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白薔薇の令嬢は、嘘をつかない

作者: screen
掲載日:2026/07/31

 私の妹エレノアは、三日前、隣国ノルガルト帝国の皇太子妃となった。


 私の名は、アルベルト・ヴァレンハルト。


 かつて王国最大の領地と軍事力を有したヴァレンハルト公爵家の嫡男であり、エレノアの三歳上の兄だ。


 父はヴァレンハルト公爵。母はその公爵夫人。そして妹エレノアは、この国の王太子アドリアン殿下の婚約者だった。


 少なくとも、半年前までは。


 明日の正午、私は王都中央広場で首を落とされる。


 罪状は、妹エレノアを十九年間にわたって虐げ、彼女の王太子妃としての地位を奪うため、無実の罪を着せて処刑しようとしたこと。


 父はすでに処刑された。


 母も明日、私の後に処刑される。


 王太子アドリアン殿下は廃嫡され、王都北部の塔へ幽閉された。


 そして妹を救ったとされるノルガルト帝国の皇太子カシアン殿下は、彼女を妃として迎えた。


 今、王都では白薔薇をかたどった砂糖菓子が飛ぶように売れているらしい。


 白薔薇は、妹エレノアの象徴だ。


 菓子の包み紙には、涙を浮かべながらも気丈に顔を上げる妹の横顔と、次の言葉が印刷されている。


『真実を貫いた公爵令嬢に、永遠の幸福を』


 処刑を明日に控えた兄に渡す土産としては、ずいぶん趣味が悪い。


 だが、この菓子を持ってきた若い看守に悪意はなかった。


「お妹様は、本当にお優しい方ですね」


 彼はそう言った。


「処刑される御家族のために、明日は喪服で参列されるそうです」


「そうか」


「これほど酷い目に遭わされても、御家族を憎まないなんて……」


 看守は目頭を押さえた。


 彼もまた、妹の物語を信じている。


 冷酷な王太子。


 王太子を誘惑した身分の低い男爵令嬢。


 娘を政略の道具としてしか見なかった公爵。


 妹を妬み、陰謀を巡らせた公爵家の嫡男。


 そして、娘の苦しみを知りながら見て見ぬふりをした公爵夫人。


 すべての人間に裏切られた令嬢が、自らの知恵と勇気によって冤罪を覆し、悪人たちを断罪する。


 最後には、彼女の本当の価値を理解する異国の皇太子に見初められ、幸福な結婚をする。


 筋書きとしては、よくできている。


 厄介なのは、その物語に一つとして、完全な嘘が含まれていないことだった。


 父は、エレノアを政略結婚させた。


 母は、泣いてすがる娘を抱き締めなかった。


 私は妹を恐れ、避けていた。


 王太子アドリアン殿下は、大勢の貴族が見守る祝賀会で、一方的に婚約破棄を言い渡した。


 男爵令嬢ミレイユは、婚約者のいる王太子と何度も二人きりで会っていた。


 すべて事実だ。


 ただし、事実とは、並べる順番を変えるだけで別の顔を持つ。


 妹は幼い頃から、そのことをよく理解していた。


     *


 エレノアが初めて人を破滅させたのは、彼女が六歳、私が九歳の春だった。


 母が大切に飼っていた青い小鳥が、鳥籠の中で死んでいた。


 小鳥の首には、縫い針で刺したような小さな穴があった。


 鳥籠の鍵は開けられており、母付きの侍女マルタの部屋から、血のついた針が見つかった。


 マルタは十五年間、母に仕えていた。


 母が嫁ぐ前、まだ侯爵令嬢だった頃から一緒にいた侍女だ。


「私ではありません」


 マルタは泣きながら否定した。


「奥様。どうか信じてください。私はあの小鳥に触れてさえおりません」


 母はマルタを信じたかった。


 だが、証拠はあまりにも明白だった。


 その前夜、私は妹エレノアが母の部屋から出てくるところを見ていた。


 白い寝間着を着た妹の足元へ、青い羽根が一枚落ちた。


 翌朝、エレノアの右手の人差し指には、小鳥についばまれたような傷があった。


 私は庭にいた妹を問い詰めた。


「エレノア。小鳥を殺したのは、おまえか」


 六歳の妹は、庭に咲く白薔薇を眺めていた。


 泣きもせず、怒りもせず、静かに私を見上げた。


「お兄様は、わたくしが小鳥を殺すところをご覧になったの?」


