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第一章





 校門の前で、何やらネコたちが集まっていた。全部で六匹。リーダーらしき黒猫と向かい合って、それよりもやや小さなネコたちが五匹一直線に並んでいる。


「それでは『街角組合』の心得、復唱開始ニャー!」


 リーダーが二本足で立ち、応援団長のように腰に手を当てて叫ぶと、残りの五匹は「ニャ!」と気合いを入れて背筋を伸ばす。


「一つ、親分の決定には絶対に従うニャ!」

「親分の決定には絶対に従うニャ!」

「二つ、組合の仲間は兄弟ニャ。大事にするニャ!」

「組合の仲間は兄弟ニャ。大事にするニャ!」

「三つ、縄張りは命ニャ。断固死守するニャ!」

「縄張りは命ニャ。断固死守するニャ!」

「四つ! 常にネコの誇りを忘れるニャ!」

「常にネコの誇りを忘れるニャ!」

「五つ! マタタビには絶対に屈しないニャ!」


 と、ここで初めて復唱が遅れた。マタタビという言葉に反応して、五匹は互いに顔を見合わせている。それもそのはず。普通のネコが好むそれは、〈化外けがい〉のネコにとっても同様に大好物だ。匂いを嗅げば、どんな腕っ節の立つネコもたちまちただの柔らかな毛玉に早変わりである。


「ん? 復唱はどうしたニャ?」


 リーダーの怪訝そうな声に、慌てて残る五匹は耳をピンと立てて復唱する。


「マ、マタタビには絶対に屈しないニャー!」


 その声は明らかに無理をしていた。


「六つ、『駅前組合』のノラどもには絶対に負けないニャ!」

「『駅前組合』のノラどもには絶対に負けないニャ!」


 以上六つが、鬼灯町ほおずきちょうを二分する組合の片方である、駅前組合のメンバーならば誰もが空で唱えるべき六ヶ条のようだ。唱和を終えたリーダーは、満足げな顔をして自分の子分たちを見回す。


「よし、これにて解散ニャ! 見回り、開始ニャ!」

「ニャ!」


 耳に次いで尻尾もピンと立てて、五匹の子分はそれぞれの担当した方角へと散っていった。

 三枝さえぐさあかねは、この町立青嵐中学校創設者の胸像の陰に立って、ネコたちの短い集まりの一部始終を見ていた。六月にしては暑い日だ。強い日差しに、衣替えしたばかりの夏服の薄さが心地よい。ごく普通の白のブラウスにリボンタイ、それにチェックのスカートという、本当にありふれた制服だけれども、あかねはさほどこだわりを持っていない。

 軽く襟元を開いて、少しでも涼しい風を入れようとする。あんまり露骨にすると周囲の目がちょっと気になるので、ほんの少しだけ。髪も短く切っておいてよかった、と思う。家の手伝いで千早を着ることもあるので、カットしすぎると母親に怒られるのだが。やっぱり母親からすると、巫女の出で立ちには長い黒髪と相場が決まっているらしい。

 部活帰りの学生たちがあかねの前を通り過ぎていく。二年生のあかねには、下級生から同級生、上級生まで幅広い年代の学生たちだ。けれどもその中の誰一人として、今のネコたちの集まりに気づいたものはいない。せいぜい、散らばっていく五匹のネコたちを見て、ネコだネコだと指差すものがいるくらいだ。恐らく四つ足で走っているからだ。

 あかねは知っている。普通の人には、どんなに目を凝らしても二本足で立ち、しかも日本語を喋るネコという存在を見ることができないということを。彼ら化外は一般人の見る世界に確かに存在しているのだが、常識という壁が分厚く立ちはだかり、当たり障りのない何かに変えられてしまう。

 どんなに目の前でネコが二本足で立ち、しかも日本語で喋ろうとも、今ここにいる学生たちの目には写らない。仮に見えたとしても、ネコが丸くなってニャーニャー鳴いているようにしか見えないのだ。常識的な姿をして初めて、ネコたちは目に留まる。だから走っていくネコたちの姿は見えたのだ。

