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祈り ―華やかな傘に守られ―  作者: 小路雪生
9/30

第九回

 空港から乗ったバスは一時間足らずで長崎市内へ入った。

 新地のバス停に降りた沙織は、スーツケースを引きながら築町電停から路面電車に乗り換えると、二駅先の大浦海岸通で下車した。時計を見るとまだ午前十一時を過ぎたところだった。この時間ではチェックインには早い。荷物をホテルに預け、市内で食事をとろうと事前に決めていた沙織は、荷物と引き換えにフロントから番号札を受け取ると、長崎駅周辺を目指し、路面電車に乗り込んだ。慣れない土地でも駅ならば迷子にならずにすみそうだし、食事も出来そうだ。


『チンチン!』

 路面電車は音を鳴らしながら、車道を縫うように街中を進んで行く。ここから『チンチン電車』と呼ばれるようになたのだろう。車内は観光客が多いのか、通勤ラッシュ並の混雑だった。並走している車に追い抜かれながらのんびりとしたスピードで慎重に進んで行く。歩けそうな距離を電車はこまめに停車した。

『のどかな移動手段ね…』

 路面電車に乗るのが初めての沙織にはとてもユニークな乗り物に映った。自転車の方が早そうだし、駅と駅の間も近い。歩くよりはやや早そうだが徒歩で移動出来ない距離でもない。都会ならばこの乗り物はさぞかし邪魔者扱いされるだろう。線路を撤去すれば多くの車が電車を気遣いながら減速する必要もなくなるし、車が走りやすい道路になりそうだ。都会ならば渋滞解消の一助になると、廃止になるに違いない。現に、都内でも一部の路線が残るのみだし、横浜も路面電車は既に無い。交通量がさほど多くなく、観光的な要素もあるからこそ、路面電車が活躍できるのだろう。そう思うと、合理的で効率主義の都会の暮らしにはない、おおらかさを感じた。

 長崎駅より手前の大波止で降りる事にして、スターバックスでキェラメルマキアートを注文した。野外の席に座り、煙草と携帯を取り出すと

「今、何してるの? 横浜は朝は雨降りで寒かったわ。たまには返事して」

 瀧蔵にメールを送信した。どうせすぐには返事はこないのだ…ため息まじりに空を見上げると真っ青だった。生暖かい風に乗って、磯の香りがする。目の前は海だ。

 キャラメルマキアートが空になる頃、予想に反して返信が届いた。

「そうですか」

 瀧蔵の返事はその一行だけだった。沙織は拍子抜けしながらも、意外に早く返事をよこした瀧蔵の様子に嬉しくなった。同時に、瀧蔵らしいとも感じた。

 瀧蔵は寡黙なタイプで、自分からペラペラ喋る事はあまりない。何を考えているのか分からない事がしばしばあった。それでも、一応返事をよこすところみると、気にはなっているらしい、と、沙織は感じた。多分、そろそろ長崎に来る頃だ、くらいの認識はあったに違いない。 最も、既に到着しているとは思ってないのかもしれないが。

「そうです。長崎はどう?」

 返事を書いたが、瀧蔵からの返信はなかった。

 沙織はふと、昔の瀧蔵だったらすぐに返事をくれたのに…と十年近く前の事を寂しい気持ちで思い出していた。


 行き先を駅から繁華街へ変更し、その場を後にした。

 茶碗蒸しで有名な店で昼食をとるべく店内に入ると、映画で見た昔の遊郭のような、古い旅館のようなレトロな造りの店内に珍しさを覚えた。下足番までいてなかなか風情がある。だしのきいたコクのある茶碗蒸しをゆっくり頂くと、早起きした一日の中でようやく一心地つく事ができた。

 歩いてホテルまで戻る事にして商店街を見回すと、思っていたより近代的な街である事に驚いた。長崎というと本州最西の地である。もう少し昭和な雰囲気なのでは…と思っていたのだが、再開発をしたのか、大波止のショッピングモールといい商店街といい整備されており、沙織の暮らす街と遜色ない店が軒を連ねている。旅人は、旅情を求めるものなのか、もう少し、長崎特有の文化を期待していただけに、ややががっかりしたというのが本音だ。

 沙織は道草をしながらゆっくり歩くと、チェックインにちょうどいい時間になっていた。

 少し早く着いたものの、フロントから鍵を受け取り部屋に入ると、先に預けてあった荷物が既に部屋に運ばれていた。 部屋はゆったりとしておりソファーもある。窓からは港と海が一望できるし、ベッドもダブルで一人で三泊するには充分な広さだった。

 午後になっても返事をよこさない瀧蔵に

「冷たいわね…相変わらず。せっかく長崎に来るって言ってるのに…」

 沙織は思わず独り言を呟く。尤も、既に沙織が到着している事は知らせていなかった。瀧蔵は、沙織の長崎入りはまだ先の事とのんびり構えているのかもしれなかった。

 たまりかねて瀧蔵にメールを送ると、お風呂にお湯をためて疲れを取る事にした。瀧蔵の返事をぼんやり待つのがイヤっだたのだ。お風呂も今まで出張や旅先で利用したビジネスホテルより広めで、アメニティも比較的充実していた。見知らぬ土地に一人できた女にとって、こういうささやかなな贅沢が心を和ませてくれるものだ。三十分くらいゆっくりお湯につかっていると、テーブルに置いてあった携帯の着信音がかすかに聞こえた。