「見ていない」


「わたくしが針を持っているところは?」


「それも見ていない」


「では、マルタの部屋から血のついた針が見つかったことと、わたくしの寝間着に羽根がついていたこと。どちらが証拠になるのかしら」


「羽根を見たのは私だ」


「お兄様は、わたくしと侍女のどちらを信じたいの?」


 信じる、という言葉を、妹はすでに武器として使っていた。


「おまえの指には傷がある」


「薔薇の棘で傷つけたのかもしれないわ」


「鳥籠の前にいたのだろう」


「お母様のお部屋へ、おやすみなさいを言いに行っただけよ」


「では、なぜ黙っていた」


「お兄様が、わたくしを怖い顔で見ているから」


 そこへ母がやって来た。


 エレノアは私の姿を見るなり、母のもとへ駆け寄った。


「お母様。お兄様が、わたくしが小鳥を殺したとおっしゃるの」


 その声は震えていた。


 先ほどまで一滴も流していなかった涙が、母の前では大粒になって頬を伝った。


「違う、母上。私は昨夜――」


「アルベルト」


 母は私の言葉を遮った。


「証拠もなく、妹を責めてはいけません」


「しかし、母上」


「エレノアはまだ六歳です」


 六歳だから、人を陥れるはずがない。


 母はそう信じたかったのだろう。


 私は父にも話した。


 父は誰にも知られないよう、鳥籠とマルタの部屋を調べさせた。


 その結果、小鳥の青い羽根がエレノアの寝室から見つかった。


 だが父は、その事実を公にはしなかった。


「この件は、ここで終わりにする」


 父は書斎で私に命じた。


「マルタは領地の別邸へ移す。十分な金も与える」


「マルタは無実です」


「分かっている」


「では、なぜ追い出すのですか」


「エレノアが小鳥を殺し、侍女へ罪を着せたと公にすれば、あの子は一生その評判を背負うことになる」


「本当にやったのなら、当然ではありませんか」


「エレノアは公爵令嬢だ。いずれ王家へ嫁ぐ可能性もある」


 父は娘ではなく、公爵家の名を守った。


 母は幼い娘を信じたかった。


 私は九歳で、父へ逆らえる力を持っていなかった。


 マルタは無実の罪を着せられたまま、王都を去った。


 そして妹は学んだ。


 証拠があっても、家の都合がそれを葬ること。


 人は真実ではなく、自分が守りたいものを選ぶこと。


 泣いている人間より、その人間を泣かせたように見える者のほうが憎まれること。


 それからも、小さな事件が続いた。


 エレノアを叱った家庭教師の鞄から、母の宝石が見つかった。


 乗馬で妹に勝った厩務員の少年は、飼料を盗んだ罪で追放された。


 妹の刺繍を褒めなかった従姉の恋文は、なぜか社交界中へばらまかれた。


 どの事件にも証拠があった。


 そして、どの証拠も妹には届かなかった。


 父は、妹のそばへ監視役を置いた。


 母は、娘と二人きりになることを避けるようになった。


 私は食事の場以外では、なるべくエレノアと顔を合わせなかった。


 後に、それらはすべて「公爵家による長年の虐待」の証拠として使われた。


 妹の部屋の前に常に侍女が立っていたこと。


 母の寝室に、娘が入れないよう鍵がかけられていたこと。


 兄である私が、妹と二人きりになることを拒んでいたこと。


 どれも事実だった。


 事情を知らない者が見れば、冷酷な家族が一人の少女を監視し、遠ざけているようにしか見えなかっただろう。


 私たちは間違えた。


 最初の事件が起きた時点で、家の恥をさらしてでも、妹を正式な裁きの場へ出すべきだった。


 医師や神官に診せ、被害者へ謝罪し、妹がしたことの責任を取らせるべきだった。


 だが父は体面を選んだ。


 母は希望を選んだ。


 私は沈黙を選んだ。


 その代償を、今になって支払っている。


     *


 エレノアが十三歳のとき、彼女と王太子アドリアン殿下との婚約が決まった。


 王命だった。


 ヴァレンハルト公爵家は、王国北部に広大な領地と強大な軍を持っていた。


 王家は公爵家を確実に味方につけるため、父の娘であるエレノアを未来の王妃に選んだ。


