宮崎と武田
宮崎軍の弱体化を図る祭童
武田に大勝した祭童はすぐさま宮崎軍に対する策謀を開始した。祭童軍は宮崎軍に電力を供給しているが、宮崎軍の中でも軍に対する忠制度が高い部隊に、祭童軍の悪い噂を流し、祭童軍から電気を買わず電力の自活をすべきだと訴えさせる運動を起こさせたのだ。
たとえ戦争中であっても物資は売る。それは国際社会における常識である。
かつてソビエト連邦と冷戦状態にあったアメリカのカーター大統領はソビエト連邦に対する物資販売の中止の政策をとったが、国内の資本家のロビイストから攻撃され、政権を失い、レーガンが大統領に就任する騒動があった。
すでに国際社会は政治家や国家の手を離れ、利益のためなら国益を無視する大資本家の意図を無視してはうごかなくなっているのだ。
そのような状況の中では、祭童とて軽々しく宮崎氏への電力供給の停止はできない。このような状況になってしまったのも、駄目新蔵元総理が総理時代に電力の自由化を行い、発電と送電を外国資本に乗っ取られてしまった影響なのだ。
この事により日本の電力事業は無茶苦茶になり戦乱に拍車がかかった。
宮崎氏の内部で電力自活運動を起こさせるにあたって、祭童は忍者を使い、太陽光発電と風力発電だけを推し進めるプロパガンダを行った。電力発電はベストミックスでなくてはならず、色々な方法が均等に行使されなければ成立しない。
その中でも、均等に行使されるべき発電方法は、ベースロード電源が主軸でなくてはならない。
ベースロード電源とは電力をいつでも均質に安定供給できる発電システムであり、火力、水力、海流発電、地熱発電、メタンハイドレートなどである。これに対して、太陽光発電は太陽が出ていなければ発電できず、風力発電は風がふいていなければ発電できないので、これを発電の主力にすることはできない。あくまでも補助電源として使うしかない。
マスコミに多額の資金をつかませ、電力の安定供給ができない太陽光、風力発電だけを全面的に推進させ、電力の安定供給が出来ない状況に追い込だ。
また、太陽光発電、風力発電は開発コストが比較的安く、与党政治家の利権とつながっていたため、単に利権で政治家が
金をふところに入れる手段として用いられ、各国で混乱を生じさせた。祭童はこのやり方で、宮崎氏に一方的に太陽光発電と風力発電だけを推進させたのである。
結果、電力の安定供給ができず、宮崎氏の生産体制は大混乱に陥ったのである。
これによって、精強な軍事力を誇った宮崎氏は一時、身動きがとれなくなってしまった。
この間、祭童軍に大敗した武田軍は撤退場所を探していたが、武田信子は、自分たちの根城である下北沢に来て欲しいと武田勝也に懇願した。ここにはユーベルトートに鍛えられたユーベルトート十人衆、通称ユーベル十人がいる。
武田勝也は一旦は下北沢に撤退しようとしたが、武田重臣の小山田氏がこれに強行に反対し、本来、オタク始祖の地である千葉県幕張に撤退すべきだと主張した。武田勝也は下北沢では祭童の領土から近すぎることもあり、千葉県に撤退することを決めて東京を去っていったのだった。
東京に置き去りにされたユーベルトートと真田氏は、ユーベルトートが新宿を、中野を真田が占領した。新宿に単独で駐屯するのは危険であるから中野まで引きのくよう真田姉妹は熱心に、ユーベルトートに奨めたが、ユーベルトートは都庁を「自分の家だ」と言い、結局ここから動かなかった。このため、真田姉妹も本拠は中野におきつつも、新宿に駐屯することとなった。
武田本隊が徹底して以降、しばらく祭童軍は動かなかった。
ヒマをもてあましたユーベルトートは諸国からユーベルトートの弟子になるために集まった十人の弟子とともに、都庁の都知事室の中で一時、トランプなどをして遊んだ。
また、ユーベルトートにひと時の安らぎがもどってきたのだ。
ユーベルトート十人衆、それはすなあち、真田信子、真田繁子、猿飛サスケ、霧隠サイコ、壺谷マタコ、後藤次基、毛利永勝、明石登全、浅井伊織、矢沢 頼安である。このうち真田信子、真田繁子、猿飛サスケ、霧隠サイコ、壺谷マタコは女、その他は男であった。
下北沢への撤退を真田が進言するも受け入れられず。