 あかねは知っている。この世界の裏側には、そういう化外たちが住む世界があることを。〈抜ケ道〉という不思議な経路を通して、自分はこちら側と向こう側を行き来することができる。自分だけではない。あのネコたちを初めとして、こちら側に暮らす化外たちは皆、元々は抜ケ道を使ってそちら側からやって来たのだ。けれども、それを知る人は少ない。


「あ、守役もりやくさんニャ。こんにちはですニャン」

「うん。こんにちは」


 五匹の子分が解散したのを見届けてから、黒猫はこちらにやって来た。あかねの足元に通りかかると、丁寧にあいさつする。ぬいぐるみが動いているようでコミカルだ。


「お努め、ご苦労様ですニャー」

「ううん。違うよ。今の私は学生。守役じゃないよ」

「ニャー? 違うんですかニャ」


 黒猫は首を傾げる。守役とは、あかねたち三枝家が代々受け継いできた役職だ。簡単に言えば、化外と人間との間を取り持つ調停役である。その昔、まだ人々が化外を見ることのできた時代には大忙しだった仕事だが、今は化外たちの便利屋に近い。日々起こる小さなトラブルを解決したり、手に負えない場合は他の化外を紹介したりするのが仕事だ。

 こう書くとただの使いっ走りのようだが、守役のバックにいるのはこの鬼灯町の北に位置する〈御山みやま〉こと鬼灯山の主である。あかねの家が鬼灯山の神社の神主をしているのは、それが理由だ。立場としてはかなり高い位のはずだが、ネコたちは敬意を払うものの尊敬はしていない。ネコたちが従うのは守役ではなくて、彼らの親分だ。


「そう。今の時間は学生だから、勉強したり運動したりするのがお仕事。町の安全は、君たちが代わりにやってくれているから、安心してこっちに専念できるよ。ありがとう」

「当然ニャ。三滝橋からこっちはウチたち街角組合の縄張りニャ。川向こうの駅前組合の奴らは子ネコ一匹であろうとも通さない覚悟ニャ!」

「うん。がんばってね」


 あかねの言葉に、黒猫は胸を張って得意満面な顔をする。ふかふかの胸毛を撫でたらさぞかし手触りが良さそうだとあかねは思うが、手を出すのは我慢する。町ネコたちは変にプライドが高く、普通のネコとして扱われるを結構嫌がるのだ。


「もちろんニャ! 守役さんもたまには親分の屋敷に来て欲しいニャ。いつでも歓迎するニャ」

「へえ、そうなんだ。おもてなしを期待しちゃってもいいのかな?」

「もちろんニャ! 姐さんが腕によりを掛けて作ってあげるニャ」


 あかねは一見すると人畜無害そうな顔をしているが、結構ちゃっかりしている。言質を取られた形になったけれども、それにも気づかず黒猫はにこやかに手を振ってあかねに別れを告げた。


「じゃ、ウチはこれで失礼するニャ」


 と言っても、あかねは接待など一切期待してはいない。何しろこのネコの化外たちは、お気楽さと脳天気を毛皮でくるんで道ばたに放り出したかのような生き物なのだ。明日になったらそんな約束などけろっと忘れていてもおかしくはない。


「……なんだか随分血気盛んだなあ」


 それに手を振りつつ、あかねは呟いた。

 足下に置いてあった、部活で使ったユニフォームやシューズの入ったバッグを持ち上げて肩に掛ける。当然のようにネコと話しているあかねだが、周囲の学生たちは誰一人それを不思議だと思うものはいない。きっと、あかねがネコを撫でているようにしか見えていないのだろう。化外が目の前にいても、それを化外として見ることが普通の人はできない。


「いくらネコたちにとって縄張り争いが日常茶飯事でも、見逃せなくなってきているかな」


 そんなたった一人の世界の中にいても、あかねは悲しそうな様子を見せることはない。何しろ、これから少し忙しくなりそうだからだ。陸上部の練習と平行して、ネコたちの動向を見ておく必要がある。