 父は、珍しく強く反対した。


「エレノアは王妃に向きません」


 国王陛下の前で、父はそう進言した。


「娘を王家へ差し出すのが惜しいのか」


「そうではございません」


「では、理由を申せ」


 父は答えられなかった。


 自分の娘が、幼い頃から人を陥れ、苦しむ姿を楽しんできたなどと、国王へ告げる勇気がなかったのだ。


 これまで妹の罪を隠してきた父が、今さら真実を語れば、公爵家もまた責任を問われる。


 国王は、父が権力を手放したくないのだと考えた。


 エレノアは、父が自分の幸福を妨げたのだと王太子へ訴えた。


 そしてアドリアン殿下は、妹の涙を信じた。


 婚約者となったエレノアは、誰の目にも完璧な公爵令嬢だった。


 王には忠実な臣下の娘として接した。


 王妃には、素直で可憐な未来の娘を演じた。


 貴族たちには、礼儀正しく気高い令嬢として振る舞った。


 慈善事業では孤児の手を握り、病人の前で涙を流した。


 人が自分に何を求めているのか、妹は正確に見抜く。


 アドリアン殿下にだけは、家族から愛されない孤独な少女の顔を見せた。


「家では、誰もわたくしの言葉を信じてくださいませんの」


 妹はそう語った。


 それもまた、嘘ではなかった。


 アドリアン殿下が妹の本性を疑い始めたのは、王立学院へ入って二年目のことだった。


 きっかけは、ミレイユ・ノルンという男爵令嬢だった。


 ミレイユは、珍しい治癒魔術の才能を認められ、特待生として学院へ入った娘だ。


 身分は低かったが、必要以上に高位貴族へへりくだることはなかった。


 ある薬草学の授業で、エレノアが示した薬の配合を、ミレイユが訂正した。


「その配合では、傷口が化膿する可能性があります」


 ミレイユに悪意はなかった。


 だが、大勢の学生の前で間違いを指摘された妹は、静かに微笑んだ。


「教えてくださってありがとう、ミレイユ様」


 翌週、ミレイユの教本から禁書の切れ端が見つかった。


 翌月、寄宿舎の階段で手すりが外れ、ミレイユは右脚を折った。


 怪我が治った直後、彼女は茶会で毒を口にした。


 一命は取り留めたが、利き手に震えが残った。


 学院の教師たちは、すべて偶然だと考えた。


 しかし、偶然はいつも、妹が不快に思った相手ばかりを選んだ。


 アドリアン殿下は、密かに事件を調べ始めた。


 やがて殿下は、私のもとを訪ねてきた。


「アルベルト。私はエレノアを疑っている」


 王太子であるアドリアン殿下は、妹の婚約者だ。


 そして私は、その妹の兄であり、将来は殿下の義兄になる立場だった。


 普通ならば、家の名誉を守るために妹を庇うべき場面だったのだろう。


 だが私は答えた。


「おそらく、殿下のお考えは正しいでしょう」


「君も、エレノアを疑っていたのか」


「疑っているのではありません」


 私は殿下の目を見た。


「妹がやったと、信じています」


 アドリアン殿下は言葉を失った。


 私は、青い小鳥から始まった過去の事件を説明した。


「しかし、妹を公の場で責めてはいけません」


「なぜだ」


「必ず殿下のほうが負けるからです。エレノアは、自分が疑われることも計算に入れています」


「では、どうすればいい」


「正式な捜査を行い、本人の言葉では逃れられない証拠を集めてください。公の場で婚約を破棄するようなことは、絶対になさらないでください」


 アドリアン殿下は、その場ではうなずいた。


 だが若く、正義感の強い王太子は、調査が終わるまで待てなかった。


 ミレイユが再び襲われることを恐れたのだ。


 そして何より、自分の手で彼女を救う英雄になりたかった。


 王立学院の卒業祝賀会。


 国王夫妻をはじめ、王国の有力貴族が集まる大広間で、アドリアン殿下はエレノアを呼び止めた。


「エレノア・ヴァレンハルト」


 音楽が止まった。


 数百人の視線が、王太子とその婚約者へ集まった。


「私は今日をもって、君との婚約を破棄する」


 殿下は、妹がミレイユへ行った嫌がらせと殺人未遂を告発した。


 脅迫状。


 毒薬の購入記録。


 階段の金具を外したと証言する侍女。


