中編
中
凱旋してきた皇子・戰を、祖国の民草は明るく暖かく迎え入れたが、その父である皇帝・景と皇子兄弟達は、ドス黒く裏黒い様子を隠そうともしない暗い笑顔で迎え入れた。
正直すぎるだろ、と真は思いつつも、これでようやく家に戻ることが出来ると、他の兵卒と同様にホッとしていた。やりようによっては、この先の皇子・戰の周辺に、戦場よりも酸鼻な血の雨が降るものと身構えてもいた。しかし、自分は彼らにとっては、最も興をそがれる作戦を立案したはずだ。覇王の星と月と相とに護られていながら、華々しい武勲の果てに勝利を得るのでなく、まるで何もせずに棚ぼた式に望みを繋ぐしか脳のない皇子と、今回の戦で見限られたはずだ。
まあ、うっとおしい事にはならないだろ、と真は欠伸を噛み殺しつつ馬上で揺られていた。
★★★
真の目論見は、しかしあっさりと覆された。家に帰ってくるなり、父・優の鉄拳が頭に飛んだのだ。
「痛いですね、長い戦から勝利を得て帰ってきた息子に、どんな挨拶です」
「喧しいわ! この馬鹿もんが!」
「馬鹿……よく言われますね、その馬鹿の知恵に縋られたのは父上ではありませんか」
例によって本棚まで吹き飛ばされ、蔵書の雪崩にあいながら、真がもそもそと不満を口にする。
「阿呆! 上手く立ち回れと言うたではないか!」
「馬鹿だの・阿呆だの……全く、息子を何だと。しかし父上、私はこの上もなく上手く立ち回ったつもりですよ? 我が国は勝利を得、祭の国はほぼ無傷で吾国の領土となり、さりとて皇子は戦場で華々しく駆け回って武勇を誇ったわけではなく、逆に穴熊宜しく引っ込んで、あちらが降伏するまでのんびりと構えていただけです。これ以上、どのように上手く立ち回れば宜しかったのです?」
「そちらは良い、及第点をとらす」
話が終わってもいないのに、父・優は下男を呼びつける。手が以前の倍近く腫れ上がっている。じんじんという疼痛が聞こえてきそうだなあと、真はのんびりと父親の右腕をみつめていた。
「では、何が問題だと言うのです?」
「祭の国の、姫君だ」
「祭の国の姫君? ああ、椿姫様の事ですか?」
つい・と顎を上げ、そこに軽く握った拳を当てながら、真は思い出した。和睦という名の全面降伏を申し入れてきた祭の国の城にあがった時、皇子・戰はそれまでの優しい仮面をかなぐり捨てて、初めて厳しい形相になった。諸侯のみならず祭国王自らが、娘である姫君を和議の証だてとして、差し出すというのだ。
「私は和議をするために此処に参ったのだ。蹂躙するために来たのではない」
厳しく申し渡す皇子・戰の言葉に、祭国王を初め諸侯は顔を見合わせると、ホッと息をなでおろした。その後、両国間の主従関係を結ぶ儀式を取り交わし、宴の席になった。誠意ある態度を一貫して崩さない皇子に、祭国王を始め、皆が心を開き始めていた。宴のたけなわとなった時、まだ幼いといえる少女を先頭においた楽団が現れ、一層喧しく高らかに楽想を奏でだした。
口に運ぼうとした酒を盛った盃が、戰の手が、止まる。中央に位置する少女は、朗らかな笑顔で唄を歌いながら踊る。年に似合わぬ豊かな髪を結い上げ、左右に白い大きな椿の髪飾りをさし踊る少女は、まるでこの世ならざるもののように見えた。
「白椿の妖精のようだ……」
戰が呟くのを、隣に座っていた真は、おいおい~……と呆れて聞いていた。
「その椿姫様がどうだと言うのです?」
「皇子様がお連れになったのは知っているな?」
「はあ、まあ、一応戦利品という名目は立てておりますが、まあ有り体に言えば彼女を気に入って手放したくないのでしょうね」
誤魔化す為に敢えて言葉を汚くしてはいるが、微笑ましいと真は思っていた。
翌日、その大きな身体を小さくさせて、おずおずと真の元に相談しに来た。あのような幼女に本気で触手を伸ばすのかと呆れたのだが、純粋に彼女の奏でる唄や音楽に心を揺さぶられたのだという。
「昨日の……その、姫の話だが……」
