第三話 お婆さんの秘密
……ん?なんの音? 私は何かの気配を感じて目を覚ました。
まだ外は暗い……朝にはまだ早い時間だ。何だろう? もう一度眠ろうとして目を閉じかけた時、また小さな音が聞こえた。しくしくと誰かが泣いている。
私は布団から顔を出して耳を澄ませる。
やっぱり聞こえる……泣き声だ。私はそっと布団から這い出て音のする方へ向かった。
リビングのドアを少しだけ開けて覗いてみると、そこにはお婆さんが涙を流しながら謝っていた。
「ごめんね……ヨミちゃん……本当に、ごめんね」
私は驚いてドアを開けた。
「あ……ヨミちゃん」お婆さんがこちらを向く。
その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていて、とても悲しそうだった。
「お婆さん?どうしたの?」
「……ごめんね……起こしちゃったみたいね」
私に笑顔を見せながら、涙を流すお婆さん。
しかし、それよりも驚いたのは、お婆さんの体が透けている事だった。
「お、お婆さん!どうしたの!」
お婆さんに駆け寄り取り戻した声を出す。
「……ヨミちゃん……ごめんね」
お婆さんは、涙を流しながら、ずっと私に謝っている。
「おばあさん!おばあさん!」と、大きな声を出す。
「大きな声も出るようになったのね。ヨミちゃん、あなたの声、とても優しくてとても素敵よ」
「そんなことよりお婆さんの体が!」
「……そうね……もう私には、時間が無いみたいなのよ」
お婆さんはゆっくりと立ち上がると、本棚の方へ向かった。
「お婆さん!」私は慌ててお婆さんの後を追う。
お婆さんが本棚から一冊の本を取り出した。
それは私が毎日練習で読んでいた本。『星降る神社の星の巫女様』だった。
「これ、ヨミちゃんにあげる」
「え?」
「これは、私の大好きな本。だから、ヨミちゃんにあげたいの」
「でも……」私は本を受けとる事に躊躇する。この本を私に譲ると言う事が、とても寂しい事のように思えてしかたがない。
そんな私を見て、お婆さんが優しく微笑みかけている。
「これからも、たくさん本を読んでね。本は、あなたをどこにでも連れて行ってくれる。ヨミちゃんが悲しい時は楽しい世界へ、ヨミちゃんが泣きたい時は悲しい世界へ」
私の頭を優しく撫でながら、本の表紙を私に向ける。
「本は、誰でも簡単に使える魔法なのよ」
「……魔法?本を読む事も魔法?」
「うん。そうよ。そしてこの本は、きっとあなたを助けてくれるはずよ」
お婆さんが本を私に差し出してくる。
「貰ってくれるかしら?」
小さく頷き、私は震える手でそれを受け取った。
ずっしりと重い。この重さがお婆さんの想いの重さみたいに感じた。
「ありがとう、ヨミちゃん」
嬉しそうな笑顔を見せるお婆さんの顔を、何が起こっているのか良くわからない私は、見つめる事しかできない。
「……お婆さん?何があったの?」
私が聞くと、ギュッと抱きしめられた。
でも、何かがおかしい……いつものような温かさが違う気がする。
「こんな所だったのに、一緒にいてくれてありがとう。あなたがいてくれて、私はとても幸せだったわ」
お婆さんはさらに薄くなっていき、透けた体の奥にある台所が鮮明に見えてくる。
「待って!お婆さん!」
私はお婆さんを必死に掴む。でも、私の手は何も掴めなかった。私の手が、お婆さんの体をすり抜けていく。
お婆さんが私から離れ、いつも本を読んでいた椅子の後ろに立つと、そっと椅子の背を撫でている。
そして「あなたも今までありがとね」と小さな声で椅子に語りかけると、月の光を背にして私を見つめている。
「ヨミちゃん、元気でね。お父さんとお母さんを大切にね」
お婆さんが消えてしまうと思った私は必死で叫ぶ。
「お婆さん!行かないで!」
「……さようなら、ヨミちゃん」
お婆さんが微笑むと、その笑顔はいつものように優しくて温かかった。