 殿下は自分なりに集めた証拠を、次々と提示した。


 最後に、ミレイユの肩を抱いた。


「私は、これ以上君の悪意によって、無実の者が傷つけられることを許さない」


 その瞬間、私は理解した。


 アドリアン殿下が妹を追い詰めたのではない。


 妹が、殿下をこの場所まで誘導したのだ。


 エレノアは慌てなかった。


 怒りもしなかった。


 ほんの少しだけ目を見開き、それから、深く傷ついた令嬢だけが見せるような静かな笑みを浮かべた。


「殿下」


 妹は、震える声で尋ねた。


「わたくしに、真誓石へ触れる許可をいただけますか」


 真誓石は、王家の裁判で使われる聖遺物だ。


 触れた者が明確な嘘を口にすれば、石は黒く濁る。


 真実を述べれば、白く輝く。


 アドリアン殿下は、自分の勝利を確信して許可した。


 エレノアは白い指を真誓石へ置いた。


「わたくしは、ミレイユ様の杯へ毒を入れるよう、誰かに命じたことはございません」


 真誓石は白く輝いた。


 妹は誰にも命じていない。


 自分の手で毒を入れたからだ。


「わたくしは、ミレイユ様を階段から突き落としておりません」


 石は、さらに明るく輝いた。


 妹はミレイユを突き落としていない。


 前夜に手すりの留め具を緩めただけだった。


「わたくしは、この脅迫状を書いておりません」


 白い光が大広間を満たした。


 脅迫状の文章を考えたのは妹だが、実際に文字を書いたのは買収された書記だった。


 妹は、一度も嘘を口にしなかった。


 誰も、その言葉の隙間を見ようとしなかった。


 人々が見たのは、神聖な光に照らされた無実の公爵令嬢と、その前で顔色を失う王太子だけだった。


 続いて妹は、数通の手紙を差し出した。


 アドリアン殿下がミレイユへ送った手紙だ。


『必ず君をエレノアから解放する』


『婚約さえなくなれば、君を正しく守れる』


 殿下にとっては、調査への協力を求める言葉だった。


 だが事情を知らない者が読めば、婚約者を捨てて男爵令嬢と結ばれようとする王太子の恋文にしか見えない。


 階段の金具を外したと証言した侍女も、証言を翻した。


「王太子殿下の側近から、証言しなければ家族を罪に問うと脅されました」


 半分は事実だった。


 殿下の側近は、真実を話すよう求め、偽証をすれば処罰すると告げていた。


 だが妹はその前に、侍女の弟を借金漬けにしていた。


 侍女は、王太子より妹を恐れた。


 そしてエレノアは、父と母と私へ顔を向けた。


「お父様。お母様。お兄様」


 妹は涙を流した。


「どうか、わたくしを信じているとおっしゃってください」


 父は答えなかった。


 娘を庇えば、また同じ罪を繰り返す。


 しかし公衆の前で、証拠もなく犯人だと言うこともできない。


「正式な調査を待つべきだ」


 父はそう答えた。


 法に従うという意味では、正しい言葉だった。


 だが、あの場で選ぶ言葉としては最悪だった。


 エレノアの唇が震えた。


「やはり、お父様は、わたくしの言葉を信じてくださらないのですね」


 大広間の空気が変わった。


 母は一歩、妹のほうへ進んだ。


 だがその手は、途中で止まった。


 母は、妹が幼い頃、泣いて抱きついた直後に、侍女の指を燭台の火で焼いたことを覚えていたのだろう。


 妹は、母のためらいを見逃さなかった。


「お母様は、昔からそうでした」


 エレノアは悲しげに笑った。


「わたくしが泣くと、まるで恐ろしいものを見るような目をなさる」


 それも事実だった。


 最後に妹は、兄である私を見た。


「お兄様」


「何だ」


「わたくしなど、生まれなければよかったと、思ったことはございませんか」


 私は真誓石を見た。


 十歳の冬。


 妹に罪を着せられた厩務員の少年が、雪の中へ追放された夜。


 私は確かに、エレノアなど生まれなければよかったと思った。


「ある」


 大広間に、どよめきが広がった。


「わたくしを恐ろしい子だと、日記に書きましたね」


「書いた」


「わたくしが王太子妃になれば、この国が滅びるとも」


「書いた」