「はい?」
「あのように格好よく撥ね付けておきながら、やはり欲しいと申し出てはいかぬものだろうか?」
「はあ」
正直笑いを噛み殺しながら、真は祭国王に掛け合った。人質としてではなく、姫君を友好の使者として吾国・禍に招き入れたい、禍に滞在中は、皇子・戰の名のもとに質などではなく正式な使者としての立場を貫かせて頂き、両国間の友好を皇帝陛下に証だてする絆の姫君として遇する故、何卒お許し願いたいと。祭国王にしてみれば、たとえ姫君が人質として禍国に連れてゆかれたとしても文句の言いようがないところを、このようの寛大な申し出を受け、感謝と感激の涙を流しながら頷いた。
直様、戰のもとにやってきた姫君は、当初、幼い身体を小さくさせて困惑に仔雀のように震えていたが、戰に「あの時の楽曲を是非もう一度奏でては貰えないだろうか」と優しく懇願されて、落ち着きを取り戻したらしい。まずは、扇を取り出して、おずおずと歌いながら舞いだした。その様子を見つめる優しい戰の視線に心を強くしたのか、次は琴を取り出して優雅に爪弾きだした。
「優しい音色だね」
表情を和ませて聞き惚れる戰に、姫君は頬を赤らめながら爪弾く手を休めず次々に曲を奏で続けた。そんな様子を見て、真はやれやれと肩をすくめた。
真としては、戰が完全無欠状態であっては逆に困るところだった。幼い姫に無体に手を出したと思わせる事ができれば、皇帝陛下だけでなく彼を忌み嫌い追い落とそうと画策している他の皇子たちも失笑しつつも、その程度の男とみなし、以後相手にされることは薄れるだろう。
皇子・戰と椿姫、どうやら互いに音楽で結ばれるだけの淡い関係で終わりそうな二人を、下衆な勘ぐりで汚すのもどうかと思ったが、まあこれで自分だけでなく戰も身を守る事ができるはずだと、真は胸をなでおろした。
暫く共に生活するうちに真は、皇子・戰に何というか、ぶっちゃけて言ってしまえば『情が移った』のだ。当初は、番犬の役割を果たし、実家に危害が及ぶのを避ければよかろう、皇子の立場なんぞ知るものかいと思っていた。しかし、この戰という勇ましい名と、星と月と相とに護られたという皇子に関わるうちに、何か、何というか、言葉にできない感情を持つに至ったのだ……と・思う。
「皇子様が、姫君をお連れするのが、一体何が問題だと?」
「姫を取り合って、他の皇子たちが騒ぎ始めておる」
うわ~……と、真は腹の中で、呆れた声を響かせた。
「それだけならまだしも、皇太子殿下までが、その姫君にどうやら執心された」
やめてくれ~……と、再び真は腹の中で、身悶える。
「連れてこられた皇子様が、姫君を差し出すことは有り得ぬと断固拒否された。祭の国の手前盟約を違える事は確かに出来ぬが、こそりと姫を出せは良いものを、皇子様は拒絶されて姫君を手に屋敷に篭られてしまわれた」
「で、皇子様の監督不行き届きで我が家に災禍が降りかかった……と」
そうだと頷く父・優を前に、真はぼりぼりと頭をかいた。まあ、あの戰様ならやりかねないなあと呆れつつも、さてこの災難をどう乗り切る? と頭を高速回転させる。
その時、父・優の手当に訪れたと思っていた下男が、平伏したまま小さく告げた。
「恐れながら申し上げます。皇子・戰殿下より、真様に直様宮中に上がれとの命が……」
きたか~……と、真はため息をついた。戰とても、頼りになる人物などはほぼ皆無に等しい。頼るとなれば、此度の戦で某かの縁をもった自分くらいであるのは、容易に想像がつく。そして彼が自分を呼び出した以上、この家と自分は、今回の騒動の渦の最も深い処に放り出されたのだ。
「真、今度こそ上手く立ち回れ」
父・優の勝手な命令に真は、はあ・と短く答えた。
★★★
王宮内にある、戰の居室に赴く。王宮というから、華やかな場所ばかりと思っていたが、元はその母麗美人の室であったという彼の居室は、落ち着いた簡素な面持ちの部屋だった。どちらかというと華美な装いが苦手な真はそれだけの事で、へえ? とこの皇子への評価を上げた。まあ彼の母・麗美人が、豪奢絢爛な世界を知ることなくこの世を去ったせいもあるだろうが。
