六話
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「カト~」
いつものように、タトラの声が厨房の裏口から響く。
この食堂がある港町ツァトラツラは、王都に最も近く、交通の要衝であり、様々な食材が、ありとあらゆる国から持ち込まれる。あやしげな路地にも、ぼくの元いた世界からすると、あり得ない様なファンタジックな「食材」がこれでもかと積みあげられ、人知れずどんどんと運び出されて行く。食材の闇市と呼ばれるのもあながち間違いではないのだ。
この魑魅魍魎が跳梁跋扈する異世界に落ちて来たぼくは、色々紆余曲折あって、この港町の片隅で小さな食堂をやっている。今では、ちょっと個性的な常連客も付き、慣れない食材と奮闘しながら、日々磨澪自彊で頑張っている。
「カトー、ちょっとカトー。」
裏口から呼びかけるタトラが、あんな恥ずかしそうな声を出す時は決まってちょっとやらしい食材を持ち込む時だ。ぼくはフンスとやる気を出してから、仕込みの手を止めて、元気よく裏口のほうに振り向いた。
「どうしたの、他で売れなそうなもの仕入れてきたの?しょうがないな、引き取ってあげるよ。」
仕入れ業者のタトラは、まだまだ駆け出しながらちょっとエッチなことに興味津々な女の子だ。女の子をからかって喜ぶ業者からでも、果敢にすばらしい食材を仕入れて来る。そしてそこは反省してほしくない。
うちの常連さんは、食事は何かの隠し芸だと勘違いしてる人が多いので、とんでもない料理でもよく食べてくれる。だから普通の食堂が仕入れてくれないものを、よく押し付けられる。だからこれはしょうがない、しょうがないんだ。
「賢者になれるかもって言う噂の、すごくおいしい食材だよ。これは。」
そう言ってタトラが見せたのは、業務用の袋に密封された色っぽいあんこだった。どこが色っぽいかよくわからないけどそう感じる。そして小刻みに震えている。
「なにこれ?」
「ギシアンコっていうちょっと色っぽい食材らしいんだけど、試しに仕入れてみたから、どう?」
「え?なんて?」
「ギシアンコ。」
な、なんだってー。ギシアン、ギシアンですと?ギシアンてのはあれですか、ギシギシアンアンの略だと噂されるあれですよね?そう思ってみると袋に書いた「こしあん」とか「つぶあん」とかいう文字にも高い知性と教養を含んだエスプリを感じる。大事だよねエスプリ。「…腰?」「…あん」とか「つぶつぶぅ!」「あーん!」とか。……そうか…。てことはぼくもついに「ノクターンの洗礼」を受けるときが来たか。感想欄に「ノクターンでやれ」とか啓示が書かれるわけですね。わかります。
「ふーん。まあ使ってみるよ。」
何の気もないように、勤めて冷静に返事をする。そう、圧倒的にこの世界の食材に対する知識がないぼくには、日々勉強だと思って積極的にいろんなものを試すようにしているのだ!
「鼻の穴が広がっているよ。」
おっとと
「まあいいや、じゃあよろしく!」
そう言ってタトラは朗らかに手を振って出て行く。ぼくは早速料理を試作してみることにした。
黒糖と小麦粉で皮を作り、こしあんで蒸し饅頭をつくる。いやー料理ってほんと、いいですね。わくわくが止まらない。むしろ蒸す時間が待ちきれない。こうなったらつぶあんの方は善哉にしよう!よきかなと書いてぜんざいと読ませる、うん、昔の人はすごいよね!よきかな、よきかな!
出来上がったものから、一口食べてみる。よし、うまい!ここに相手は居ないから、特殊効果はわからないけど、お店を開ける時間が待ちどうしいね。働くってすばらしい!気持ちが昂ぶる。そう昂ぶってきたからか、感覚が鋭敏に…、何か?…聞こえる…、あん…あん…ギシッ…ちょ、これお隣のナーサさんの声…、昼間っから……、何やってんの…。……ん?…あれ?もしかしてそういうこと?どっかのギシアンが聞こえるだけ?ちょ、まてまて、そんなはずはない。きっと集中すればもっと…。…あっこれアカンやつや。八百屋のギンジさん、え、そうだったのか…。道理でお尻を見られるなと思った。今後気をつけよう。
知らなくていいご近所の秘密に絶望した。
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「来たのじゃー。」
「いらっしゃいませ。」
今日の一番乗りは、ププルさんという竜人だ。真っ白な肌に青白く透ける鱗、濡れたような紅い髪に、きらりと光る紅い竜眼、つるりとした尻尾には紅い体毛が鬣のように生えている。そしてとっても美人だ。
「どうしたのじゃ?落ち込んでおるようじゃの?」
ああ、態度に出ていたらしい。ププルさんにあんこの顛末を話すと、からからと笑い飛ばされた。
「まあそういうこともあるのじゃ。しかし、店主は何を期待していたのかの?」
「あー、いえ、その。」
そうか、期待通りにいったら、お客さんの誰かとノクターンになってたわけか。そこまで考えて、自分の失態に気付いてだらだらと冷や汗が出た。やばい、これじゃ危ないものをこっそり食べさせて喜ぶ変態食堂じゃないか。こんなことじゃ常連さんの信用なんてなくなってしまう…。いや反省はあとだ。まずは謝罪しないと!
「すいませんでした!」
膝小僧をぴっちりと閉じて、足首から順々に上の関節を、折り曲げていく。手は前に出さない。まずは頭を地面に打ち付ける。それから脇を開けて、膝の前にそっと両手を着く。そう、両手は添えるだけ。これが、DOZEZAの作法だ。だが、そこで所作の美しさに酔ってはいけない。これはあくまで謝罪なのだ。相手にすみませんという気持ちを伝えるものなのだ。
「ふむ…。反省しているならよいのじゃ。まあいつも料理は出す前に説明するじゃろ?どうせそこでばれておったじゃろうがな。」
ああ、そうです。ぼくが浅はかでした…。浮かれて何も考えてなかったな。にこにこしたププルさんに一通りぐりぐりと頭を足蹴にされてから、気持ちを切り替えて立ち上がる。よし、これからは心を入れ替えて真面目に働こう。おいしくてみんなを笑顔にする、僕の精一杯の料理を提供していこう。…でもタトラの仕入れは変なものばっかりなんだよな…。他に仕入れを頼める人も居ないし…。あれ、これ無理じゃね?
それから後で来た常連のみんなに、今日の顛末をばらされ、もう一度土下座することになった僕。ルールルさんはニヤニヤしてたけど、真っ赤になったカタリナさんに「てめー!」と、サッカーボールのように蹴っ飛ばされ、今日も意識を失った。
残ったあんこは、常連さんがおいしく処分しました。