 妹の目から、涙がこぼれた。


 私の答えはすべて真実だった。


 だからこそ、私たちは負けた。


 その夜、王太子アドリアン殿下は権限を停止された。


 ミレイユは王太子を誘惑し、未来の王妃を陥れた嫌疑で拘束された。


 翌朝、ヴァレンハルト公爵邸は王国騎士団に包囲された。


     *


 父は逃げなかった。


 父が書斎の暖炉で燃やしたのは、反乱の計画書ではない。


 妹の被害に遭った使用人たちの名簿だった。


 彼らが証人として呼び出されれば、妹から報復される。


 公爵家が反逆者と認定されれば、私たちに仕えていたというだけで罪に問われる可能性もあった。


 父は最後まで誰かを守ろうとし、最後まで守る順番を間違えた。


 屋敷の捜索で見つかったものは、すべて本来とは反対の意味を与えられた。


 妹の行動を記録した監視日誌は、娘の私生活を支配した証拠。


 解雇した使用人へ渡した金は、虐待を口外させないための口止め料。


 妹を診察した神官の往診記録は、娘を悪霊憑きと決めつけて祈祷を受けさせた証拠。


 私がマルタへ送った手紙は、妹を陥れる偽証を相談した証拠。


 一つ一つについて、説明はできた。


 だが説明するたび、私たちは自分たちの罪も認めなければならなかった。


 なぜ、マルタが無実だと知りながら、別邸へ追いやったのか。


 なぜ、厩務員の少年の汚名を晴らさなかったのか。


 なぜ、家庭教師が宝石を盗んでいないと分かった後も、名誉を回復しなかったのか。


 なぜ、エレノアが王太子妃になるまで真実を伏せていたのか。


 答えは、いつも同じだった。


 公爵家を守るため。


 私たちがその言葉を口にするたび、裁判を傍聴する民衆の憎悪は深まった。


 彼らには、私たちが今も家門を守るため、娘へ罪を着せようとしているようにしか見えなかった。


 裁判で母は、震える声で証言した。


「あの子を愛していました」


 母は言った。


「けれど、怖かったのです」


 検察官は穏やかに尋ねた。


「六歳の娘が、ですか」


「六歳の頃からです」


 傍聴席から失笑が起きた。


「泣いて抱きついてきた娘を、あなたは突き放したことがありますね」


「その直前、あの子は侍女の手を燭台の火で――」


「その侍女は、そのような事実はなかったと証言しています」


 証言台に立った侍女は、俯いていた。


 妹に焼かれた指は、手袋の中に隠されていた。


 侍女の夫は公爵領で働き、三人の子供も領都で暮らしている。


 公爵家が反逆者となった今、妹に逆らえば一家がどうなるか。


 説明されるまでもなかったのだろう。


 母は、それ以上何も言えなかった。


 父は、青い小鳥の事件から始まるすべてを語った。


 検察官は最後まで聞くと、悲しげに首を振った。


「あなた方は、実の娘を怪物に仕立てるため、二十年近く物語を作り続けたのですね」


「物語ではない」


「では、なぜ事件が起きるたび、法へ届け出なかったのです」


 父は答えられなかった。


 その沈黙で、私たちの有罪は決まった。


 私は地下牢へ移される途中、向かい側の房にいるアドリアン殿下を見た。


 髪は乱れ、かつての王太子としての面影はほとんど残っていなかった。


「アルベルト」


 殿下は鉄格子越しに私を呼んだ。


「君の言うとおりだった」


「何がです」


「私は証拠を集め、法に従うべきだった。大広間でエレノアを追い詰めれば、ミレイユを救えると思った」


 殿下は乾いた笑いを漏らした。


「だが本当は、私は皆の前で正義の英雄になりたかっただけだ」


 私は何も言えなかった。


「私はエレノアを悪役にして、自分を正しい王子にしようとした」


 殿下は続けた。


「だから、彼女に主人公の座を奪われた」


「ミレイユは、どうしています」


「まだ生きている。昨夜、壁越しに声を聞いた」


「彼女は何と?」


「毒を杯へ入れたのは、エレノア本人だと見たそうだ」


「証言できますか」


「できる。だから、おそらく長くは生きられない」


 三日後、ミレイユが獄中で自ら命を絶ったと発表された。


 遺体のそばには、遺書が残されていた。


