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祈り ―華やかな傘に守られ―  作者: 小路雪生
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第十二回

 守屋の部屋は片付いており、整理整頓がなされていて気持ちいい。沙織の部屋でさえもっと雑然としているし、瀧蔵の部屋とは比較にならないほど綺麗だった。几帳面な守屋の性格がよく現れている、と沙織は目を見はった。

「綺麗な部屋ですね…」

 感心のあまり思わず誉めてしまったが、守屋は聞こえないのかそれに答えず

「いいのやってないね」

 リモコンでテレビ番組のチャンネルを変えながら呟いた。

「明日、会議だよね」

 突然思い出したように沙織に尋ねてきた。

「そうですね」

 慌てて相づちを打ったがなんとなく調子が合わない。

 冬のボーナス商戦は既に始まっており、歳暮に至っては今がピークだ。年末のセールについても大半は調整済みの為、細かな部分は個別に対応していく事で合意をしている。明日の会議は、年末年始に向けて全売場の士気を高め、共通認識を確認する意味合いが強かった。

「まぁ、うちは数字がいいから問題ないけど」

 守屋は少し得意気だった。

 営業部販売一課である婦人グループはオールシーズン売り上げが好調で、つい先頃も売り上げNo.1で祝宴会を催したばかりだった。

 それに引きかえふるわないのは紳士だ。土地柄極端に落ち込む事はないものの、婦人と比べるとその数字は段違いだった。

「これから年末に向けて更に売上げていくし、いい年越しが出来そうだな」

 販売一課を率いる守屋は満足げだ。

 そんな守屋の顔を見ていると、これまでのしつこい皮肉屋という印象が陰をひそめ、何故執拗にこの人を嫌っていたのかと、沙織は分からなくなる。

 見た目も悪くなく、浮いた噂もない。真面目で仕事も熱心だ。話してみると垣根も感じず人懐っこい印象さえある。

 この日の守屋は棘々しい言動と強引さに辟易させられるいつもの守屋とは違って見えた。

「どうして結婚しないんですか?」

 思わず沙織が尋ねると

「する気はあるよ。相手がいないのよ。辻さんだって俺の事嫌いでしょ」

 おどけてみせた。

 沙織は慌てて否定をするが、これまで守屋に対し「嫌い」と言わんばかりのつれない態度ばかりとってきた。沙織はしっかりとその事を覚えている。

 婦人なんて売場は女だらけなのに…やっぱり歪な性格が災いしてるんだろうな…沙織は改めて思った。が、そんな環境でも女性問題を起こさない守屋の真面目さも同時に感じるのだった。

 こうして二人で話してみると、瀧蔵にはない明るさがある。のんびりと軽やかで肩が凝らない。

 沙織はこれまで毛嫌いしていた事を申し訳なく思った。

「辻さんは、誰かいるでしょ?」

 リモコンでチャンネルを変えながら守屋はさりげなく訊いた。

「…はい」

「だろうね」

 守屋は大あくびをしながら心得た様子で言った。

 が、香子の一件以来、瀧蔵によそよそしい沙織は、この頃瀧蔵との関係に疲れを覚え、曖昧な感じを続けていきそうな瀧蔵と渡り合っていく自信が持てずにいた。守屋に返事をしながらも、沙織の心は沈んでいた。それを見透かしたように

「最近、悩んでるよね」

 守屋はさらっと、事も無げに言い当てた。図星を指され驚きながら守屋の顔を見つめると

「元気ないよね。暗いよ、最近」

 そんな沙織の視線を受け流すように守屋は飄々とした感じで言う。

「……」

 沙織が俯いたまま黙り込むと眠そうにあくびしながら

「俺、眠いんだよね」

 あっけらかん、と言った。落ち込む沙織を無視したようなその言い方に沙織は我に返った。

「そうですよね。さっきから眠そう…」

 午前三時を回っていた。

「ソファー貸してあげるから辻さんも寝たら? 俺寝るよ」

 そういうとフローリングの床に雑魚寝し出した。

「そんな所で寝ないで下さい」

 沙織が止めると

「辻さんがここで雑魚寝するのに俺だけベッドで寝るの…なんかな…」

 守屋は居心地悪そうに言う。

「ごめんなさい」

 思わず謝りながら、妙な気遣いは要らないから隣の部屋へ消えてくれ、と思った。

「いや、辻さんのせいじゃないよ」

 守屋も慌てて気を引き立てるように言う。

 なんだか、気の良さげな守屋の様子に安心したのか、沙織は涙が出てきた。この頃、沙織は瀧蔵の事で悩んでいた。その事を初めて指摘され、瀧蔵と付き合い始めた頃「守屋さんは辻さんの事が本当に好きなんじゃないかな」と瀧蔵に言われた言葉を思い出していた。

