絶望が足りない
武田の矢継ぎ早の謀略に頭をかかえる武士
池袋の管理官室、夏目吉子がひれ伏して肩を震わせて泣いていた。
「ボクが……築山セナ先生を殺してきました。ファンの集いで、先生が呼んでくれたので、近づいて……、先生は、ボクの事をいままでよく……ううう……」
「もういい」
武士は吉子い歩み寄り、その背中をさすった。
「ありがとう」
「……」
夏目の目からポロポロと涙がこぼれる。
「さ、もう行きましょう」
鳥居元江が夏目に肩を貸して、夏目を引きずるようにして管理官室を出て行った。
「あの武士さん……」
心配そうにカトリーヌが武士に近づこうとする。
「一人にしておいてくれ」
「はい」
カトリーヌは部屋にいるヒルダ、大久保忠子に目を向ける。
「外に出ましょ」
「はい、分かりましたでありますのんた!」
胸のところに「ひるだ」と書いた体操服とブルマーを着たヒルダは敬礼をして部屋を出た。
「あなたも」
カトリーヌは忠子にも目を向けるが忠子は無視している。カトリーヌの眉間にシワがよる。
「忠子、一人にしてくれ」
「はい」
武士の命令に忠子は素直にしたがって外に出ていった。
「ふーっ……どうしてこんな事になってしまったのか。ボクはどうすればいいんだ……」
武士は、亡くなった恩師、太原の事を思い出していた。太原は目黒の桜が見える病棟から外を眺めながら、独り言のようにつぶやいているのを思い出した。
「ひとの上の立つ者がね、下の者にもっと努力しろ、お前らの努力が足りないから業績があがらないんだ、って言って叱っているときにかぎって、実は、自分が努力していないんだ。汗をかけ、汗をかかない奴は役立たずだという指導者こそ、役立たずなんだ。ひとの上に立つものが努力するってどういうことかわかるかい」
それに対して武士が答えた。
「自分が先頭に立って、人一倍努力して、サービス残業して、何倍も何倍も寝る間を惜しんで働くことじゃないですか?」
「違う!その考え方が組織を滅ぼすんだ。生き残りたければ、まず学ぶこと。戦略を、戦術を。戦術も戦略も経済学も、経営学も学ばず、闇雲に努力する指導者は怠け者で部下にまかせっきりの指導者にも劣る。破滅への道は善意と努力によって彩られているんだよ。バカな働き者が国を滅ぼす。指導者が努力するべきことは、まず、学ぶことだ。何が正しく、何をやれば成功するか、戦略論、地政学を徹底的に学ぶことだ。国家官僚が地政学を学ばない国は、外国に無茶苦茶に踊らされて破滅する。もし、その国が破滅していないとすれば、それは単なる植民地であり、官僚はただの奴隷だからだ。それ以外の独立国であれば、官僚が地政学、戦略学を学んでいなければ、必ず国が滅びる。指導者も同じだ。部下に闇雲に、もっと汗をかけ!絶望がたりない!などと言う指導者は組織を滅ぼす指導者だ。部下を消耗させ、ドンドン組織を消耗し、最終的に破滅させるのだ。学んで正しき指針を得たのち、部下の意見に耳をかたむけること。それが国を、組織を栄えさせる基盤となる。戦略論、指針を知らずして部下の意見に耳をかたむけても、その価値が理解できず、振り回され、失敗し、失敗の責任を部下に押し付け、有能な部下を潰すことになる。人の上に立つものの努力とは、自らが動くことではない。戦略と戦術を学ぶことなのだ」
武士の頭の中に、太原の言葉がありありと浮かび上がってきた。
「今のボクは、ただのバカな働き者になっていたのではないのか。何のために師匠から地政学を学んだのだ。ああ!そうだボクを頭を使っていないと言って罵倒し、出奔した本多正子だ」
「誰か!」
武士が大声で叫んだ。
「何か!」
「何事ですか!」
「どうしたでありますかのんた!」
大久保忠子とカトリーヌとヒルダが一緒に部屋に飛び込んできた。
「本多正子を探してほしい」
「分かりました、必ずやそっ首叩き落して……」
「ちがーう!」
武士は忠子をたしなめた。
「では、生爪をはがして……」
「それもだめだ、無傷でつれて来い」
「分かりました、まず武士様が一番最初に拷問をされるのですね!」
「ちがうけど、はやく行け!」
「はっ!」
大久保忠子は管理間室をとびだした。
「私たちもいくわよ」
「わかりましたでありますのんた!」
カトリーヌとヒルダも部屋を飛び出した。
部黒衆とカトリーヌたちが総力をかけて探した結果、池袋西口公園の喫煙スペースの端にうずくまっているのが発見された。
