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疾走

 その日の夜が来ると、狼は今までとは違う理由で寝付けなかった。森にいるからではない。あの少女と出会ってから、狼は彼女のことで頭が一杯になっているせいだ。頭の中から離れない少女の面影に、息が詰まる。どう対処していいのか分からず、狼は森の中を走り出した。

 不思議と、木の根や草花に足を取られることはなかった。掻い潜るように森の中を進んでいく。呼吸はますます荒くなったが、爽快な風を受けると気が楽にる。そして、自分の中の感情に支配されるのではなく、身を任せることができるようになった。内側から来る燃え上がるような何かに、今までずっと抵抗していただけなのだと気づいた。

 森を駆ける狼には今、宛があった。

 赤い頭巾の少女だ。

 彼女にもう一度会いたい。

 少女のにおいははっきりと覚えている。

 これだけは自信がある。

 狼は今、そのにおいを頼りにひたすら走しっている。

 右往左往するのではなく、においのなる方へ、右へ、左へ。

 会って何をしようというのか、狼はそこまで考えが行き渡っていない。

 ただ、再び会うことが出来ればいいのだ。

 出会って、この内側から湧く得体の知れない何かの正体を知りたい。

 ――しかし、一体どうやって?

 狼は、少し減速しながら考えた。考えたことなど、これまでにあっただろうか。

 少女に、何をどうやって伝えればいいのだろう。どうすれば伝わるだろう。

 段々と足の回転が弱まってゆく。自分でも気づかぬうちに、平原を放浪していたときのような足取りに戻っていた。あの宛のなかった頃に、つい昨日までのことだったのに、随分と遠い日の出来事だったかのようだ。

 少女はまるで狼の考えを察したかのように、彼女が採った物体を分け与えてくれた。しかし狼は、まるで少女のことが理解できていない。

 狼の頭の中に渦が生まれた。振り回されるかのように、足元が覚束なくなる。木の根につまづき、何度も転びそうになった。

 狼は迷っていた。本当に少女に会うべきだろうか。会いたい。だが、会ってどうするべきか。そもそも会ってもいいのだろうか。

 今までほとんど本能のみで生きてきた狼に、未知の事態が襲い掛かってきていた。先ほどから、自分の内側からここぞとばかりに溢れてくる何か。正体不明の何かに苦しめられているような感覚に、狼は眩暈を覚えた。死ぬ危険はないのに、同じくらいに恐ろしい。

 だが、立ち止まりはしなかった。

 今までと決定的に違うのは、不思議と孤独を感じないことだった。狼を今もなお引き寄せているにおいは、紛れもなく赤い頭巾の少女のものだ。

 ふと、視界の隅にあの物体がぶら下がっている木が見えた。しかし、もう一つしかない。

 狼は、他のものは全てあの少女が取ったのではないかと直感した。確かに、その物体だけが先ほどの木に実っていたものよりずっと高い位置にあった。少女が棒を伸ばして叩き落すには難しい高さだ。幸いなことに、物体を繋ぎとめている枝は少女の努力の甲斐あってか半分折れかかっている。

 狼は何歩か下がって、助走のための距離を取った。

 瞳を物体ではなく木の幹に向けて、狼は走り出した。全速力で距離を貪り、木に向かって飛び掛る。

 獲物とは違い逃げも隠れもしない木の幹にぶつかる寸前で、狼は体勢を入れ替え、後ろ足で幹を蹴った。先ほどとは間逆の方向へ、一際高く跳躍する。そして、物体のぶら下がる枝目がけて口を伸ばした。

 顎が捕らえたのは、同じ枝から生えていた一枚の葉だったが、木の枝は狼の体重でしなり物体は枝ごと宙に舞った。

 狼は先に着地し、再び跳んだ。空中で物体を今度こそ捕まえ、そのまま一思いに噛み砕いた。

 じわりと広がる味。

 舌で味わいながら、ふと思った。

 ――美味しい。

 着地とほぼ同時に、狼は疾走を再開した。


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