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祈り ―華やかな傘に守られ―  作者: 小路雪生
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第二十回

 瀧蔵と再会し踏切で別れた頃、葛西は営業促進部長になっていた。

 葛西はかつて婦人のセールスマネージャーだったが、横浜へ転勤後、フロアマネージャーとなった。

 沙織が入社と同時に横浜に配置された頃、葛西も転勤して来た事から、横浜では同期という感じだろうか。

 その葛西が四年前の春、営業促進部の部長に抜擢された。沙織の直属の上司となった葛西の下、沙織はアシスタントマネージャーとして営業促進業務にあたることになったが、この頃から加速度的に沙織の退職への布石が打たれ始めていたといえよう。


 沙織と葛西は長年、横浜に勤務しいていた事から状況は熟知していた。

 この頃の沙織のやり方には婦人の守屋を中心とする一派が異論を唱える向きがあった事から、沙織と気の合う葛西を沙織の上司にすべく、店長は本部へ掛け合って企画部長に推薦し、それが認められたのではないかと思われる。

 葛西が営業促進部長に着任するにあたり、事前に店長から連絡を受けた沙織は憂鬱な毎日だった。

 葛西は大学を卒業し丸藤へ入社して以降、長年婦人を受け持ってきたせいか、あたりが柔らかかった。身長も高く、当時四十代前半だったが実年齢より若々しい。優しげで上品な雰囲気を漂わせていたことから、女性の人気が殊の外高く、同期の里美なども「葛西さんていい人よね」と、ファンである事を匂わせていた。


「おい、辻、お前な…」

 そんな葛西は、新入社員だった沙織を最初から子分のように扱っていた。

 店長や、当時の直属の上司でさえ「辻さん」と呼ぶのに対し、葛西はまるで自分の部下のように沙織を「辻」と呼んでいた。


 右も左も分からない新入社員沙織は、研修の日々の中葛西に教わる事も多く、葛西の存在を心強く思っていたものだった。

 入社一年後には配属も概ね決まり、沙織は希望通り販促・企画業務に携わる事になった。

 職場にも慣れ、なんとか使いものになった頃、ようやく落ち着いて周りを見回すと、沙織には不自然に見える光景があった。何かにつけて沙織を贔屓する葛西の傍らに、影のようにくっついてる女の存在だ。

 彼女は、堀田という女性社員で婦人服売場のスタッフだった。堀田と葛西は新宿からの転勤組で、横浜へ転勤した時期も同じ、新宿では婦人の上司と部下だった事から、二人が親しかったとしても不思議ではない。そんな理由から最初は沙織も気に留めていなかったのだが、葛西は堀田に対し、感情を露にする事が少なくなかった。他のスタッフに対しては柔和な葛西のその変わり様が沙織には怪訝に映っていた。


 ある時、堀田がトイレで泣いている姿を見た沙織は、やけに気になった。堀田は売場の経験も長く、今更人間関係で悩んで泣くとは考えにくい。人目も気にせず泣き崩れる様は普通ではなかった。余程声をかけようかと思ったが、沙織は見ないフリをする事にした。

 そうかと思うと、当時、さほど接点の無かった沙織に異常なほど嫉妬心をむき出しにしたりしていた。

 堀田がバックヤードで検品をしているその脇を沙織が通ろうとした時の事だった。沙織がエレベーターを待っていると、後ろから『ガラガラ』というけたたましい音が迫ってきた。その音に沙織が振り向くと、キャスターの付いた横長で高さ120センチはありそうな大型の什器が沙織目がけて走ってきたのだ。その向こうに堀田は立ち尽くし、上目遣いで沙織を睨みつけていた。あれほどの距離を什器がひとりでに動くはずはない。他に人がいなかった事から、堀田が力を込めて、故意に転がしたとしか思えなかった。幸い、什器は沙織の目の前で止まり当る事はなったものの、あの日から売場の堀田を注意して見ていた。やがて、葛西と『何かありそうだ』と確信したのだ。


 二人の関係をそれとなく店長も知っていたようで、何かにつけては葛西に

「なぁ、葛西さん、堀田さん若いなぁ。あれで四十過ぎてるそやなぁ?」

などと、しきりに当て擦る。男性や幹部には特有の情報網があるものだ。どうやら、公然の秘密のようだ、と、店長の様子を見ていた沙織は感じ取った。

 そんな時、葛西は堀田について詮索される事に慣れているのか、動揺する気配さえ見せず、優しげな笑みを浮かべて適当に相槌をを打ってはかわすのだった。堂に入ってるというか、開き直ってるというのか、そんな葛西を見ていると、見た目とは異なる豪胆さや、腹黒さを感じるのだった。そんなややこしい事情が有りそうな葛西とは深く関わりたくなかったが、女の扱いが上手いのか、葛西は話し易かった。

 沙織は

「苦手なんですよ〜。諸岡さん。葛西さんから言ってもらえませんか?」

 などと自分とウマの合わないセールスマネージャーへの伝達などを葛西に依頼したり、愚痴をこぼしたりしていたが

「お前な、それは自分の仕事だろ。まったく…しょうがないな」

 笑いながら軽く受け流してくれる。気さくで爽やかで沙織に甘く、入社当時から目をかけてもらってる気安さも手伝って、何かあると沙織は葛西を頼ってしまうのだった。

 沙織は仕事と割り切っていたし、上司として無理も聞いてくれる。沙織には飽くまでもそれだけ、それ以上の気持ちはなかった。それも、他部課の上司という距離間だったからこその気軽さもあったからで、直接の上司となると話は別だった。