そして、お婆さんの姿が消えてしまった。
「お婆さん……」
私は立ち尽くしたまま、さっきまでお婆さんがいた場所を見つめていた。
お婆さんはいない……私の手には、お婆さんがくれた本だけが残っている。
涙が溢れてくる。止めようとしても止まらない。
「……お婆さん……お婆さん」
「どこへ行ったの?」
「どうして消えてしまったの?」
私はその場に座り込んで、本を抱きしめながら泣いた。
どれくらい泣いていたのだろう……涙が枯れて、もう何も出てこなくなった頃、ふと机の上に何かあることに気づいた。
「白い紙……手紙?」私は立ち上がって机に近づく。
手紙には、『ヨミちゃんへ』と書かれていた。お婆さんの字だった。
震える手でそれを取り上げると、私はゆっくりとそれを開いた。
親愛なるヨミちゃんへ
こんな形でお別れすることになって、本当にごめんなさい。
でも、あなたに真実を伝えなければいけません。
実は、私はもう死んでいます。
もうずっと昔に人としての命は終わり、この世とあの世の境目で一人で過ごしていました。
ヨミちゃんが迷い込んだこの場所は、この家はどこにも存在しない特別な場所なんです。
きっと私が遠い昔に読んだ何かの本の世界の中なのでしょう。
誰も来ない誰もいない場所で、ただ本を読んで一人で過ごしていました。
始めの頃は、ずっと好きな本を好きなだけ読める事に嬉しかったものです。
そして、この体はずっと眠らなくても良かった。
ずっとずっと本を読んでいるだけで良かった。
ただの楽しみとして食事をしていたけど、別に何も食べなくても大丈夫だったの。
しかし、そんな生活が永遠に続いていると、ちょっと寂しいなって思ってきちゃったのよね。
そんな事を思うようになったある日、私は光る蝶を見つけました。
その蝶はとても美しくて、私は思わず願ってしまったのです。
「私と一緒に暮らさない?」
一緒に過ごしてくれる誰かが欲しいと願ってしまったの……。
そうしたらヨミちゃん……あなたが来たのです。
ヨミちゃんが来てくれて、私はとても嬉しかった。
ヨミちゃんと過ごす日々は本当に幸せでした。
でも、ヨミちゃんと暮らすうちに気づいたのです。
ヨミちゃんには帰る場所がある。
お父さんとお母さんがいて、ヨミちゃんを待っている家族がいる。
私はヨミちゃんをここに呼んでしまった事が、どんなに罪深いことかを思い知りました。
ヨミちゃんが声を取り戻して本を読めるようになった時、私は思いました。
ヨミちゃんの優しい声を聞いて思いました。
ヨミちゃんを帰してあげなければと思いました。
だから私は、ヨミちゃんが寝た後に、こっそり森へ向かいました。
森の奥深く、ずっとここで暮らしていた私でも、滅多に訪れないその場所に向かい、私は蝶に呼びかけました。
「確かあの蝶を見たのはこの辺りだったわね」
「光る蝶よ。あなたにもう一度お願いがあります」
「姿を見せてくれないかしら?」
すると、夜の森の青く照らしながら、光る蝶がどこからかやって来ました。
「ありがとう。来てくれたのね」
そして私は、再度、その蝶に願いました。
「せっかくあなたが私のお願いを聞いてくれたのに、また私の我儘を聞いてくれないかしら?」
「私はこの先もずっと一人でも良いから、ヨミちゃんを帰してあげて下さい」
「あの子には帰る場所があります」
「待っている家族がいます」
「お願いです」
「ヨミちゃんを、元の世界に帰してあげて下さい」
「私の大切な本も、ヨミちゃんにあげる1冊以外は全部あなたに渡します」
「だからお願いです」
「私の……私の魂を代価に、この願いを叶えて下さい」
すると蝶はヒラヒラと私の周りを飛び、いっそう強い光を放ちながら光の中へと消えていきました。
家に辿り着く頃には、私の体はもう透け始めていました。
