道(タオ)の極意は水なり
方月祭童が松平武士に道の極意を語ります。
朝比奈は、大井町駅前の巨大ビルに5ヶ月立てこもったが、食事がつきてきて、阿保神バカ夫が新鮮なものが食べたいとごねはじめたので、大井駅前ビルを開放し、侵攻のある北条氏の所領である蒲田まで撤退した。
武士は軍を池袋に撤退させるにあたり、前田犬を原隊復帰させるよう祭童に陳情した。しかし、祭童はそれを拒否した。
「どうしてですか」
「敵に情けをかけたことは評価に値しない」
「人の上に立つ者は常に冷淡であれということですか?」
「そうではない、物事には陰陽がある」
「また訳のわからぬことを仰る」
「訳がわからぬことではない。戦いにさいして、敵に情けはかけてはならない。また敵に情けをかけるものを評価する風潮をつくってはならない。過去の歴史において、敵に情けをかけて騎士道、武士道に従って戦ったロシア帝国、ドイツ帝国、日本帝国はいずれも滅びた。反対に敵に対して徹底的に容赦せず、殺戮しつくしたアメリカ、中国は大きく繁栄した」
「しかし、そのような陰惨な支配に抵抗してあなたはレジスタンスを始めたのでしょう。自分の支配する民衆にもそのような態度をお取りになるということですか」
「そうではない。だから陰陽だ」
「だから、その陰陽とは何ですか」
「戦いにおいては敵に対しては徹底的に厳しく、時に騙し、時に陥れて叩き潰さねばならぬ。これに対して、内政において指導者は決して嘘をついてはならぬ。民に嘘をつく指導者は排除せねばならぬ。そのような指導者を温情で維持しつづけたために、日本はこんな無茶苦茶になったのだ」
「意味がわかりません。嘘はいいのですか、悪いのですか、どっちです」
「だから、陰陽だと言っている。敵に対しては徹底的に嘘で騙し、落としいれ、混乱させ、潰さねばならぬ。味方、統治する民衆には決して嘘はついてはならず、正直に温情をもってせっしねばならぬ。日本の政治は敵や外国には温情をもって接し、外務省が担当国の代弁者となって、日本の国益をそこね、政治家は国民を騙し、外国に金をみついで、国民をまずしくした。またその国民自身も何ども裏切られながら『駄目さんしかいない!』「駄目首相政権を続けるためなら、日本の国が滅びてもいい!』と言って、国民を騙しつづけ、踏みにじりつづけた首相を応援しつづけた。だから、日本はこんな破滅寸前の状態になったのだ。よって、今まで日本に続いた習慣、敵にやさしくし、仲間に冷たくし、見捨てるという習慣を大転換して逆さまにせねばならぬのだ。そのためには、多少の苦しみは覚悟してもらわねばならぬ」
「しかし、人を騙すことはモラルに反することでしょう。あなたは常に、道ということを言ってこられた。これでは、あなたが言ってられた道に反することになるのではないですか」
「そもそも、日本人が道を道と解釈し、道=道徳、モラルと解釈しはじめたことが滅びの始まりだ。このために、日本は第二次世界大戦で負けたといってよい」
「道が道徳やモラルじゃないですって?じゃあ、道って何です」
「道とは、つまり、先に言ったウーダーループの先にあるものだ。見方と民衆は決して騙してはけないし、民衆に嘘をつく指導者は民衆がどんな犠牲をはらっても政権の座から引きずりおろさねばならぬ。しかし、敵は常に騙し、嘘をつき、落としいれ、衰弱させねばならない。しかし、敵を騙そうにも、一度騙された手に普通の人間は易々と騙されたりはしない。その相手の裏をかくためには、無数のレパートリーを持っておかねばならぬ。その新しい手口を開発する時に、必要なのは、過去の経験則だ。過去から累積された知恵。何をやったら駄目で何をやったらいいか。この積み重ねが多ければ多いほど、組み合わせの数が増える。本来、謀略は水のごとく無形でなければならない。無形であれば、相手はこちらの手をよめないからだ。しかし、現実には無形とは策がないことだから、無形の策はつくれない。ならばどうするか、無形にかりぎなく近い有形のピースを大量に集めるのだ。スプーンですくった砂糖が液体に見えるように、大量のピースで構成された有形は、まるで無形のように流動的に動く。このピースを生産するにあたって、必要なのが過去の経験則つまり道だ。つまり、道とは敵を欺き、騙し、陥れるためのツールであり、勝つための方法論なのだ。決して道徳やモラルではない。道徳やモラル、東洋における孔子の教えでさえ、実は欺きのためのツールにすぎない。つまり、自分は道徳に反することをやっておきながら、それは徹底的に報道させないようにして、相手に嘘の罪をきせて落としいれ、道徳で叩く。何もしらない一般民衆は教えられた道徳心によって、敵に怒りを覚え、殺意をもって襲い掛かる。敵は混乱し、劣勢になる。孔子の教えの本質は心に二つの棚をつくることだ。これが陰陽だ。つまり、自分の陣営がやった悪事はもみ消して、誰にもしられないようにする。相手の陣営の悪事は暴き、世界中に拡散する。もし、何もやってなかったらでっちあげて、陥れる。だから、外国の愛国者は、たとえ、自分が殺されても、外国に対して謝罪しない。謝罪するということは、国を滅ぼすことだと知っているからだ。自分が悪事をやっていても、それは棚に上げて、他人は徹底的に孔子の倫理を使って非難し、貶める。これによって、相手はひるみ、勢いを失う。こちらの民衆は相手を悪だと信じ込んでおり、本気で怒って勢いをましている。そして、作為的に暴動を起し、敵の国から出展している商店を襲わせ、しかも、民衆が怒った理由は襲われた国が悪いと世界に宣伝し、相手方が怒る勢いをそぐとともに、相手の国のマスコミやタレントを買収し、『いやいや、わが国も悪いのですよ』『私たちが大人の対応をしましょう』と言って敵国の民を騙し、勢いをそぐ。これが戦いの原理だ。戦いは水であり、その要点は、勢いと無形にある。その無形を作り出すために道があるのだ。わかったか」
祭童はニヤリと笑った。
「あの……正直意味がわかりません」
「最初は分からずともよい、徐々に理解していくのだ」
祭童はそう言うと腕を組んだ。
今回書いた内容は、中国人が読んでいる孫子、老子の極意はだいたいこんな感じの意味です。
アメリカ人もこの解釈で孫子、老子を運用しています。
日本で出版されている孫子、老子の解釈はかなり無茶苦茶です。しかし、歴史の勉強をして資料を集めてますと、黒田官兵衛や赤松円心はちゃんと意味通り、孫子や老子を理解しており、如水とは道は水なりの意味であり、円心とは循環とかウーダーループのことです。
恐らく、敗戦後のGHQの焚書によって地政学の本がほとんど償却処分にされてしまい、その後しばらく正確な孫子や老子の解釈を書いた本は検閲に引っかかって、
出版できなかったものと思われます。