 だが文章は、利き手ではない左手で書かれていた。


 アドリアン殿下の予想は、最後まで正しかった。


     *


 父は公爵位を剥奪され、王家への反逆罪で処刑された。


 母は当初、娘への虐待を黙認した罪で修道院へ送られる予定だった。


 しかし後に反逆幇助の罪を加えられ、私と同じ日に処刑されることになった。


 私は、すべての陰謀を計画した首謀者とされた。


 父の跡を継ぐ予定だった嫡男が、妹の王太子妃としての地位を妬み、王太子と男爵令嬢を利用して妹を排除しようとした。


 それが、王国によって認定された物語だった。


 一方、エレノアは涙ながらに宣言した。


「もはや、この国にわたくしの居場所はございません」


 そこへ手を差し伸べたのが、隣国ノルガルト帝国の皇太子カシアン殿下だった。


 カシアン殿下は、以前から妹と手紙を交わしていた。


 表向きは、外交と文化交流についての書簡だった。


 実際には、王国北部にある砦の配置、穀物庫の位置、冬季の兵站路が記されていた。


 軍務を預かっていた父の書斎から、何年も前より少しずつ資料が消えていた。


 父の印章を使った書簡も見つかった。


 書簡を送ったのは妹だった。


 だが公には、父が帝国と通じていた証拠とされた。


 ノルガルト軍は、王国北部へ進駐した。


 大義名分は、こうだ。


『白薔薇の令嬢を虐げた腐敗した王国から、罪なき民を守る』


 北部の領民たちは、帝国軍を歓迎した。


 父が反逆者として処刑され、領地を守る軍の指揮系統は崩壊していた。


 抵抗した兵士は、旧公爵家に仕える反乱軍と呼ばれた。


 エレノアは、一滴の血も流さずに故国の三分の一を婚資として差し出した。


 妹とカシアン殿下の婚礼は、純白の薔薇で飾られたという。


 吟遊詩人たちは、虐げられた令嬢を救った異国の皇太子の愛を歌った。


 新聞は、身分と権力に屈せず、真実を貫いた女性の勝利と書いた。


 王都の娘たちは、妹と同じ髪型をまねた。


 誰も、北部の村々で帝国による徴兵が始まったことを歌わなかった。


 誰も、ミレイユの遺体がどこへ葬られたのか尋ねなかった。


 誰も、幽閉されたアドリアン殿下が舌を失った理由を問わなかった。


 物語は、すでに完成していた。


 悪人は罰せられた。


 善良な令嬢は救われた。


 彼女を理解する理想の男性と結ばれ、いつまでも幸福に暮らした。


 人々が望む結末に、余計な説明は必要なかった。


     *


 処刑前夜。


 妹エレノアが、私の牢を訪れた。


 ノルガルト帝国の皇太子妃となった妹は、白い毛皮の外套をまとい、首には帝国皇室を象徴する黒曜石を下げていた。


 鉄格子の外に立つ姿は、私が知るどの頃よりも美しかった。


 看守たちは妹へ深く頭を下げ、牢の外へ出ていった。


「お久しぶりです、お兄様」


 エレノアは微笑んだ。


「三日前、裁判で会った」


「あれは公の場でしょう。こうして二人きりでお話しするのは、ずいぶん久しぶりですわ」


「おまえと二人きりになるなと、父に言われていたからな」


 妹は小さく笑った。


「その言葉も、虐待の記録へ加えておきました」


「ミレイユを殺したのか」


 私は前置きをせず尋ねた。


 妹は否定しなかった。


「毒で死なれては困りましたの」


「なぜだ」


「あの方には、アドリアン殿下の庇護を必要とする弱い被害者でいていただかなければならなかったからです」


「だから、毒の量を抑えたのか」


「ええ。けれど、牢へ入った後は役目を終えましたでしょう?」


「遺書は」


「ミレイユ様の授業用のノートから文字を写させました。左手で書かせたのは、少々不自然でしたけれど」


 妹は楽しそうに目を細めた。


「誰も気にしませんでしたわ」


「アドリアン殿下の舌を切らせたのも、おまえか」


「最後まで、わたくしの言葉の綻びを叫び続けていたそうです。カシアン様が、静かにさせたほうがよいとおっしゃいました」


「父の印章を使い、帝国へ砦の情報を渡したな」


「ええ」


「国を売ったのか」


「国は先に、わたくしを売りました」


 妹は平然と答えた。