「困ったわね~。本当に融通の利かない蝶なんだから……」
これでは、ヨミちゃんが起きて来るまで持ちそうに無いと思い、手紙を書く事にしました。
「さて……何を書こうかしら……」
お婆さん……。私は涙でぐしゃぐしゃになった顔で手紙の続きを読む。
私のせいで怖い思いをさせちゃって、本当にごめんなさい。
少しの間だったけど、一緒に過ごせて幸せでした。
ヨミちゃんと過ごした日々は私の宝物です。
とっても可愛いお耳と尻尾のヨミちゃん。
とっても頑張り屋さんのヨミちゃん。
ちょっと恥ずかしがり屋のヨミちゃん。
とっても優しい声で、私の為に本を読んでくれたヨミちゃん。
これからもたくさん本を読んでね。
大好きよ……さようなら……ヨミちゃん。
手紙はそこで終わっていた。
私は手紙を抱きしめてまた泣いた。
「お婆さん……お婆さんは私のために消えてしまったの?」
「自分の魂を差し出してまで、私を帰そうとしてくれたの?」
こみ上げる涙で視界が歪み、文字が滲んで読めない。
「私は……私は何も知らなくて……」
「お婆さんが一人で苦しんでいるのに、気づいてあげられなくて……」
喉の奥が震えて、声がうまく出ない。それでも、謝らずにはいられなかった。
「……ごめんなさい」
「ごめんなさい……お婆さん」
「でも……私はあの光る蝶が居なかったら、きっとケガレに死されていたと思う」
「お婆さんがここに呼んでくれなかったら、私はきっと生きていなかったと思う」
「お婆さん……ありがとう」
「私をここに呼んでくれてありがとう」
「私と一緒にいてくれてありがとう」
「声を取り戻す方法を教えてくれてありがとう」
「私、お婆さんと出会えて良かった」
「本当に良かった」
「うわ~~~~ん。おばあさ~~~ん」
私はお婆さんの本を抱きしめて、取り戻した声で大きな声をだして泣いた。
窓から朝日が差し込んでくると、お婆さんの家が段々と消えていく。
ガチャン。ギィーと軋むドアを開け、勇気を出して外に出ると、青白い光が私の前に現れた。
あの蝶だ! 光る蝶が私の周りをゆっくりと回り始める。
蝶が光を放つたびに周りが明るくなっていく。
「……これは、あの時と同じだ」
「私を帰してくれるの?」
私がそう訪ねると、蝶が私の目の前で止まる。
まるで、準備はいい? と聞いているみたいだった。
私は本を抱きしめたまま小さく頷いた。
「……お婆さん……ありがとう」
「私、お婆さんとの日々を、お婆さんの優しさを絶対に忘れない」
「そしてこの本を、ずっとずっと大切にするね」
もう、ほどんど消えてしまったお婆さんの家に、お礼を言いながら頭を下げていると、蝶が一瞬強く光り、そして光が私を包み込んでいく。
私は大事な本を抱え、ゆっくり目を閉じた。
意識が遠のいていく。
「さようなら……大好きだよ……お婆さん」
目を開けるとそこは森の中だった。
でも、見覚えのある森だ。木の形も、草の匂いも、鳥の声も全部知っている。
「ここは私のお家の近くの森だ! 帰ってきたんだ!」
私は本を抱きしめたまま、家の方へ一生懸命に走り出した。
木々の間を抜けて、草を踏みしめて必死に走る。
「お父さん!お母さん!」
大きな声で叫びながら走っていると、やがてお家が見えてきた。
でも家はボロボロになっていて、壁は壊れて屋根も傾いている。
庭も荒れ果てている。
あの時のままだ……ケガレに襲われたあの時のままだ。
私の足が止まる。
もしかして、お父さんとお母さんはもういないの? 不安で胸が苦しくなる。
ギィーと、戸が開く音がし、家の中から白い毛並みが見えてくる。
「お母さん!」と叫びながら私は駆け寄った。
「……ヨミ?……ヨミなの?」
お母さんだ! 白い毛並みのお母さんが、戸口に立っている。傷だらけで包帯を巻いているけどお母さんだ!
「ヨミ!」
お父さんも現れた。お父さんも傷だらけだけど、生きている!