「守役として、ね」



 ◆◇◆◇◆◇



 鬼灯町は、北に鬼灯山を配置し、ふもとの平地に町を発展させ、さらにそれをなだらかに流れる三滝川で二分した、ちょうど京都のような町である。規模としてはそれよりも遙かに小さいが、鬼灯町も主な収入源は観光だ。明治の頃から続く古めかしい家並みは、日本各地から多くの観光客を引き寄せている。

 変わらないことをよしとし、時代の流れの中でのんびりとひなたぼっこをするカメのようにして生き延びてきた町が、この鬼灯町である。最近の変化と言えば、三滝川をかかる三滝橋のすぐ側に、新公園ができたことだろうか。ひまわり公園、と名前がついているが、町民の間では大抵新公園と言えば通じてしまう。

 その近くにまでさしかかったあかねが、突然歩みを止めた。何もない虚空に目を凝らして、うっとうしそうな顔をする。その視線が足元へと移動した。あかねの目には見えている。道を塞ぐようにして立ちはだかる、薄い光でできたスクリーンのようなものが。足元の空間には、まるで電柱に貼られた張り紙のように、一枚の札が浮いていた。

 明らかに、虚空に貼り付けられている。てん書体で何やら書かれているが、要するに通行禁止ということで間違いはない。あかねの後ろから来たお婆さんが、何食わぬ顔であかねを追い越し、先へと進んでいった。その先にあるのは三滝橋だ。あかねが突然道の真ん中で立ち止まっていても、何の感心も払わない。今のあかねは、化外の側にいるからだ。

 さっきからずっとこうだった。道のあちこちに化外と関係のあるものの行き来を阻む札が貼られ、非常に通りにくくなっている。直前まで仕切られていることに気づかず、額を何もない空間にぶつけたことは二度や三度ではない。端から見れば見事なパントマイムだが、やはりそれは化外の領域で行われることなので、誰の目にも留まらなかったのだが。

 どう見てもネコの仕業だ。札を貼り付けてある位置が非常に低いし、こんなことをするのは鬼灯町を取り仕切っているネコの化外に間違いはない。よく見ると、札には街角組合の紋所が描かれている。あかねは用心しつつも、空間から札を剥がした。たちまちスクリーンは消え、そこはただの道路に戻る。いったいどこからこんなものを調達したのだろう。

 その昔は妖怪や精霊、はたまた神仏の類として恐れられてきた化外である。魔法のような力を持つ化外も少なくはない。テングとも呼び習わされるカラスの化外たちはこういった術に長けていると聞いたことがあるから、彼らから買ったのだろうか。あかねの知っている限り、ネコの化外はこのような術を使うことはあまりなかったはずだ。


「だーかーら、なんでこんなことしてるんだよ。邪魔だろうが!」

「ニャニャン、今時の若者はバリケードって言葉も知らないのかニャ? とっても遅れているニャ」


 札を丁寧に折り畳んでスカートのポケットにしまっていると、不意に向こうから人の声に混じってネコの化外の声が聞こえてきた。新公園の方角だ。

 公園の入り口に近づくと、案の定そこに一匹の猫と一人の少年がいる。ネコの方は門の上で丸くなり、尻尾を下に垂らしてぶらぶらと左右に揺すっている。目も半ば閉じかけていて、相手を舐めきっているのが露骨に分かる顔付きだ。一方の少年は、あかねと同じ中学の制服を着ている。肌の色素が薄く、痩身の上に目つきがちょっと悪い。


「知らないわけないだろ! 俺が言っているのは、なんで勝手にこんなものを作っているのかってことだよ。迷惑だって言ってるのが分からないのか?」

「全然迷惑じゃないニャ。ちゃんと人間さんは通れるようにしてあるニャ。通れないのは化外だけニャ」

「化外の俺には思いっきり迷惑なんだよ! 町のど真ん中に勝手にこんなもの作るな!」


 少年がまくし立てているのは、ついさっきまであかねが町のあちこちで目にしてきた、通行禁止のスクリーンのことについてだ。あかねと同じようにあれにひっかかって随分と面倒な思いをしてきたらしい。少年は細い手を振り回してあれが邪魔だと主張しているが、ネコの方はカエルの面に水とばかりにけろりとしている。カエルではなくネコだが。