「来てくれたかい、真」
喜びを顕に名を呼ばれると、流石に真も感動を覚える。ああしかし、駄目だ駄目だ。絆されてはいけない。此処は気を引き締めてかからないといけない……。
「如何されましたか、皇子様」
戰と名を呼ばなかった事に、あからさまな不快感を示す皇子に、普通は逆だろうとくすりと笑みをこぼしかける。いかんいかん、気を引き締めねば……。
「実は、困った事になってね、助けて欲しいんだ」
「はい」
「実は、祭の国の姫なのだが、兄上たちのみならず父上までもがご執心召されておられてな」
「はいっ!?」
頓狂な声を思わずあげてしまった真を、戰は笑った。
「良かった、いつもの真だ、何だ王宮だからといって畏まることなんかないのに」
「いえ、そう言う訳では……」
しかし、皇帝陛下もどういうおつもりなのか。椿姫様は確か御年13かそこら。対して陛下は60をとうに超えられている。……正直、幼女趣味もここまで行かれると、気持ちが悪くて吐き気が止まらない。
ふと、戰が額に飾られた誰かの似姿絵を仰いでいるのをしり、そちらに目を向けた。あっ!? となる。そこには、芍薬の華に囲まれて微笑む椿姫の姿があった。
「母・麗美人だよ」
そういうことか~……と真は頭を抱えた。戰も、何も彼女の奏でる楽曲だけに心を囚われた訳ではなかったのだ。意識もない頃より、似姿絵でしか母の姿を見ることの叶わなかった彼が、たまたま、その姿を少女の中に見つけた。姿ばかりでなく性根までもが聞き及ぶ母・麗美人のように心安らぐ存在であった椿姫を、戰は皇帝・景に純粋に会わせたかったのだろう。
何も言わずにとも全てを悟り、真は顎に手を当てて考え込む。
「それで、皇帝陛下は?」
「椿を寝所にあげよと所望されている」
「――椿?」
流石に敬語を使ってはいるが、苦々しげに答える戰が姫君を呼び捨てている事に気がつき、真は語尾を上げる。戰が慌てたように、ふい・と顔を背けた。背けた顔は耳まで赤い。
はあ~ん……何だ、結局この人もそういう事ですか、馬鹿正直すぎですよ。ぼりぼりと真は頭をかいた。殴られた箇所にたんこぶがうっすらと出来ており、指が当たるとほのかな疼痛がした。
★★★
「ようこそ参られました」
鈴を転がすかのような声がして、真が振り返るとそこに茶器の用意をさせて佇む蓮才人の姿があった。蓮才人は戰の後見人を買って出ている、彼の母・麗美人と出自を同じくする人だ。
同じ王族の出であらればと皇帝・景に望まれて後宮に上がった彼女は、姿・はまあ見目麗しい部類に入るというのに、性質はまるで麗美人と異なっていた。というよりも真逆であった。どのような虐めに対しても決して屈服することなく、逆に立ち向かってみせるという豪の腹を持つ人だった。経緯は詳らかではないが、大立ち回りまでやってのけ、その腕っ節一本で見事叩きのめしてしまった話は知らぬ者はいない。その胆力があれば男として生まれていれば一廉の将軍にもなれようにと、父・優ですら密かに褒め称える程、有名曰くつきの後宮の華だ。
椅子を降りて礼儀を正す真に、蓮才人はほほほ……と鈴を転がすかのような美しい声で笑った。
「何を遠慮なさりますか。皇子様がようよう、ご腹心となられる御方を見つけられて、妾は嬉しいのです。ささ、表を上げて下さいませ」
「はあ」
聞いていた蓮才人の豪胆さからは程遠い美しくも柳のような流麗な所作に、思わず見惚れるが、いかんいかん、これも彼らの手管に違いないのだと真は首を振る。そんな真の様子を、ふふ・と楽しげに目を細めて、蓮才人は笑う。
「それで、如何様に椿の姫君をお助けあられるのでしょう?」
促されて椅子に座る真の目の前に座りながら、蓮才人がズバリと聞いてきた。
