42.甦る感情
42.甦る感情
男の名前は村田正行。初めて会ったのは今日のように、この都営新宿線の電車の中だった。
その日も朝から通勤ラッシュで電車の中は混んでいた。博子が下半身に違和感を感じたのは電車が東大島を出てすぐだった。明らかに痴漢だった。身動きが取れず、誰が触っているのかさえ確認することが出来なかった。住吉で同じ側のドアが開いたので一旦外に出た。電車に乗ると再びその行為が始まった。博子は何とか体をひねって犯人を確認しようと試みた。そして、左斜め後ろに居る男がそうだと確信した。馬喰横山で再び同じ側のドアが開いたとき、博子はその男の腕を掴もうとした。その瞬間、他の誰かがその男を電車の外に連れ出した。痴漢を連れ出したのが村田正行だった。
正行は結局、家族を捨てることが出来なかった。そう思って博子は自ら身を引き、電話番号やメールアドレスを変えた。
「やっぱり博子だね」
正行は懐かしそうに笑みを浮かべた。
事務所に着くと、最近では珍しく康祐が席に居た。朝早くに現場へ出かけたのだけれど、打合せがスムーズに済んだので、戻って来たのだと言った。
10時の休憩時間に娯楽室でコーヒーを飲みながら、博子は式場で打合せしてきたことを康祐に報告していた。
「どうかしたの?」
「えっ、どうして?」
「なんだか、うかない顔をしているように見るよ。もしかして、マリッジブルーってやつ?」
「そんなことないわ。それより、引き出物なんだけど…」
博子は話を戻して康祐の気を逸らしたけれど、正行のことが気になっている自分に嫌悪感を抱いていた。
博子と正行は一旦、住吉の駅で電車を降りると、ホームで少し立ち話をした。正行は博子が去った後、博子の事とは関係なく離婚したと言う。連絡が取れなくなってからも博子のことは1日も忘れたことがないと。つまり、よりを戻したいと申し出た。
今更、遅いと博子は断った。けれど、心の奥には抗いようのない感情が甦ってきたのも自覚していた。あの頃、正行のことをどんなに愛していたかという想いと共に。




