の稼動域の限界を試すかのようにありとあらゆる関節が一斉に悲鳴をあげている。右目の視界は何か布地に遮られているけれど、かろうじて「くま」という文字が読めた。右手は何かふかふかした、もにゅもにゅするものを掴んでいる。何を掴んでいるか、怖くて確かめたくない。口には赤い爪をした、たぶんププルさんの足が突っ込まれているのが、左目でかろうじて見えた。
ゆれる脳と意識は、あ、昔やったツイスターゲーム(男だけ)に状況が似てるな、とどうでもいい事を思い出して、混乱して追撃するカタリナさんの拳に、とうとう意識を手放した。




