七話
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「カト~」
タトラの声が厨房の裏口から響く。
この食堂がある港町ツァトラツラは、王都に最も近く、交通の要衝であり、様々な食材が、ありとあらゆる国から持ち込まれる。その辺の商店街の店舗にも、ぼくの元いた世界からすると、あり得ない様なファンタジックな「食材」がこれでもかと積みあげられ、町の人達にあっという間に消費されていく。食いしんぼの港町と呼ばれるのもあながち間違いではないのだ。
この奇々怪々な異世界に落ちて来たぼくは、色々紆余曲折あって、この港町の片隅で小さな食堂をやっている。今では、ちょっと個性的な常連客も付き、慣れない食材と奮闘しながら、日々おっつかっつなんとかやっている。
「カトー、おーいぃ、カトー。」
タトラがあんな気味が悪い声を出す時は決まって恐ろしい食材を持ち込む時だ。ぼくはぶるっと武者震いしてから、仕込みの手を止めて、裏口のほうに振り向いた。
「何か危ないもの仕入れてきたんじゃないよね?」
仕入れ業者のタトラは、まだまだ駆け出しながら怖いもの知らずの女の子だ。SAN値の低そうな業者から、とても名状しがたい食材を仕入れて来る。そして反省しない。
うちの常連さんは、食事は何かのコズミックホラーだと勘違いしてる人が多いので、とんでもない料理でもよく食べてくれる。だから普通の食堂が仕入れてくれないものを、よく押し付けられる。
「想像を絶する巨大な力と形を持つ太古の生き残りの、力の断片だといわれる食材だよ。これは。」
激しくいやな予感がする。自信満々にタトラが見せたのは、なぜかつやつやと緑がかったうどん玉だった。なにかを讃えるように、「ふんぐる…」とかなんとか、気味の悪い声を出している。とっても嫌な予感がする。
「な…なにこれ?」
「うどんだようどん。見たことないの?いあいあうどんって言うらしいよ。」
「うどんは見たことあるよ!小麦粉でできた真っ白で茹でるとつやつやで腰のある麺になる讃岐うどんとか、ふわふわで出汁のしっかりしみた博多うどんとか!細くてつるつるした稲庭うどんもいいな!」
「い、意外とうどんにテンション高いね…。」
タトルが若干引きながら言う。
「と、とにかく…、こんなの見たことないし、とっても嫌な予感しかしないよ!」
「んーでも異世界だし、元の世界だって君の知らないものはいっぱいあったでしょう?」
「そうりゃあそうだけど…。」
圧倒的にこの世界の食材に対する知識がないぼくには、日々勉強だと思っていろんなものを試すようにしている。しているが、本能が危険を告げることもある。なんせ、お客さんに出すには、その前に試食しなければならないのだ。
「じゃあよろしく!」
ぼくがうんうん迷っているうちに、そう言ってタトラは朗らかに手を振って出て行く。くっ覚えてろよ…。うちの常連さん達がいまさら怯むとは思わないけれど。ぼくは溜息をついて、試食にとり掛かった。
鍋にたっぷりのお湯を沸かしてうどんを茹でる。お湯のせいじゃなく自分で動いているように見えるのは気のせいだろう。その間に、鰹節といりこで丁寧に出汁をとる。ああ、いいなあ、いりこ出汁のこの独特な香り。鰹節より控えめな香りだけど、うどんを汁と一緒に啜ると、口いっぱいに癖になるいりこの旨みが広がるんだよなぁ。元の世界に戻れたら、うどん県で食い倒れたい。切実に。
こんこん
おや…誰か…っと、あわてて裏口の鍵を閉めた。あぶないあぶない。これに出てはいけない。行方不明にはなりたくない。僕には今日もお客さんが待っているのだ。嫌な気配がしてあわててコンロのほうを振り向くと、鍋が!鍋が!
「吹きこぼれてる!」
あわてて火を止めた。流水で洗ってぬめりをとる。ぬめり…ぬめぬめ…。うん。これは、そういう感じのうどん、そういううどん。おかしいことは何もない。手早くつゆにくぐらせて、ずぞぞっと啜る。おおお、名状しがたきこの味!このコシ!い・あ、い・あ、うどん!
……途中から意識が朦朧としていた気がするけど、いいのかな。うーん、どうなんだろうな。異世界にまだまだ馴染んでいない僕には正解がわからない。色んな常識の物差しがあるのだから、郷に入りては郷に従うべきなんだろう。
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「あ、いらっしゃいませ。」
「…ニャ。」
今日最後に来店したのは、ニャルラさん、いつもいつの間にか隅っこに座ってる、無口な猫人族の常連さんだ。
大騒ぎする他の常連さんと違って、大人しく静かに飲んでくれる。結構迷惑をかけているはずなのに文句一つ言わない、とってもいい人だ。
今日のうどんもみんなには好評だった。いつものお詫びもかねてこっそりニャルラさんにもサービスする。みんなで声を合わせて「いあ!いあ!」とか言って盛り上がっていると、突然「ふミャあ!」と叫び声が聞こえた。
不思議に思って振り向くと、ニャルラさんの尻尾がいくつもに分かれてゆらるらゆれている。なんだか吸盤らしきものも付いていて、まるで触手のようだ。…触手……?……いや見間違いだろう。あれは尻尾。尻尾に違いない。ははは。すごいな。ニャルラさん、猫又にジョブチェンジかな。でも自分の尻尾に襲われてるけど。
そうこうする内に、周りの常連さんの気配も変わる。ププルさんの真っ白な尻尾も、ルールルさんの先端がハート型の尻尾も、カタリナさんのぴかぴかの金髪も、フランチェスカさんのつやつやの銀髪も、無数に分かれてうねうねと、動き出した。
うんやばい。よし、逃げよう。
そう思うのが少しだけ遅かった。
ニャルラさんが「ニャはははは!この全能感!これで勝つるニャ!」とかいいながら、女の子がしちゃいけない顔で他の皆に迫る。あ、涎拭いてください。ばっちぃです。あと、蝕…尻尾の一本が、アヌビスに似た響きの穴に入ってますが大丈夫ですか?…だめだ。怒りに我を忘れている。もう蟲笛も光玉も効かなそうだ…。皆もやる気満々で、迎え撃つ。その間にいたぼくは、当然なすすべもなく吹っ飛んだ。