「王家と公爵家を結ぶため、十三歳の娘を王太子へ差し出した。わたくしは、自分の値段をつけ直しただけです」


「それで、多くの人間が死んでも構わないのか」


「お兄様は、いつも大勢の話をなさいますね」


 妹は鉄格子へ白い指をかけた。


「ねえ、お兄様。どうして皆、あれほど簡単にわたくしの話を信じたのだと思います?」


「おまえが巧妙だったからだ」


「それだけではありません」


 エレノアは、幼い頃と同じように首を傾げた。


「皆、信じたかったのです」


「何をだ」


「傲慢な王太子が、身分の低い令嬢に心を奪われ、婚約者を捨てる物語を」


 妹は指を一本立てた。


「冷たい公爵家が、善良な娘を虐げていた物語を」


 二本目。


「踏みにじられた令嬢が、皆の前で真実を示し、悪人たちを見返す物語を」


 三本目。


「わたくしが作ったのではありません。もともと、皆の心の中にあった物語です。それを、見えるように並べて差し上げただけ」


 妹は、本当に嘘をつかない。


 王太子は傲慢だった。


 大広間で婚約を破棄すれば、それが正義になると思っていた。


 父は冷たかった。


 家門を守るため、被害者へ沈黙を強いた。


 母は弱かった。


 娘を恐れながら、母親であることを捨てられなかった。


 私は臆病だった。


 真実を知りながら、妹を正式な裁きの場へ引きずり出さなかった。


 妹は、私たちの罪を作り出したのではない。


 私たちの罪を、自分の罪を隠す幕として利用した。


「一つだけ、分からない」


 私は妹へ尋ねた。


「なぜ、ここまでした」


「何のことです?」


「王妃になりたかったのか。アドリアン殿下が憎かったのか。家族へ復讐したかったのか」


 妹はしばらく考えた。


 そして、幼い少女のような声で答えた。


「誰にも、いいえと言われたくなかったのです」


 あまりにも幼い理由だった。


「アドリアン殿下は、ミレイユ様へ謝れとおっしゃいました」


 妹は指を折りながら数えた。


「お父様は、わたくしは王妃に向かないとおっしゃいました」


 もう一本。


「お母様は、わたくしが泣いても抱き締めてくださいませんでした」


 そして妹は、私を見た。


「お兄様だけは、最初からわたくしの正体に気づいていました」


「見ていたから、止めようとした」


「ええ」


 妹は微笑んだ。


「だから、お兄様がいちばん邪魔でした」


 エレノアは懐から一枚の紙を取り出した。


 そこには、私の自白が書かれていた。


 兄である私が、幼い妹へ暴力を振るったこと。


 使用人へ命じて偽証させたこと。


 王太子を利用し、妹を処刑しようとしたこと。


「署名してくだされば、お母様の明日の処刑を止めます」


 私は紙を受け取らなかった。


「母を生かすとは言わないのだな」


 妹の目が、わずかに細くなった。


 ほんの一瞬だけ、私は六歳の頃のエレノアを見た。


 自分の言葉の隙間へ気づいた相手を、面白そうに眺める目だった。


「修道院へ戻します」


「冬を越せない地下房へか」


「そこまでは約束しておりません」


「署名はしない」


「お母様が死にますわ」


「署名しても死ぬ」


「そうかもしれません」


 妹は紙を折りたたんだ。


「やはり、お兄様は変わりませんね。真実には価値があると思っていらっしゃる」


「価値はある」


「誰も信じない真実に?」


「おまえが恐れている。それで十分だ」


 初めて、妹の笑みが消えた。


 私は続けた。


「おまえは勝った。国も、王太子も、家族も、すべて踏み台にした」


「ええ」


「だが一人でも、おまえが本当は何者なのかを知る人間が生きている限り、おまえは完全な主人公にはなれない」


「だから明日、お兄様は死ぬのです」


 妹は静かに答えた。


 怒ってはいなかった。


 片づけるべき仕事を確認しているだけの声だった。


「マルタは生きている」


 私は、最後に残していた名前を出した。


 青い小鳥の事件で罪を着せられた、母付きの侍女。


 父によって領地へ追いやられた後も、私は密かにマルタと手紙を交わしていた。


