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前編




「皇帝陛下に謁見を賜る事となった」

「へ~え、そうですか」



 と本から顔も上げずに答えたしんに、父・ゆうの鉄拳が飛んだ。

 その優しげな女性的な名前とは裏腹に、父・優は、武人畑の豪胆の人だ。

 今を時めくこの強大な帝国・禍国かこくの宰相にして兵部尚書、という地位に長らく就いている。それが為、優の鉄拳は、岩を至近距離で遠慮会釈なくぶつけられるよりも十数倍痛いうえに、神風的な破壊力があった。故に真は、父・優の剛力により本の山へと吹き飛ばされ、雪崩を起こした哀れな蔵書に埋もれる形となった。


「馬鹿もんが、栄誉を賜ったのは、お前だ」

「はあ、何だ私が謁見……わたし!?」

 本の瓦礫の中からもさもさと上体を起こし、ぶつぶつと文句を口の中で唱えていた真は、ようやく頓狂な声を上げた。

「私なんぞが謁見する栄誉を賜って、何の得になるというのですか?」

「阿呆、お前の思惑なんぞ、どうでもいい」

 はあ、と真は、本に腰まで浸かりながら、項垂れるようにして答える。

 兵部尚書として国を支える父は、その豪放な性格と高潔な為人ひととなりで、王都の町雀たちには、つとに有名であり人気もある。

 が、それが為にその向こうすねを打つ道具として、側妾腹の自分の存在は、何かと利用されるものだという事を、少年は熟解している。


 しかし、好きで生まれてきたわけではない。

 産んでくれと頼んだわけでもない。

 父親は母親を愛しており、側室にしては優遇している。その証拠が、真に与えたこの書庫だ。皇子みこが備えている、と言っても可笑しくない程の蔵書量を誇るまでに、いつの間にか買い与えてくれていた。

 しかし、所詮は妾とその息子としての立場である。

 それを父・優は、崩させる事は、決してない。

 その程度だ。

 だから自分も父親にそれ以上を望むことは、今までの、17年という短い人生の中で一度たりともした事はなかった。これからもない。無論の事、望めば母親もろとも、自身はこれまで生きてはいなかったという厳しい現実もあるが。


「何か面倒事に巻き込まれましたね、父上」

「そうだ、だから上手く回避して来い」

 優しさの欠片もなく、父・優は真に命じた。

 親子であっても、側妾腹の真は子供ではなく、奴隷と変わらぬ所有物もの、つまり財産のひとつでしかない。それであるのに、二人きりであるときは、「父」と呼ぶことを自然に許してくれている。

 ――それでまあ、満足しておくべきなのでしょうね。

 何を考えておられるのやら、と逆に父の立場を案じて嘆息しつつ、このぞんざい過ぎる口調に何も感じない父を、別の意味で凄いと真は思っている。


「わかりました、まあ、何とかしてきます」

 うむ、と父・優は最もらしく頷き、そして手当の為に下男を呼んだ。殴った拳が真っ赤に腫れあがっていた。息子の唯一と言って良い身体的優位、石頭を忘れていたらしい。




 数日後。

 父・優が若かりし日に袖を通したという深衣しんいを纏い、少年・真は覺束ぬ手綱捌きで馬を操り、家を出た。



 ★★★



「お前が、宰相にして兵部尚書・優が息子、しんであるか」

「……」


 時の禍国かこく皇帝・けいが厳かに告げる言葉を、真は平伏の姿勢を崩さずにただ聞き入る。無位・無官・無職の真には、言葉を発する権利すらない。虫螻以下の存在は、無言をもって答えるのが礼節だ。

「お前に、我が息子・せんの目付を命じる」

 真の態度に満足を見せる事もなく、皇帝・けいは、ぞんざいに命じる。


 皇帝・けいの息子、つまり皇子みこである戰は、今年18歳、真より一つ年上となる。その出自は麗美人れいびじんの腹であり、つまりはかなり下に見られて致し方なかった。

 皇帝には正式に皇后もおれば、三夫人と呼ばれる貴妃・淑妃・徳妃という正一品のお妃方、さらに九嬪と呼ばれる正二品のお妃方、さらにさらに婕妤しょうよと呼ばれる正三品のお妃方、さらにさらにさらに世婦と呼ばれる美人・才人という正四品のお妃方、寶林という正五品の御方、御女という正六品の御方、采女という正七品の御方……とまあ、ぞろぞろ・延々と続くので、そろそろ割愛するが、それはもう後宮には、相当数・星の数ほどの妃が存在する。