 好きだから沙織の不調に気づいたのかもしれない…そう思うと、沙織は嬉しいような甘えたいような気持ちになり、これまで張り詰めていた糸が切れてしまったようだ。

 突然、泣き始めた沙織に守屋はオロオロしながら

「辻さんのせいじゃないよ。俺、向こうで寝るから、ね、心配しないで」

 雑魚寝しようとしたことを詫び出した。

 泣き止まない沙織にオロオロしながらティッシュを差し出すが、沙織はそれを受け取ろうともせずに泣きじゃくる。

「泣き上戸なのか」

 ぼんやりと呟きながら

「よしよし」

 守屋は子供をあやすように言うと、沙織の涙を拭こうとする。兄のような仕草に思わずほだされてしまった。沙織が守屋に寄りかかるとそんな仕草に

「ちょ、ちょっと! 辻さん………参ったなぁ……」

 最初は戸惑っていた守屋も、やがてゆっくりと意を固めたように沙織を抱きすくめた。


「忘れて下さい」

 一晩過ごした日の翌朝、一緒に会社へ出勤しようと言う守屋を制しながら、沙織は気まずさから伏し目がちに言った。

 そんな沙織を責めるような口調で

「そんな事出来ないよっ」

 守屋は傷ついた顔で言った。その言葉には、なんとしても逃がしたくない、という男の執念がこもっているのか感じた。そんな守屋の真剣な瞳を疎ましく思いながら、外が明るくなった事を味方に、沙織は早朝、守屋の部屋を後にした。 純粋で一途な男なのかもしれない…自力で広い通りまで出ると、なんとかタクシーを拾う事ができた。車内でようやくひと心地ついた沙織はそんな事を思っていた。

 着替えの為に一度帰宅をしようと思うが、出勤時間に間に合うか気が気ではない…焦る気持ちの中で、昨夜送り届けてくれていればこんな事にならずに済んだのに…と守屋への批判が行ったり来たりしてしまう。どう言われても、やはり守屋と付き合う気にはなれない、改めて沙織はそう思った。

 学生時代の悪い癖が出たんだと、歯ぎしりしたいほど守屋との夜を後悔していた。

 沙織は寂しくて誰かに頼りたい…そんな時、優しくされるとつい雰囲気に流され体の関係を持ってしまっていた大学時代の事を苦々しく振り返った。当時、幾度かこんな自己嫌悪に陥ったものだった。もう二度と、軽率な真似はするまい…そう決めていたはずなのに…沙織はその後悔を憎むように、その日以降、職場での守屋は厳しく接するよう心がけた。  が、守屋もこれまで以上に沙織に対して親しげに振る舞うのだった。釘を刺したにも関わらず守屋は耐える気配がない。沙織にはそれがどうにも鬱陶しく、以前にも増して冷たく接するのだった。

 酔った勢いで一度寝ただなのに自分の女扱いするような無粋な男だから嫌いなのだと、沙織は守屋に強い嫌悪を感じてしまう。

 そんな魔が差したような一夜の出来事に後悔する一方で、沙織は、香子との関係を曖昧に片付けようとする瀧蔵を密かに裏切ったという爽快感も芽生えていた。

『これで、おあいこよ』沙織は今回の事で瀧蔵との関係が五分と五分になったような気がする。これで瀧蔵が香子との関係を謝り、今後は二度と逢わないと約束をしてくれるなら許してあげられる…沙織はそんな風に思っていた。


 クリスマスが近づき、久しぶりに瀧蔵と食事の約束をした沙織は守屋との一件はおくびにも出さなかった。そんな沙織の変化に気づかない瀧蔵は、白い小箱を沙織にプレゼントした。ピアスか指輪だと感じた沙織は嬉しさと同時に、贈り物でこの数ヶ月間の出来御事を誤摩化されてはならない、と気を引き締めた。すっきりしない沙織は、躊躇いつつそれを受け取ると、礼を言いながら箱を開けずにバッグにしまった。

 瀧蔵は沙織を部屋まで送ると、以前のように沙織を求めた。が、謝罪をしない瀧蔵に不信を拭えない沙織が拒むと、瀧蔵は表情を強張らせた。お互い言葉を探すがみつからない。瀧蔵にしてみれば、ほとぼりが冷めた頃、と踏んでいたのかもしれない。或は、プレゼントが「ごめん」という言葉の代わりなのかもしれない。しかし、瀧蔵からもっとけじめのある言葉を聞きたいと願っていた沙織にとって、守屋との関係で五分五分、と一度は思いながらも、やはりそれでは納得出来ない。そんな一言がどんなプレゼントよりも大切で意味のある事だと沙織は思うのだが、瀧蔵にはそんな沙織の心中が理解出来ていないようだ。

「やっぱり、今日はまだ…」

 沙織は躊躇いがちに言うと、バッグから小箱を取り出しダッシュボードの上へ置いた。

 瀧蔵は目を見開いてそれを見ていた。意外な反応だったのか、瀧蔵の表情は、驚きと悲しみがない交ぜになったものへと変化し、沙織の胸が痛くなるような切ない表情を浮かべた。瀧蔵は沙織と目を合わせずに無理に小さく微笑むと、

「じゃ」

 傷ついた心を見せないようわざと明るく別れを告げ、何かに堪えるような表情で帰っていった。


 丸藤は世間が休みの時に忙しい業界である事から、バックスタッフの沙織も年末年始とはいえ世間並みに休む事はできない。

 年明け早々福袋の初売りも控えていた。特に、今年の福袋には力が入った。福袋の中身についても積極的な提案を行い、テナント各店、ブランドとのコラボレーション企画などの内容に協議を重ねた。丸藤オリジナルの福袋や、ブランド各社個別の福袋に留まらず、中身を吟味し、各ブランドを一つの袋に織り交ぜてスタイル提案が出来る内容にしたいと、各社に無理を言いかき集めた自慢の品ばかりだった。

 沙織は、目の前の仕事に没頭する事で、瀧蔵との問題から目を背けようとしていたのかもしれない。

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