三話
「カト~」
タトラの声が厨房の裏口から響く。
わが食堂がある港町ツァトラツラは、王都に最も近く、交通の要衝であり、様々な食材が、ありとあらゆる国から持ち込まれる。市場にも、ぼくの元いた世界からすると、あり得ない様なファンタジックな「食材」がこれでもかと積みあげられ、いづこかへ消費されていく。食材の坩堝と呼ばれる場所なのだ。
この奇想天外な異世界に落ちて来たぼくは、色々紆余曲折あって、この港町の片隅で小さな食堂をやっている。今では、ちょっと個性的な常連客も付き、慣れない食材と奮闘しながら、まずまずのところでやっていけている。
「カトー、ねぇーカトー。」
裏口から呼びかける声がしつこい。タトラがあんな楽しそうな声を出す時は決まってびっくりする食材を持ち込む時だ。ぼくはひと息ついてから、仕込みの手を止めて、裏口のほうに振り向いた。
「今日は何を仕入れてきたの?」
仕入れ業者のタトラは、まだまだ駆け出しのチャレンジ精神の塊のような女の子だ。チャレンジし過ぎて胡散臭い業者からチャレンジ精神いっぱいの食材を仕入れて来る。そして反省しない。
うちの常連さんは、食事は何かの貴重な巡り会いだと勘違いしてる人が多いので、とんでもない料理でもよく食べてくれる。だから普通の食堂が仕入れてくれないものを、よく押し付けられる。
「私もそうそうお目にかかれない食材だよ。これは。」
そう言ってタトラが見せたのは、籠に入った果物だった。見た目は苺っぽいけど、ネジの様に捻れていて、ぴょんぴょん飛び跳ねている。
「なにこれ?」
「ニャポニ皇国っていう東方の国で、たくさん栽培されているドリルベリーっていうちょっと癖のある食材だけど、向こうでは踊り食いが一番いいんだってさ。で、試しに仕入れてみたから、どう?」
「ふーん。じゃあデザートにでも出してみるかな…。」
踊り食いってまあ生食って事なんだろう。生きている変な果物だけど、この世界ではよくある事だ。圧倒的にこの世界の食材に対する知識がないぼくには、日々勉強だと思っていろんなものを試すようにしている。タトラの持ってくるものは、時々悪ふざけが過ぎるけれど。
「ほんと?じゃあよろしく!」
そう言ってタトラは朗らかに手を振って出て行く。ぼくは早速、試しに齧ってみようと籠に手を伸ばした。ぴょんぴょん跳ねるので捕まえにくかったけど、味は悪くない。甘酸っぱくてふわっと香る匂いが、本当に苺みたいだ。色んな加工をしてみたいけど、まずは練乳か蜂蜜をかけてお勧めの生食で出してみよう。
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「あ、いらっしゃいませ。お久しぶりです。」
「お久しぶりです、カトーさん。」
ちょっと久しぶりの常連さんが来た。
にっこりと微笑む彼女は、フランチェスカ・ファンタズマ様。たぶんこの国の何番目かのお姫様。
偉い人なのに、なぜかけっこう足繁くこんな小さな食堂に足を運んでくれている。食堂に入る時は、護衛もつけないで、にこにこしながらご飯を食べてる。不思議な人だけど、とても美味しそうにご飯を食べてくれるので、嬉しい。でも、毎度とんでもない大騒ぎをする食堂で、平気な顔をしてる時点で相当の実力者だ。そもそも王族は、特に武力がある程度ないと、血族として認められもしないらしい。結構脳筋さんな国なのだ。
「一週間ぶりくらいですか?今度はちょっと長かったですね。」
「ええ。王都に一度戻っていまして…。久しぶりに帰ると、雑事が溜まっていて大変でした。」
「それはご苦労様でした。あっそうそう、丁度珍しい果物を手にいれたんです。少し摘まんでみませんか?」
「まあ、何でしょう?」
彼女は無類のスィーツ好きなので、早速今日仕入れたドリルベリーを勧めてみよう。他の酒飲みさん達も、普段は甘いものに余り興味を示さないけど、これに刺激されて沢山売れれば儲け物だ。果物は新鮮なのが一番だし。
蜂蜜をかけて、涼しげな硝子の器にいれて持ってくると、彼女は目を瞠った。
「これは…とても珍しいものですね。一度だけ前に見たことがあります。踊りながら食べると、様々な効果が出る果実だとか。」
え?踊り食いってそういうこと?うーん、異世界にまだまだぼくの勘違いしていることがたくさんあるらしい。色んな常識の物差しがあるのだから、郷に入りては郷に従うべきだろう。
そう考えていると、彼女が手を差し出してくる。
「一緒に踊ってくれるのですよね?」
うるうるとした瞳で上目遣いに見られると、とてもドキドキする。踊りと言われても舞踏会なんか別世界のぼくは、固まってしまう。
「い、いや、ダンスなんて、やったことないですし…。」
慌てて断ろうとするけれど、そっと手を握られて、いつの間にかぴったりと寄り添われている。ふわっと花のようないい匂いがして、くらくらした。
彼女の手が導いて、左手を腰に回す。とっても柔らかい。あれよあれよと準備が整って、何だかムード満点の音楽も流れて来た。見上げて来るフランチェスカさんは、くすりと笑って身体をぐっと預けてくる。
頭の中が真っ白になって、気が付くと踊っていた。というか、踊らされていた。フランチェスカさんが身体の重心を移すたび、ぼくの身体も勝手に動く。なにこれ。柔道でいう空気投げみたいなもの?身体どころか足捌きも完璧にコントロールされている。どんな体術の鍛錬をすれば、こんな事ができるんだろう。なんだか思わぬところで彼女の実力を垣間見た。ただ、フランチェスカさんの重心の移動が分かるということは--そうなのだ。物凄く密着してるってことなのだ。そりゃあもうふわふわでふにふにで、落ち着かない。なんだか頭がぼうっとしてくる。
「ん」
いつの間にかフランチェスカさんが、ドリルベリーを唇で摘まむように咥えていた。そのドリルベリーにとってもなりたいです。不埒な事を考えていたら、フランチェスカさんが手ずからぼくにもドリルベリーをとってくれた。異世界あーんが出来るなんて!感動に打ち震えながら同じように咥えると、フランチェスカさんはちゅるりと--思わず生唾を呑みこみそうになった--ドリルベリーを飲み込んだ。
ぼふん
ぼくの目が驚愕に見開かれる。なぜならフランチェスカさんの緩やかなウェーブの掛かった白銀の髪が、あっという間に悪徳令嬢も真っ青のドリルヘアーになったのだ。動揺を抑えきれずにあたふたしていると、ドシュッと捻じりこむように咥えていたドリルベリーが喉に飛び込んできた。
「んがくく」
思わず衝撃に仰け反ると、同時に髪の毛がうねる感じがする。慌てて鏡を見に行くと、相撲好きの閣下も笑顔で握手してくれそうな、トゲトゲネジネジヘアーになっていた。
常連さん達には大ウケだった。
「面白い!妾達にも持ってくるのじゃ!」
様子を伺っていた酔いどれさん達が、爆笑しながらそんな事を云ってくる。
彼女達はドリルベリーを咥えながら、体術の演舞や神楽舞のような一人舞をそれぞれ勝手に踊りながら、コークスクリューパンチやトルネードフレイムなんかを繰り出せるようになっていた。貫通力の高いそれらは当然店の中をめちゃくちゃにして、止めに入ったぼくをいつものように吹き飛ばした。
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