「回り道すればいいニャ」

「しれっと人に苦労を強いるな」

「運動だと思うといいニャ」

「なんでネコのお前が俺に運動しろと言うんだ」

「同じ町に生きる化外ニャ 苦楽は分かち合わないと駄目ニャ」

「苦は今分け合ってるかもしれないが、楽はいつ分け合ってるんだよ」


 ネコに化外と言われた少年は、その三白眼を見開いてネコに迫る。かなり怖い形相だ。


「え? えーと…………そのうち、ニャ?。それに、ここは町のど真ん中じゃないニャ」


 ネコが耳をぺたりと伏せて下手な言い訳をしたその瞬間、少年の背中が変化した。ワイシャツの背が突如盛り上がると、後ろの裾を跳ね上げて何かが鞭のように姿を現す。それはもの凄い勢いでネコに向かって伸びると、一瞬でその胴体を絡め取って宙づりにした。


「おい、毛玉野郎。あんまり埒があかないようなら実力行使してもいいんじゃないかって俺はだんだん思えてきたんだが」


 赤銅色の金属質に輝くそれは、人の肌の色とはかけ離れている。明らかにそれは尻尾、それも爬虫類の尾に非常に近い形をしていた。それは少年の背中から伸びている。尾の形だが、尾骨の辺りではないようだ。

 もし尾骨周辺から伸びているのだったら、ズボンを破るか下げる必要があるためそれを出すのには苦労したに違いない。実際は肩胛骨の下辺りから伸びているため、出すにはワイシャツの裾をズボンの中に入れなければいいだけだから楽だろう。自分の身長ほどもある長いそれを釣り竿のようにしならせ、少年はネコを自分の目の前に持っていく。


「くっ……苦しいニャ! 暴力反対ニャ! 反対ニャー! お巡りさーん! どこニャ! お巡りニャーんっ!」


 ネコは目を白黒させてもがくが、拘束が緩む様子は全くない。その締め上げる力の強さと、容赦のなさ。明らかにトカゲの尾ではない。獲物を絞め殺して丸呑みにする、ヘビの尾に間違いなかった。


「暴論は許して暴力は許さないってのは、ちょっと不合理じゃないか?」


 なおも三白眼のまま苛ついた様子の少年の肩に、そっとあかねは手を置いた。


「はいはい、それくらいにしてね、ノリト君」

「…………なんだ、あかねか」


 首だけで振り向いた少年は、一目で誰か分かったらしく苦い顔をする。


「も、守役さん……た、助かったニャ…………!」


 一方で天の助けとばかりにあからさまにほっとした顔をしたのは、ぐるぐる巻きにされたネコの方だ。


「ほらほらほらほら、その尻尾を早く離すニャ。守役さんがいる前でまさか喧嘩を始めるって度胸が君にあるとは思えないニャ。ニャニャニャニャニャ」


 ご丁寧にも「ニャ」という音で笑っている。


「やかましいんだよ」


 ノリトと呼ばれた少年は、調子に乗っているネコを尾をしならせて空中に放り投げた。


「ニャー!?」


 放物線を描いて空中を舞うネコの体が、その最高度でくるりと反転する。


「甘いニャ。ネコの体の身軽さ、舐めてもらっちゃ困るニャ!」


 器用に両足から着地したネコを見て、ノリトは鼻で笑う。


「それを知っててやったんだよ」


 どうやら本気でぶん投げたつもりではなかったらしい。


「ノリト君、あんまりいじめちゃ駄目だよ」


 けれども念のため、あかねは彼にそう言う。ノリトとあかねとは初対面ではない。あかねが化外が見えるとはいえ純正の人間であるのに対し、ノリトは外見こそおおよそ人間だが、れっきとした化外である。

 と言っても、彼はネコの化外ではない。鬼灯山を拠点とし、山の主であるハクメンに仕えるヘビの化外である。ほとんどのヘビの化外は、頭と尾がヘビで体が二足歩行をするトカゲのような姿だが、ノリトたちの一族は人間とほぼ変わらない姿形でいることができる。元々は、守役を監視する役職にいたらしい。