 この戦国の世において。

 『吾国こそは至尊、我こそは皇帝』と名乗りさえすれば国と皇帝と見做される時代において、この『』という国は実に50年三代を数えるに至り、代を重ねる毎に範図を広げ、その名は天涯随一たらんと大いに知らしめている。

 つまりは、この中華平原の大国であり強国なり、と他国に畏怖をもって見上げられる国なのだ。

 禍国かこく

 その禍々しい名に反して、国は実に良く栄え潤っており、まるで戦乱を知らぬかのように天下に存在している。


 時の三代皇帝・景は、その辣腕豪勇さで諸国に勇名を知らしめていた。

 が、よくある話で、人生も脂の乗りありとあらゆる面において熟した壮年からそろそろ脱して、枯れた老年に差し掛かろうかという時期に、一人の美貌の乙女に出会った。

 それが、せんの母である、楼国ろうこくの王女・れいだった。

 蹂躙し尽くした他国の城の中で、怯えて震える王室に連なる美少女を見つけた兵士がやる事と言えば、在り来たりにただ一つ。が、あわやという時に、救い出したがのが皇帝自身であった。

 国を失い家族を奪われ、傷つき、心を閉ざした少女を優しく見舞ううちに、皇帝の中に憐憫以外の感情が育つのは容易だった。この時、皇帝に自身を求められた少女が、どのような気持ちで己の国を滅した男に身体を差し出したかは伺い知れない。が、拒みなどすれば、彼女と彼女の祖国は、生き延びることを許されなかったことだろう。


 皇帝・景の、王女・麗への寵愛は度を越していた。彼女の部屋にほぼ篭もりきりとなり、やがて執務にすら彼女に与えた部屋より向かう有様となる。

 やがて身篭った彼女を、皇帝・景はことのほか喜び、美人の位を授けた。

 王女といえど攻め滅ぼされた国の出自、彼女の身分を思えば過分すぎる程であり、これでは後宮の女達の嫉妬を買うなという方がどだい無理な話だった。麗美人は、後宮に馴染めずと言えば聞こえが良いが早い話が、悪意ある女の底知れぬ槍玉にあたり、体調を崩してしまう。

 しかし、年若いとはいえ、母の身の上となった女性はやはり強かった。

 麗美人は最後の力を振りしぼり、腹の子――皇帝の皇子みこをこの世に送り出した。

 それが、皇子みこせんだ。

 直ちに星見と月読、人相位を占う占術眼を持つ陰陽や星占を司る者たちが、麗美人の産屋うぶやへと送られた。彼らの占いは皆一致していた。


 ――すなわち。

 生まれいでた皇子様は、この乱世を治める覇王となられる宿星の下に生まれられた、星を集わせ天を従える麗しい顔相を持つ素晴らしい皇子であると。


 だが、代償は大きかった。

 重い産褥から立ち直る事が遂に叶わなかったのだ。初乳をすら、赤子のその口に含ませてやる事すらできず、幼いせんを残して麗美人は儚い存在となる。

 皇帝・景は、深く寵愛した麗美人の腹出の皇子・戰を、他のどのような身分の妃から産まれた皇子よりも愛した。過分すぎる教育を彼に施し、期待を見せつける。

 しかし時が流れるにつれ、老齢に浸かりだした皇帝・景は今度は己の権力を他者に渡すことが惜しく、いや恐ろしくなってきた。年老いて、それまでの賢明さを何処にうっちゃってきてしまったのかと皆が驚く程に、暗愚な支配者へと様変わりを始めた。

 だが、権力欲を欲する者にとって、暗愚な王者は実に甘美な味のするものだ。その耳に、疑心暗鬼の種を注ぎ込む者が現れるのは必然と言えた。


 ――皇子・戰様をこのままにしておかれるおつもりで? かの皇子様の星占どもの言葉を、よぅく思い起こしてくださいませ。

 ――覇王の星。

 ――そう、それは言うなれば、皇帝陛下、陛下をも討つ宿星でもあるのです……。



 成る程ねえ、と真は苦笑いの苦虫を、腹の中で数千匹纏めて噛み潰した。

 表立って顔に浮かべれば、即刻首が飛ぶのは目に見えているからだ。

 それで私に『目付』ですか。

 誰だか知りませんが、まあよく考えたものですよ。

 父・優は、武人畑とはいえ宰相にまで登り詰めた、ようは『叩き上げ』だ。親の代から、その血筋のみが頼りの諸侯や貴族の門閥の出の覚えは、すこぶる良くない。というよりも、率直に悪い。