 沙織はバスローブを羽織るのももどかしく部屋に戻って携帯を開いた。瀧蔵からだ。

「観光でしょ?」

 瀧倉からのメールにはそう書かれいていた。携帯を持ったまま湯船に戻ると沙織はなんと書こうか思案した。

「観光でしょ、か…」

 沙織は瀧蔵の心中がまた分からなくなった。

『観光、それは嘘じゃない。でも、瀧蔵がいなければ長崎を訪れたりはしない。なぜ、その事がわからないのだろう…それとも、わかっていながらわざとこういうことを書くのかしら…』と。

 瀧蔵のこのような表現はこの頃毎度の事とは思いつつ、沙織も毎度のように、同じ感想を抱くのだった。

「今お風呂に入ってるの。あなたが案内してくれるなら、観光したいわ」

 そう書き送りながら、自分の気持ちがわからなくなった。

『どうして、あなたに逢いにきたのよ、と言えないんだろう…』

 沙織は、自分の中にある躊躇いを感じていた。冷めかけた男を追いかけるように飛行機に乗る自分の弱みを、最後まで瀧蔵に悟られないように振る舞ってしまう。『あなたの為ではないわ』と、というポーズをとりたがるのだ。素直じゃない…自分でもそう思っていた。傷つきたくないのだろうか…沢山傷ついてきたのに…?…沙織は、自問していた。

「案内は出来ない」

 瀧蔵から返事が来た。その一行を読んだ瞬間、切り捨てられたように感じた。…こういう気持ちになるから、本心を素直に言えなくなるのだ…と思った。

「…そう…残念だわ。今、長崎にいるのよ」

 そう書き送ると、瀧蔵からの返事が途絶えた。


 夕方になってから朝食用のヨーグルトとフルーツ、コーヒーやペットボトルのお茶などの買い物を済ませ、中華街で皿うどんを食べるとホテルに戻った。

 沙織は、朝はヨーグルトや水、フルーツしか口にしない。旅行に来ても朝からモーニングを頼んだりはしないのだ。

 それにしても…いい歳をした女が一人では格好がつかない。明日は何処にいこうか…と改めてガイドブックを広げてみた。

 しかし、沙織の心は虚ろだった。何を見ても一人では…せっかく近くにいるのに…いや、逢えなくても仕方ないと諦めてここまで来たのだから…と、様々な思いが行き交う心のまま、ベッドに仰向けに寝転んだ。

『明日は明日の風が吹く、さ…』

 そう思い、疲れの為早々に睡魔が襲うなか、携帯が鳴った。

「よく来たね。いつまで?」

 瀧蔵からだった。そのメールを読んで沙織は我が目を疑った。『…よく来たね…ヨク、キタネ?……褒められてる?私…なんで…?』

 素っ気なく邪険かと思うといきなり誉めだす…どういうつもりなんだ…と戸惑いながらも、今になって長崎の地へ沙織が来た事を知った瀧蔵の心中を思うと冷たくも出来ない。

「明々後日、帰るわ」

 沙織が書き送ると

「仕事で福岡に行かないといけない」

 瀧蔵は簡潔に伝えて来た。

「…福岡、か…。福岡に行く時は泊まりがけね。ここまで来たのに、またスレ違いだわ」

 沙織は苦笑いを浮かべた。タイミングが合わない…ここへ来る前に日程をきちんと打ち合わせていればこんな間の悪い時に来ずに済んだのに、と沙織は瀧蔵の最近の筆無精が恨めしくなった。もっと早く “ いつ来るの? ” って訊いてくれないからよ…、と瀧蔵の素っ気なさに軽い怒りと悲しさを覚えた。

 少し間を置いてから返事がきた。

「明日はどこに行くの?」

 瀧蔵は尋ねてきた。今更遅い…と思いながらも

「まだ決めてないわ。早く起きて雲仙まで行って温泉に入ろうかな…と思ったけど、遠いし…」

 沙織が返事を送ると

「日帰りは無理だよ。稲佐山の夜景がきれいだ」

 瀧蔵からの返信だ。

「稲佐山ね、行ってみたいわ。連れてってくれる?」

 沙織が訊いた。

「行けないよ。忙しいんだ」

 つれない返事だ。

「メールじゃなくて話たいわ」

 沙織が甘えるように書き送ると

「もう帰るよ。明日は、市内観光をして下さい。雲仙なんか行ったらあなたは1人では帰ってこられなくなる。地元の人や警察が迷惑します」

 冗談とも本気ともつかない調子で返事をよこした。

「ひどい! 随分バカにしてくれるのね? ・・・本当にもう帰っちゃうの?」

 沙織が書くと

「明日は市内観光をするといい。博物館もあるし、平和公園、見るところはいろいろあるよ。3泊4日ならそれくらいのコースがいい。おやすみ」

「誉めてくれてありがとう。その割に冷たいのね」

 続けて嫌味を書いたが、もうその後は応答がなかった。

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