 彼女は、エレノアが針を部屋へ隠したことも、後に口止めされたことも手紙に残している。


 しかし妹は驚かなかった。


「マルタの息子は今、カシアン様の近衛隊で副隊長をしております」


「何だと」


「マルタは昨日、わたくしが幼い頃から家族に虐げられていたと証言しました」


「そんなはずはない」


「息子の未来と、死んだ小鳥の真実」


 妹は穏やかに言った。


「どちらを選べばよいのか、彼女は正しく理解しておりました」


 私は何も言えなかった。


「ねえ、お兄様」


 妹は満足そうに私を見た。


「人は真実を信じるのではありません」


「では、何を信じる」


「その真実を信じた後の自分が、いちばん幸福でいられる物語を選ぶのです」


「おまえを信じた者たちは、幸福なのか」


「少なくとも、自分が正義の側にいると思っていられます」


「それを幸福と呼ぶのか」


「多くの方にとっては、それで十分でしょう?」


 妹は私へ背を向けた。


「さようなら、お兄様」


「エレノア」


 妹は足を止めた。


「おまえは、私が死ぬことを悲しいと思うのか」


 妹は振り返らなかった。


「ええ」


 その声は、ほんの少しだけ寂しそうだった。


「お兄様は、わたくしを最初から正しく見てくださった、唯一の方でしたから」


「ならば、明日は泣くのか」


「もちろんです」


 妹は軽やかに答えた。


「皆様の前で、たくさん泣けそうですわ」


     *


 夜が明ければ、私は処刑台へ上る。


 広場には、妹も来るという。


 自分を虐げた家族であっても、その死を悼む慈悲深い皇太子妃として、黒いヴェールをかぶり、民衆の前で涙を流すだろう。


 その涙は、本物かもしれない。


 妹は、感情まで偽っているわけではない。


 悲しみながら、人を殺せるだけだ。


 愛しながら、踏みにじれるだけだ。


 自分を信じた者へ微笑みながら、その人生を燃料にできるだけだ。


 だから厄介なのだ。


 純粋な嘘つきなら、いつか言葉が崩れる。


 純粋な怪物なら、いつか誰かが恐れる。


 だが妹は、真実だけを選んで語る。


 正しい場面で涙を流し、他人の罪だけを鏡のように映す。


 鏡の裏側にどれほど血が付いていても、人々は自分の正義が美しく映る限り、裏側を覗こうとはしない。


 明日、処刑人は私へ最後の言葉を尋ねるだろう。


 私は、こう答えるつもりだ。


「エレノアは、一度も嘘をつかなかった」


 広場の人々は、歓声を上げるかもしれない。


 罪人である兄が、死の直前に妹の無実を認めたのだと思うだろう。


 だが私は、続ける。


「だからこそ、彼女の言葉をよく聞け。彼女が何をしたと語ったかではない。何をしていないとしか語らなかったのかを」


 おそらく、誰も意味を理解しない。


 新聞は、こう見出しを打つだろう。


『罪人、最期に白薔薇の無実を認める』


 吟遊詩人は、妹が憎い兄さえ許したと歌うだろう。


 この手記も、明日の朝には焼かれるかもしれない。


 看守に見つかれば、皇太子妃への中傷として破り捨てられる。


 誰にも読まれないまま、この石壁の隙間で朽ちるかもしれない。


 それでも、私は書いた。


 真実は、信じる者がいなければ死体にすぎないと、妹は言った。


 ならば私は、その死体に名前を与える。


 エレノア・ヴァレンハルト。


 ヴァレンハルト公爵家の令嬢。


 王太子に婚約を破棄された、白薔薇の令嬢。


 家族に虐げられながらも真実を貫き、異国の皇太子に愛され、幸福を手に入れた女。


 後世の物語は、妹を悪役令嬢ではなかったと記すだろう。


 それは正しい。


 妹は、悪役令嬢という役を演じていたのではない。


 彼女は悪役のまま、主人公の座を奪ったのだ。

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― 新着の感想 ―
何時か裁かれて欲しいが彼女みたいな要領の良い悪女は上手いこと生き残りそう。
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