 有り体に言えば、皇子・戰の存在を気に入らぬ、と思っている門閥を背景に肥太っている数多あまたのお妃連中が、寄って集ってかの皇子を潰しにかかってきた、その相談を受けた何処の誰かは知らないがその者が、まあついでに気に入らぬ宰相であり兵部尚書でもある父上をも、共に叩き潰してしまおう・という魂胆で、無位無官の自分を引っ張り出してきた、と云うわけですね。


 ――面倒くさいな。

 と正直、真は思う。

 確かに自分は側妾腹だ。本来なら、父である宰相の家財道具、財産の一部程度の扱いを受ける程度の存在だ。その自分に機会を与える、と言えば聞こえはいいが、要するに、とっとと『ヘマ』を犯して一族郎党首り殺す良い口実を作れ、と云うことに他ならない。


 面倒くさい、ともう一度、真は思った。

 正妻の腹の兄達は皆認められ、それぞれに元服を済ませ官位を授かり宮中に出入りしている。それを母は嘆いたことなど、一度もない。逆に、日の目を見る立場などに踊りででもすれば、息子の命が危うくなることを、これまでの生活で充分すぎるほどに知り尽くしているからだ。

 それであればこそ、真は父が与えて呉れたあの書庫で、一生を本に埋もれさせて終えるつもりでいたのだ。まあ、それがなくとも、真は世に出るつもりはさらさらなく、書庫の中で野垂れ死にたいとすら思っているのだが。

 さて。

 その自分を、表舞台に引きずり出そうなどというお方は、一体何処の何方なのでしょうか?


「此度、皇子・戰を総大将として、隣国・さいを討つ。その目付として、そちも同行せよ、良いな」

 目付・ですか……言葉ずら(・・)は良いですが、まあいいところ番犬いぬですね。

 皇帝陛下の有難いお言葉を、真は腹の中ではやれやれと、表面上は勿体無くも恭しく受け取った。



 帰宅した真は、ぽいぽいと纏っていた深衣しんいを脱ぎ捨てて、何時もの褲褶こしゅうに着替えた。息子の生まれて初めての晴れ姿に、物陰から見守っていた母が嬉し涙を流して呉れていた事は知っているが、正直、此方の方が自分にはしっくりくる。

 下男に、此れから暫くの間は書庫で食事をとるので、握飯と茹で卵、手でつまみ易い食事を用意して下さい、と頼んだ。こうべを下げてさがろうとする下男を、真は、あっと、と手を伸ばして引き止める。

「後、もうひとつ」

「はい、何で御座いましょうか」

「父上がこの書庫に突撃して来ても、身体を張って止めて下さい」

「――はあっ!?」

「それがこの禍国の、いえ天下国家の御為なのです」

 宜しく頼みましたよ、と命じると、真は返答も待たずに、とっとと書庫の中に篭る。哀れなのは、命じられた下男だ。死と隣り合わせの難題を押し付けられた下男は、書庫の扉の前で、青い顔をして呆然と立ち尽くしていた。



 むっ、と腕捲くりをして蔵書の山に向かう。

「さて、はじめますか」

 誰に言うともなく一言かけ、真が次々に取り出すのは、祭国周辺の地理や気候、風土記などを記した書物木簡の礼束である。それらを、ざっと音をたてて一気に机の上に広げると同時に、真は文字の海に没頭する。最早、自分の世界に浸りきっている彼には、世の中の事など、目にも耳にも入らない。

 それは、書庫に拳を振り上げて突進してきた父・優が、帰宅の挨拶がないだの、皇帝陛下からの御言葉は何であったのかだの、守備はどうだったのかだの、やいのやいのと騒いでいたのに、全く気がつかない程であった。



 ★★★



 玉座。

 と・までは当然いかないが、皇子に相応しい豪奢な椅子に腰掛ける青年の前に、真はひれ伏している。皇帝・景との謁見から数日後の今日、本日は、此度の出陣が初陣となる、件の皇子・戰との謁見の日であった。

