数は力なり
本多正子は松平武士に日本の政権を取らせるための方法を考案した。
日本の統治者はまぎれもなく木下良太であったが、その木下良太が死亡してしまった以上、後継者を決めなければならない。色々な事情があるにせよ、本来であれば国民の選挙によって決定されるべきであったが、紛争地域においては、イラク、アフガニスタンの先例にもあるとおり、国連の意思が強く反映される事が多々あった。
民主主義による選挙で代表が選ばれてしまった場合、欧米諸国にとって不都合な指導者が選ばれてしまう場合がある。
イランの場合がそうであり、このため、欧米のマスコミはイランを人権蹂躙国家と呼んで盛んに罵倒していた。
今回の日本の場合も、すでに最初から国連の意図が働いていたようで、わずか14歳の少女、茶々丸がノーベル平和賞に選ばれた。たった14才の少女に何の力もなく、その発言も夢見がちな少女のそれであり、実効性は何も無いことであるが、欧米諸国の傀儡として利用するには極めて価値の高い存在であることはたしかであった。
茶々丸はノーベル平和賞受賞のあと、日本の首相に専任された。紛争時の混乱を理由に選挙は行われなかった。
茶々丸には常に石田成子が付き添っており、実質、この石田成子がアメリカのジャパンハンドラーの意図を受けて政治を動かしていると、日本の軍閥の人間は理解していた。
国連の意図により、日本国内でも最も市場開放に積極的であり、伊丹空港を潰して外国人居留区を作ろうとしていた大阪府に日本の首都が置かれることとなった。
それでも、14歳の少女が選挙なく、日本国民の総意でもなく、欧米の傀儡として日本の統治者に任命されたことは、日本の各地に割拠する軍閥の自尊心を激しく傷つけた。
松平武士の元には各地の軍閥より、茶々丸政権を倒して日本の統治者になってほしいとの要望が多数届いていたが、武士は躊躇していた。
本多正子も、この話は慎重に進めるべきだとして、それらの密書は黙殺するよう進言していた。
正子はまず、武士の支持者たちに対して、過激なデモ活動の抑制を要請した。そして、なによりも、ネットで活動しているライトユーザーを大事にするよう養成した。
よく日本国内で日本政府に敵対する勢力は日常的に政府に対して訴訟を乱発し、デモを頻繁に起こしている。
デモ活動をしている人間はデモに参加することによって日当をもらい、デモを専業としている。
これが成立するのは彼らが外国から資金提供を受けているからだ。
しかし、一般市民がこれらの人々と同じことをしていたら、たちまち、生活資金がそこをつき、衰亡してしまう。
よって、出来うるだけ体力を温存し、経済的負担がない行動にととめるよう、抑制を訴えかけた。
工作員は日本人の不利益になる行動を取る。しかし、それは金で雇われた人々であり、その人数は限られている。
そのかわりに膨大な資金を持っており、日常的に訴訟を起し、デモだけして働かなくても生活に困らない。
これに対して、一般市民は仕事をしなければ生活ができない。
デモや訴訟に寄付金を求められつづけ、休みを潰し、電車賃を払い続けることによって、消耗し、破滅してしまう。
よって、一般市民はデモなどによる消耗戦の万歳突撃などさせるべきではないのだ。
本多正子が提唱したのは、スタンド・アローン・コンプレックスである。
これは、21世紀初頭に開発された先鋒であり、個々の人間が同時多発的にインターネットを使って、啓蒙を行うという方法だった。しかし、この時は、個々人がインターネット上に正体を現し、顔出ししたため、それらの人はプロの工作員に襲撃され、大怪我をさせられたり、脅迫されて次々に活動をやめていった。
これに対して本多正子の考案したスタンドアローンコンプレックスは、コアとなる人間がネット上の匿名掲示板や、ブログに標的目標を書き込み、それに対して個人はただ単に、電話するだけ、メール一本入れるだけ、標的となった官庁、政治家、政党、企業に対して1枚抗議の葉書を出すだけ。