喫煙スペースは風があたらず、寒さをしのげるので、そこにダンボールで囲いを作って住んでいたららしい。
武黒衆たちに引っつかまれ、本多正子は管理官室まで引きずってこられた。
「ギャー!いやだー!アイドントワナビーアフライドチキン!さよならしたくなーい!」
何を吹き込まれたのか、完全に油で釜茹でになって殺されると思い込んでいるようだった。
「いやだー!死ぬのはいやだー!」
暴れまわって管理官室のドアのところにへばりついていたので、本多勝が笑顔で横腹をガスッと殴る。
「げほっ」
本多正子はその場に倒れこむ。
「あれー」
勝が正子を片手でひきずりあげるが、正子はだらーんとしている。
「おい!殺すなっていったよな!」
武士が怒鳴る。
「あーら、大丈夫ですわよ、あばら骨二、三本折れたくらいですよ。加減したから」
「おいおい」
しばらく正子はピクピクしていたが、そのうち目をさます。
「ううう、肋骨がいたい……、ハッ!」
正子は武士の存在に気づく。
「あんた!なめた事してんじゃないわよ、この脳筋が!あんたなんか、脳みそに汗かいて、汗をかくインターネットとか言って、世界中から笑われて頓死すればいいのよ!」
勝が正子の後ろから近づき、笑顔のまま拳をふりあげる。
「やめろー!」
武士が必死に叫ぶ。正子は背後の勝の存在に気づき、はいずって、後ろにさがる。
「ぎゃー!殺されるー!」
「落ち着け、正子、君の知恵が借りたいのだ」
「え?」
きょとんとして正子は武士のほうを見る。
「君の知恵がほしい!」
「プロポーズ?」
「ちがいます」
武士は冷静に返した。
武士は正子に事情を伝える。
「ううううう……やっと……やっと私の知恵が生かせる場ができた……」
正子は肩を震わせて泣いた。
正子は武士の助言役に就任すると、真っ先に藤林長門を雇用するよう提案した。
藤林長門は都庁軍から逃げ出し、伊賀に帰っていたが、武士はすぐさま長門を池袋に招いた。
藤林は武士に雇われると、早速、築山セナの取り巻きのうち、武田と内通していた者たちを突き止め、生け捕りにし、池袋管理局の前にずらりと並べた。そして木の枠に首をはめ、竹のノコギリを用意した。その場所を通る者は、必ず、その竹のノコギリを一筋引かねばならない。首が少しずつ削られていく。工作員はのた打ち回って苦しんだ。出血多量で死にそうになると、輸血と止血をしてしばらくやすませ、またさらす。傷口が化膿してグチャグチャになってくる。そうすると、見かねて工作員の仲間が助けにきて、それを捕まえることによって、どんどん工作員を捕まえていった。そのなかでも口の堅い者から先に拷問にかけ、それを工作員に見せる。目を背けたり恐れたりした意思の弱い者を選別し優遇する。裏切った者は褒め称え、褒章する。そうやって、裏切り者を工作員に見せ付けることにより、工作員の組織の結束を乱し、どんどん情報を聞き出していった。
そのような事を繰り返しているうち、豊島区内だけではなく属領となっていた練馬区、板橋区でも武士の悪い噂が広まらなくなった。
悲しいかな、人は、平和で自由な環境を与えられているときのほうが不平不満を言う。
本当に軍靴の足音が聞こえてくると、みんな黙りこくるのである。
「これは、ボクが望んでいた統治じゃない……」
武士は頭を抱え込んだ。
「あなたが密偵を放置し続けたから、このような荒療治をしなければならなかったのです。最初から正しい対処をしていればこんな事にはならなかった。今の荒療治も武田との対立を沈静化させるためには必要な事です。紛争は、武力を放棄するからこそ起こるのです。軍事的均衡が崩れたところに戦争は起こる。敵に対する軍事的脅威を高め、バランスを保っていれば、戦争は起こらない。これ以上悲惨な状況にしたくなければ、この状況を維持しなくてはなりません」
正子は冷静に言った。
「そんな事で平和が保てるのか!」
怒気がこもった言葉で武士が言った。
「これが平和です。よく見ておきなさい、あの半死にで痙攣している工作員どもを。これが平和なのです!」
断定的口調で正子は言い切った。
武士は思い出した。あの陰惨な方月と都庁軍との謀略合戦を。
息が詰まるような謀略合戦を。
甲賀長門と藤林長門の壮絶で陰湿な戦いを。
「こんなのはイヤだ……」
武士はつぶやくのだった。
本多正子、藤林長門の力を得て、何とか治安を安定させた武士ではあったが、
武士の望んだ治世とはかけはなれたものだった。
武士の苦悩は続く。