 実は、真は皇子・せんを知らない。

 会ったこともない。

 当然だ。

 そもそも自分は、官位も品位も職位もない、いや持つことが許されない側室の出なのだ。王宮へ上がったこともなければ、自宅からは父・優の申し付け以外で出ることの叶わぬ身分なのだ。

 これが、皇子・戰と真との、初顔合わせとなる。



「私が戰だ。以後、見知りおいてくれ」

「はあ」

 思わず真は適当に答えてしまい、慌てて周囲を見渡した。

 が、害意となりそうな輩の潜伏は感じられない。ほっと安堵の息を落とすが、それにしても、そうさせるにあまりあるほど、この皇子は名前とはかけ離れた印象の皇子であった。


 皇子みこせん――


 母親・麗美人に似たのであろうか。

 その細面はまさに眉目秀麗。肌の色艶は磨きぬかれた大理石を思わせて白く、髪の明るく輝く様は鼈甲の如き流麗さだ。切れ長の瞳の中で深い碧の影を帯びた眼球が光り、視線を集めてやまぬ整った面相は、女人も嫉妬に狂わずにはいられぬほど美しい。醸す雰囲気は柔らかく、害意や敵意などとは無縁のようにも思える。

 しかし、その体躯からして、それはただの仮面である、と真は直様看破した。

 皇子が身の丈6尺3寸に届く大男だから、という単純な理由からではない。自身は、武辺の『武』の字にも馴染めぬ男であるが、国一番の猛者である父・優の鍛錬を、幼い頃より間近で見ている。だから、何処をどうみればその人物が一廉の者であるか見抜く力は得ている。

 皇子の手には、右手と左手、それぞれに特徴的な『たこ』があった。

 それは剣と弓の鍛錬によるものであり、さらに言えば腕から肩の盛り上がり様、また腰周りと太腿の発達具合からして、馬の修練も欠かしてはいないだろう。

 が、細面の優美なだけの無能な優男を演じることで、この青年は自身を守ってきたのに違いない。

 母親・麗美人が、命懸けでこの世に産み落としてくれた、自分を。


 そう思うと、不遜ながら何やら親近感が湧いてきた。

 自分の母も、美人の範疇に入る美しさを有している。正室にはその家門と血筋のみを求めての結婚であると割り切りまくった父が、母には思い切り自分の趣味をぶち込んでいるのは重々承知している。正室に女としてまるきり恵まれなかった分、側室には夢を見たかったのであろうが、さりとてその果てに生まれる行為の結実たる自分の存在を、父親はなんと思っているのか。その辺の境遇まで似ているとあれば、親近感もわこうというものだ。


「此度の戦にて、総大将の栄誉を賜りました皇子様に謁見する誉れを得、誠に恐悦至極に御座います」

 恭しくこうべを垂れる真に、戰は朗らかに笑ってひらひらと手を振った。

「ああ、いいよいいよ、畏まらなくても。別にそんな、大層な人物なんかじゃないからね、私は」

 自分も大概変わり者であると自覚しているが、この皇子様も相当なようだ。

 目付に来ている事くらい、判っているだろうに。

 これは果たして演技なのか。

 それとも……。


 静かにこうべを垂れたままの真に、戰は穏やかに笑いかけてくる。

「処でね、真と言ったかな、君に、少しばかり相談事があるのだが」

「はい、なんなりと皇子様みこさま

「うん、皇子様みこさまは、他人行儀過ぎるかな。戰でいいよ、戰で」

 やはり、ひらひらと手のひらを振るう。

 ああ、これは演技じゃないな、そのものだ。

 つまり天然ぼけだ。

 面体が良いだけに面食らうが、まあそれは横に置いて慣れるに限る。


「恐れながら、臣下の身分である私が、そのように不遜な口をきくわけには参りませぬ」

「うん、そうか、なら適当に『様』でもつけておいてくれないか」

「はい、心得ました。それでは戰様、私に相談事とは、如何に?」

「うん、君は沢山本を読んでいるというからね、ちょっと、それを頼りたいのだよ」

「はい」

「つまりね、此度の戦で、私は兎に角勝たねばならないんだ」

「はい」

「その方法を、考えてもらいたいのだが、良いかな?」


 皇子は、にこやかに笑っている。

 穏やかな口調に、和んだ柔和な表情。これだけを見ておれば、今度の宴はどのようにもりあげようか、と相談を持ちかけられているようにも見える。しかし、彼が今相談を仕掛けているのは、戦について、しかも自身の初陣だ。まあ、宴とも言えなくはないが、それにしても……。