それを個々で行う。この個人としては実に簡単で、コストもかからない方法を同時多発的に行う。
それらの人たちを集める方法は、アメリカのティーパーティーの方法を模倣し、その名も日本茶クラブとした。
そして、主催者である本多正子がクラブの会員に求めるのは、時々地域で楽しいイベントをする。
講演会をやったり、立食パーティーをやったり。会場は主催者側で用意し、食材はもちより。子供の飯盒炊爨やキャンプなども積極的に行い、ゲーム大会もおこなう。同人誌即売会もおこなう。つまり、遊ばせるだけなのだ。
そうやって、楽しい遊びを地域で提供し、とにかく数を増やす。
日本を滅ぼそうとしている勢力は莫大な資金をもっているが人数が少数である。
これに対して、日本の普通の市民を面白いことで釣って、その数を莫大に増やす。
そして、いざというときに、誰に投票すべきか指針を表したり、抗議すべき標的を表す。
最低限、クラブとして投票する相手を指定する。しかし、強制はしない。その何十万人もいる会員のうち、
実際に動くのは1%にすぎない。それでも、その巨大な空気という化け物のバックボーンに立った、たった1%の
働く人員は極めて威力が強かった。
とくに地域の政治化はこの日本茶クラブ、日本版、ティーパーティーの存在を恐れ、その意向を伺うようになった。
日本をうごかそうとするたった1%の大金持ちに雇われた工作員。それが出来ないことは、莫大な数を集めること。
数こそ力であり、1ヶ月に1本メールするだけ、年間に3枚、葉書を出すだけ、1年に一回だけ企業に抗議電話をする10万人の人間は、毎週抗議街宣をやるプロ市民よりはるかに力をもっているのだ。
本多正子は、この空気の醸成にこと力を入れ、とにかく消耗を極限まで抑えた。
会員、参加者、に無理をさせない。お金をせびらない。
「国のためだぞ!」などと声をあらげて金を要求しない。「訴訟に参加しないだと!なんとなさけない!愛国心がない!」などと言って攻め立てない。とにかく、緩く、リスクを低く、そして、楽しく、気楽に、ファッション感覚で参加できる遊び方組織、それこそ日本型ティーパーティーだった。
アメリカのティーパーティーがキリスト教教会を利用したのに対して、本多正子が目をつけたのは、日本の自社仏閣だった。この自社仏閣の花見会やお茶会に資金援助して、自らもそれらイベントを開いて、それら既存のお茶会、花見会、歴史勉強会などの組織と交流しつつ、資金提供し、組織を拡大していった。
組織運営にかかる資金はあくまでも協賛企業から受け取る。そのかわり、何万人もいる会員に対しては、協賛企業を告知し、コマーシャルを行う。メール会員に「今週の協賛企業」というメールを送るだけなので、コストもかからない。協賛企業も収益があがるので、コマーシャルの一環として資金提供するので、資金の捻出もしやすくなる。
こうして、とにかく、ゆるく、たのしく、そして、何もしなくてもいいから、会員になるだけでもいいから登録させる。最低限の要請は投票にいくこと。日常製品で支障がなければできるだけ協賛企業の製品を使うこと。会社の経費で出張で宿泊するときは、できるだけ協賛企業のホテルを利用する。そうした努力目標だけをかかげる。あくまでも目標であって、義務ではない。
この組織形成によって、武士は、一切資金を使うことなく、組織的に支持者を倍増させることに成功した。
この段階で、茶々丸は政権をとっており、イニシアチブは茶々丸が取っていた。しかし、莫大な数の民衆を味方につけることにより、武士は空気を味方につけることを選んだ。
そして、徐々に茶々丸政権を脅かすようになってきた。
松平武士の人気が世間的にあがっていくと、石田成子も武士の事を無視できなくなった。そして、武士を大阪に招いた。大阪には鳥居元江も随行することになった。大阪南港の国債見本市会場で女子向けの巨大同人誌即売会を開催するためだ。
鳥居はとてもそれを楽しみにしているようであった。
百万人の凡人は十人の精鋭より強い