 とにかく、気さくな話の分かる上司ではあったが、女性問題では要注意人物と映っていたのも事実だ。葛西が沙織の上司になると必然的にこれまで以上に接する機会も増すわけで、沙織めがけて什器をぶつけようした堀田の姿を思い出す度、沙織は何事も起こらなければいいけれど…と胸騒ぎを覚えていた。


 そんな堀田がいる婦人をまとめていたのが守屋だった。

 堀田と葛西の関係を、堀田の直属の上司である守屋は当然気づいていたはずだ。それでも、葛西と守屋は先輩後輩のよしみからか、はたまた堀田を守屋に任せざるを得ない立場からなのか、葛西は何かにつけ守屋の肩を持ち、つるんでいた印象がある。

 沙織にとっては守屋と葛西と堀田は『魔の三角地帯』で、この三人が集まってる場ほど、重苦しい雰囲気はなかったと沙織は思い出すのだ。なるべくならば避けて通りたいこの組み合わせが何故かいつも、沙織にまとわりついてくるのだ。

 その親玉が、沙織の上司とは…。沙織の運はこの時に尽きたと言っても言い過ぎではない。

 そんな沙織の杞憂など知らぬ店長は、沙織が喜ぶと思ったのだろうか

「今度は葛西さんや!」

 知らせてくれたが、沙織の曇る表情を見て店長は、その言葉を途中で切ると急に真剣な表情に変わり、沙織の顔を見つめていた。


 部長に着任してからの葛西は、最初はそれまでとさほど変わらなかった。

 かねてからこの店を大幅に改装したいと思っていた沙織は、構想についてプレゼンを行った。

 五階、六階〜九階までを吹き抜けにして屋内庭園を造る、というのがその内容だった。葛西が上司になり、営業促進部内の会議の際に沙織は正式に案を提示した。

「樹木の他に多様な植物を植え込んで開放的な空間を作りたいんです。この辺りはオフィス街ですし、緑がありません。近くでお勤めされてる方や地域の住民のみなさんがリフレッシュ出来る空間を提供する事で、丸藤を印象づけていきたいんです。休日にはどなたでも無料で来場出来る各種のイベントをそこで行いたいと思います」

 葛西は

「…ランチタイムの収益アップにも繋がるかもしれないな」

 ノリ気だった。

「そうなんです。ベンチや小型のテーブルを沢山置けば、飲食もできます。地下でランチを買われたお客様が軽食をとることもできますし、買い物途中で休憩する事も出来ます」

「夜なんて、待ち合わせに良さそうだな」

 葛西はニヤニヤしている。その表情に思わず沙織も笑ってしまった。

「ただそうなる、建物全体の構造が大きく関わるだろうな…床をぶちぬくとなると…かなりのテナントが営業出来なくなる。改装というよりは、建て直さないといけないんじゃないか」

 沙織は、そういった問題があるからこそ、いずれ本社の開設企画室にこの話を上げたいと思っていたのだ。新店出店の際に設計段階からこの案を盛りこなければ実現は難しいと沙織も感じていた。既存の、しかも横浜という集客率も高い店でそこまで大幅な改装を行うと一時的にしろかなり売り上げが落ち込む可能性もある。

 各テナントとの契約も考えると、どうしても今すぐには実現しそうにない。

「でも、経営が厳しくなってきてますし、こういう時だからこそ、他店にはない斬新さを打ち出して活性化を図る必要があるんじゃないでしょうか。他と同じでは勝てません」

 沙織は力説した。葛西は

「辻の話は面白いと思うよ。都会のオアシスだよな。いい案だと思う。その屋内庭園はいろいろな使い方が出来そうだよ。ただ、そうなるとどうしても事業本部とも協議する必要があるし、現状ではそんな話が出来る雰囲気ではないな」

 葛西は賛同しながらも、今すぐにそれを実現出来ないと渋った。

「その話は俺が預かるよ。折をみて本部に打診してみよう」

 葛西は前向きなんだと沙織は感じた。好感触だった。本部の企画会議の際にでも提案していければ、誰かの目にとまるかもしれない、沙織はそう思うと、葛西を頼もしく感じるのだった。


 日頃の業務でも

「辻に任せるよ」

 何かと沙織の意見を尊重し、各種の催時の企画立案も常に沙織の意見が重んじられた。ただし、葛西が沙織に甘かったのは、フロアマネージャーとしてテナント等の管理が主だった事も理由としてはあったのかもしれない。

 時には

「守屋はお前が好きなんだぜ」

 守屋との関係を取り持とうしていたのか、沙織にそんな事を言ったこともある。

 守屋の家に泊まった日も、同じ車に葛西が同乗していた事を思い出すと、あの晩、守屋が沙織を連れて帰るよう、葛西が仕向けた可能性も考えられる。

 いずれにしろ、そんな風に頼りにしていたのが仇になったのだろうか。

 沙織は、葛西に誘われた日の事をいつになっても苦々しく思い出す。


 葛西が部長になった年の冬だった。翌日からのセールの準備の為に、バックでは沙織と葛西が最後まで残っていた。売場を作っていた従業員が帰るのを待っていたら、終電間近の時刻になってしまったのだ。

 葛西が営業事務室の灯を消し、バックヤードの暗い廊下を二人で歩いていると

「ホテル、とってあるんだ」

 真面目な顔で呟いた。

「そうなんですか」

 沙織が相槌を打ちながら葛西を見ると、葛西は沙織の目をじっと見つめた。いつもの冗談を言い合う雰囲気ではなかった。 そのままエレベーターを降り、通用口まで来ると、葛西が沙織に目配せをした。

 駅とは反対の方向へ行こうとする。沙織は葛西の不穏な気配を察知し、それに気づかぬフリをした。

「まだ、終電あるでしょうか…私はこっちなのでここで失礼します」

 明るく言って、別れた。

 その翌日から葛西の態度が一変したのだった。

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