 真はここで一つ、賭けに出てみる事にした。いずれにしても、此度の戦で襤褸雑巾のように負けでもすれば、皇子だけではない、自分も父の家門も取り潰しは目に見えているのだ。それはなんとしても避けねばならない。

 だが、だからといって、この皇子の為人を知らぬまま、知恵を授けるのも何か癪だった。人物を見定めてから、その人に合った方法を示せばよかろう。

 ようは、負けなければ良いのだ。

 余程の阿呆でない限り、勝たせてやれる自信はあった。しかし、阿呆の度合いを知りたかった。家門を救う程度で良いのか、それとも……。


「如何様に勝ちたいとお思いで御座いますか?」

「と・言うと?」

「どのような犠牲を強いても大々的に華々しく勝ちを誇られたいのか、それともお味方の被害など念頭に置かず敵を完膚なきまでに叩き伏せられたいのか、それとも敵を屠るためであるのならば如何なる卑怯な手立ても厭われないのか」

「どれも嫌だなあ」

 真の提案に、のんびりと皇子・戰は答える。へえ、と真は心の中で呟いた。皇子・戰はにこやかで和やかな、柔和な表情を崩してはいない。しかし、その眼光は鋭いものに変わっていた。その双眸の光のみで、人の心の臓を打抜ける程、鋭いものに。

 見込み有りそうかな? と真は、この皇子を見上げた。


「どれも嫌だ」

「左様に御座いますか。それでは戰様、このような勝ちは如何でしょう。即ち、敵味方の一兵卒に至るまで被害を出さずに得られる勝利」

「うん、いいね、それだよ、私が求めていたものは」

 手を打たんばかりに無邪気に喜ぶ戰の双眸から、ようやく鋭さが消え、真はほっと息を落とした。初めて、自分がひどく緊張していたのだと気がつき、苦笑する。

「詳しく聞きたい。話してくれ」

「はい」

 戰の命じる声を、しかし真は何処か心地よく聞いていた。



 ★★★



 2ヶ月後。

 皇子・戰が率いる軍勢は、祭国に向かい華々しい出立を遂げた。

 禍国と祭国の戦は、実にあっけなく終戦を迎えた。

 禍国の、大勝利であった。


 しかし。

 戦闘らしい戦端すら開かずに終結を迎えたため、兵士たちは一様に拍子抜けした。だがどのような形であろうとも、勝利には変わりなく、また終戦を得たということは、家族のもとに帰る事が叶うということに他ならない。抱き合って喜びを噛み締め合う兵士たちを城の上から眺めながら、真はこれまでと違う心情で皇子・戰を見つめていた。



 皇子・戰に対し、真が提示した案とは、至極簡素なものであった。

「戰様、敵の補給路を絶って下さい」

「それだけか?」

「はい、それだけで充分です。さらにできれば、水口を探って止め、周辺の稲穂を刈り取り、山を根城にする鳥が砦に近づかぬように山裾で火を起こして下さい」

「わかった」

「ただ、時間はかかりますよ? 下手をすると、ひと月ふた月は余裕でみていただきませんと。待てぬとあらば、お勧めは致しませぬが」

「ああ、いいさいいさ、私は別に剣を振り回したいわけじゃない。楽して勝てるのならば、それに越したことはない。待つくらい、どうということはないよ」


 素直に頷きつつ、手をひらひらとさせた皇子・戰は、直様、真が提案した策を実行に移させた。

 隣国・さいは、更に奥地の国・ごうを頼りに戦を展開していた。つまりは、その食料の殆どを、剛国からのものに頼りきって戦をしていたのだ。

 戰は、その補給路を尽く潰した上で、真が提した事を素直に全て実行した。

 水を止められ、補給を絶たれた上では唯一の糧と言える稲を横取りされ、頼みの綱の野鳥類すら絶たれたのだ。女子供を抱えて、飲まず食わずで耐えられる訳がなかった。程なくして、和睦という形の全面降伏を、祭は申し入れて来た。



 皇子・戰は、一兵卒をも失うことなく、また敵の一兵をも死なせる事もなく、完全なる勝利を手にしたのだった。



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