「お父さん!お母さん!」
「ヨミ!」
お母さんも走って来て、私たちはぶつかるように抱き合った。
「ヨミ……良かった~」
お母さんが私を抱きしめる。
「ヨミ、よく帰ってきた」
お父さんも私たちを抱きしめ、大きな手が私の頭を撫でる。
「ごめんなさい、お父さん、お母さん。私、一人で逃げちゃってごめんなさい」
「何言ってんのよこの子は……私がヨミに、逃げなさいって言ったんじゃないのよ」
「でも……」と私は母の胸に顔を埋めながら呟く。
「本当に無事で良かったわ」いつもは怖い母も泣いている。
「心配したぞ? どこへ行っていたんだ?」
父が私の頭を撫でながら聞いてくるので、私は母から離れ、胸を張って答える。
「人間のお婆さんと一緒にいた!」
「は?」父は目を丸くしている。
「……ヨミ?本当なの?」母は心配そうに私を見ている。
私は、お婆さんの本を掲げ、叫んだ。
「うん!優しいお婆さんが、私を助けてくれたの!」
「魔法もいっぱい教えてくれたの!」
凄いでしょ!と私は自信満々に答えたが、父と母が目を合わせながら首を傾げている。
「そう……そうなんだ……」父は困った顔に変わった。
「とにかく、無事でいてくれて良かったわ」
母は、きっと私の言う事を信じて無いのだろう……。
「……お腹がすいたでしょ? すぐに用意するから、何が食べたいか言いなさい」
母の言葉に、私が今、一番欲しい物がすぐに頭に浮かんだ。
「ココア!ココアが飲みたい!」
「ヨミ?……なんだそれは?」
「……さぁ、私も聞いた事がないわ」
どうやら、二人はココアを知らない様だ。
「……とにかく家に入りなさい」
困った顔をしながら母が私に言う。
「は~い」と返事をしながら、久しぶりの自分のお家に入る。
少し壊れていたけど、匂いは懐かしいままで、帰って来た事に嬉しさが込み上げてくる。
父が私を抱き上げ、いつもの私の席に運んでくれる。
「なんだか、半日しか会ってないのに、ヨミは随分と逞しくなった気がするな」
父が私を持ち上げながら、不思議そうな顔をしているが、私も父の言葉に不思議な気持ちになる。
私はお婆さんのお家で、何日も過ごした筈だ。ご飯も何回も食べたし、何回も『おはよう』の挨拶をした。
「ケガレが襲って来てから、何日経ったの?」と父に聞いてみる。
「何日って、まだ一日も経ってないだろ? さっきケガレを退治し終わって、これからヨミを迎えに行く所だったんだぞ?」
「ヨミ? 本当に大丈夫なの? 怪我とかしてないの?」
二人が心配そうに私を見つめている。
私は眉を歪ませながら、しばらく考えたが良くわからない。
「う~~ん」と私が唸っていると、父が私を椅子に座らせて、私の耳をちょこんと触った。
「とりあえず、ヨミ。おかえり」父が言う。
「おかえり。ヨミ」母が言う。
「うん!ただいま!」私は元気に返事をした。
◆エピローグ◆
私は読み終えた本を見つめる。
表紙に抱えれ居るタイトルは『星降る神社の星の巫女様』
お婆さんがくれた大切な本だ。
私は読み終えた本を見つめながら、取り戻した声を出す。
「お婆さん……聞こえましたか?」
「こんなにもスラスラと読めるようになったんだよ」
「私、帰ってきたよ」
「お父さんとお母さんに会えたよ」
「ありがとう、お婆さん……」
「私、この本をずっと大切にする……」
「そして、これからも、たくさん本を読むね」
空を見上げると、青い蝶が一瞬だけ光って消えた気がした。
まるでお婆さんが返事をしてくれた気がして、懐かしい温かい気持ちが蘇って来た。
おしまい
最後まで呼んで頂き、ありがとうございました。
まだまだ拙い文章と表現力で、自分の思い描いた世界観が伝えられなくてもどかしいです。
他の方達はみんな凄いな~と思いながら、読みあさっていると、また書きたい話を思いついてしまいます。
またどこかで私の作品を見かけた時は、読んで頂けると嬉しく思います。