「如何様に……と申されましても、まあ後宮にと陛下が望まれるのであれば、姫君も抗う術はありませんしね」
「それは困るよ。椿……姫は、必ず祭の国へ返してやらねばならないんだ」
「本当に、返してしまわれて、お宜しいので?」
蓮才人は、今度は言葉の刃を戰に向ける。う……と言葉に詰まる戰に、ふふ・と楽しげに笑う。
庭の方で咲き誇る華の側で、椿姫が琴を奏で始めた。皆で耳を傾けてしまうほど、美しく儚げでかつ麗しい音色だ。そのそばで、甲高い幼女の笑い声が上がっている。確か蓮才人の娘である、薔姫とか言ったなあ……。
「実は真、椿……姫だけでなく、蓮才人のご相談にものって差し上げて欲しいのだ」
「はい?」
「私の義理妹・薔姫を、助けてやって欲しい」
蓮才人腹の姫君・薔――
同じように、星見や月読たちに運勢を占って貰った折に、その運気の強さからどのような男の運気も一蹴するとされた。要は、『男殺し』の星の元に産まれたのだ。
「薔姫様の御年は……」
「5歳だ」
短く答える戰の声は、苦虫を数万匹一度に噛んだかように苦みばしっている。見れば、先ほどまでの艶然とした態度は何処へ、蓮才人は袂を口元に寄せて涙を堪えている。かような運気を持つ姫君を、例え姫君であろうとも娶ろうなどという特異な男はまずいない。
そして、その運気故に、密かに何処かの国を滅ぼす為にと婚儀の話が進んでいるらしいと聞く。嫁した相手が王なり皇帝なりであれば、その男の運気を吸い取り、遂には蹴散らすのだ。しかし、姫君の生まれ持った天性の星を見破られれば、彼女はどうなるか、考える合間も要らぬ事だった。
「お願いです、真。妾の娘を助けてやっておくれ」
う~ん……と真は唸った。椿姫と薔姫。なる程、二人の姫君を何とか助けたいという気概が、珍しく湧いてくる。礼儀作法などもぶっ飛ばして、腕を組んで、真は天を仰ぐ。二人の言い分は正しく、自分も共感する。というよりも、普通の感覚の人間であるのならば、自分のように思うだろう。
さてしかし、どうやって助けたものか。蓮才人の様子から勘ぐるに、既に水面下で薔姫輿入れの話は進められているのだろう。そしてその勢力は、才人という四品の位である彼女では太刀打ち出来ぬ身分なのだと容易に想像がつく。
「何とかならないか、真」
う~ん……と真は唸った。何とかする手立てはある。あるにはある。しかしそれは……。
「一度、薔姫様にお会いできませぬでしょうか?」
腕組を解いた真に、蓮才人は縋るような面持ちで何度も頷いた。
「薔や」
蓮才人が声をかけると、椿と向かい合って座り、今は花遊びに興じていた姫君がくるりと振り向いた。
「お母上様?」
手に小さな花束をつくり、にこにこと笑いながら駆け寄ってくる。同じ年の頃の少女よりも幾分小柄であるようだが、健康そうに日焼けした丸顔に、ぷっくりとした艶やかな頬に黒色の濃い瞳が元気そうに輝いている。取り立てて美人という訳ではないが、子供らしい愛らしさと元気さが取り柄の王女なのだとわかる。そしてその屈託ない、裏のまるでない笑顔から、皆に愛されているのだろう、という事も。
「まあ、可愛らしい花束ですこと。椿姫様と?」
「はい、椿姫は本当にこういう遊びが上手なの」
にこにこと笑う『男殺し』の薔姫は、だが見る限り本当にただの5歳の童女だ。こんな姫君を、戦に利用しようとするのか……。胃の腑あたりが、むかむかし出すのを真は必死でこらえた。目が眇められるを、止められない。不敬罪で捉えられ打ち首、いや斬首されるのは目に見えていて、痛そうだからやる気はないだのが、皇帝陛下の真ん前に乗り込み「この糞助兵衛狒々爺!」と叫んでやりたくはなった。
「戰様」
「なんだい、真」
「私の申し上げる通りに、動いて下さいますか?」
喜々として、戰が頷いた。その様子をみて、ああ、結局上手いことのせられたなあ~……と真は、後ろ頭をぼりぼりとかいた。
父・優に付けられたたんこぶは、まだじくじくと傷んだ。