60.余生
60.余生
誰もが「まさか!」そう思ったに違いない。
小田切が離婚したと言う話はあっという間に社内に広がった。そもそも、さほど人数が多い会社ではない。本人が高田に報告をしたのだけれど、事務処理上、必要書類を博子の元に取りに行った時点では自らそのことを同僚にも告げていたらしい。
康祐はそんなはずはないと思っているのだが、やはり博子が以前に言ったように浮気が原因なのではないかと仲間内ではささやかれていた。
数日後、小田切から退職願が出されたと高田から報告を受けた。康祐は小田切と連絡を取って指定された店に顔を出した。
「いらっしゃい!」
暖簾をくぐると、板前が着る白い服にねじり鉢巻きを巻いた小田切がカウンターの向こう側から声を出した。小田切は照れくさそうに微笑んでカウンター中央の席を指示した。まだ、時間が早いのか、他の客は一人もいなかった。
「どういうことですか?」
康祐は意味が解らず、ただ、小田切の姿を眺めるばかりだった。
「おい!」
小田切が声を掛けると、奥の調理場から和服姿の女性が姿を現した。まだ若い。自分と同じくらいの年なのではないかと康祐は思った。
「この店の女将で志穂さんだ」
小田切が紹介する。
「はじめまして」
志穂と紹介された女性が頭を下げて挨拶をする。康祐も慌てて立ち上がり、挨拶を返した。
理恵は湯川に電話を掛けた。湯川は快く理恵の申し出を聞き入れてくれた。但し、地元ではなく、神田の店を指定してきた。会社が近いので仕事帰りには都合がいいということだった。
「ずいぶんリーズナブルなお店ね。味は大丈夫なのかしら」
壁一面に貼られたメニューの値段を見て理恵が呟いたのだ。
「それは僕が保証するよ。そうでなければ君をここに誘ったりはしないさ」
「それは楽しみね」
湯川は複雑な思いで理恵の申し出を受けた。理恵とはこれで最後にするつもりだった。