「いじめるわけないだろ。こんなチビども」


 ノリトの言葉と共に、その尾がするすると体内に引っ込んでいく。人の姿を取ることができるからか、ノリトは普通の人間として中学校に通っている。一応はあかねの補佐としての立場に任命されているらしく、何かとあかねと行動を共にすることが多い。


「ニャあん? 今聞き捨てならない言葉を聞いたような気がしたニャア。その尻尾でオイラを雑巾みたいに絞ろうとしていたのはどこの誰かニャ? ほら、守役さん、いじめっ子にはきつくお仕置きするニャ」


 懲りずにネコは戻ってくるなり、あかねの足元で何やら息巻いている。


「おいおい、ってことはお前、俺にいじめられてたんだ」


 それに反応したのはあかねではなくノリトの方だった。


「ニャ?」

「そうかそうか、そいつは悪かったなあ。てっきり、一緒にふざけてくれてたのかと思ってたよ。いや、本当に済まなかった」

「ニャ? ニャ?」


 話の方向が分からず、ネコは目をしばたたかせてノリトの方を見ている。


「だってそうだろ。畏れ多くも泣く子ネコも黙る街角組合のメンバーともあろうものが、御山の若造程度にいじめられて守役に泣き付くって格好悪いこと、本気でやってるとは思わなかったんだよ。いやいや、山に帰ったらみんなに教えてやろうかなあ」


 意地悪くノリトは笑う。化外たちは鬼灯山のことを、敬意を払って御山と呼ぶことが多い。


「ニャ! ニャ! それは止めるニャ! 止めて欲しいニャ!」


 ノリトの言葉の意味が分かり、慌ててネコはその場でぴょんぴょんと跳びはねて止めさせようとする。


「ってことは?」

「もちろん、ただの遊びニャ。ふざけていただけニャ。オイラが本気になればお前の貧相な尻尾くらい、簡単に抜け出せたニャ」


 誘導尋問そのものだが、ネコはあっさりと前言を撤回した。自分はノリトにやられていたのではない。単に遊びに付き合ってやっただけだ、と見栄を張ったのだ。それが分かったらしく、ノリトはさらにその意地悪げな笑みを深くした。


「そうかい。じゃ、今度は本気で絞めさせてもらおうかな」


 同時に背から尾が伸びるなり、ネコに突きつけられる。


「ニャッ!?」


 ネコの背中の毛が逆立ったのもつかの間、一瞬でノリトの尾は背中にしまわれた。


「冗談だ。邪魔したな」


 くるりと背を向けると、ノリトは何事もなかったかのように、カバンを手に歩き出した。


「あ、待ってよ」


 その背中をあかねは追いかける。


「何だよ。今日は特別用事はないだろ?」

「そうだけどさ。せっかくだから一緒に帰ろう? 御山まで行くんでしょ?」


 屈託なく話しかけてくるあかねに、ノリトは眉をひそめる。付き合いきれない、と言わんばかりに彼は肩をすくめた。


「何が楽しくて、用事もない時までお前みたいな守役と一緒に…………」


 そこまで言いかけてから、ノリトは口を閉じた。あかねが悲しそうな顔をしていたからだ。


「あ、いや。言い過ぎた。そうだな。別にやぶさかじゃない」


 すぐさまノリトは言い直す。顔つきも目つきも体つきもどうも悪いノリトだが、性格まではねじ曲がってはいないようだ。


「えへへ、よかった」


 泣いたカラスがもう笑ったと言わんばかりの表情の転換の速さに、ノリトは呆れたように鼻から息を吐く。


「ふん。百面相なのは相変わらずだな。このタヌキ女」

「私はタヌキじゃないけどね。どっちかっていうと……ヘビ?」


 よりによって嫌いな人間の多いヘビに、なぜかあかねは自分をなぞらえた。それに対して、ノリトは軽口を叩くこともなく、真面目な顔で首を左右に振った。


「それはないな。お前じゃ絶対ヘビにはなれない。お前は正真正銘人間だよ」





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