第二話 お婆さんの魔法
お婆さんとの生活が始まって数日が経った。
私がモソモソと布団から這い出ると、お婆さんはもう起きていて朝ごはんの用意をしている。
私だってもっと早く起きてお手伝いをしたいと思っている。
だけど人間のお布団が気持ち良すぎて私を開放してくれない……いつも私が本当に目を覚ますのは、冷たい水で顔を洗った後だった。
2人でテーブルに着くと、一緒に『いただきます』をして朝ごはんを食べる。
食べ終わると一緒にお片づけをして、お婆さんに掃除や洗濯を教えて貰う。最初は何をすればいいのか分からなかったけど、掃除ならもう一人でもできるようになってきた。でも外に出るのが怖いので、私が掃除をする場所はお家の中だけだった。
お昼ごはんを一緒に食べ終わると、お婆さんが本を読んでいる間は私も本を読む時間だった。
「そろそろ時間かね~」
夕方になるとお婆さんの声で一緒に夕ごはんを作って一緒に食べる。夜になるとフカフカの布団に入って眠る。
毎日が同じような繰り返しだったけど、この生活は嫌いじゃなかった。
でも、お父さんとお母さんの事を思い出すと、胸がぎゅって苦しくなる。そういう時はお婆さんにくっ付いていれば少しだけ落ち着く。
お婆さんは人間なのに、とても優しくて温かかった。
ある日の出来事。
ある朝、ご飯を食べている時に、お婆さんが私に話しかけてきた。
「ねえ、お前さん」
私は顔を上げてお婆さんを見る。
「そろそろ、お前さんの名前を教えてくれないかい?」
そう言えば、まだ名前を伝えてない事に気付き、私は口を開いて声を出そうとする。
「………………」
でも、声にならない息だけが小さく漏れる。
もう一度挑戦してみるが、やっぱり上手く声が出ない事に悔しくて涙が出そうになる。
「無理しなくていいのよ」
お婆さんが優しく微笑みながら、私の顔をじっと見つめている。
どうにかして、名前を伝える方法はないかなと、色々と悩んでいると、お婆さんが、ポンっと手を叩き、何かを思いついた様子だ。
「今度は、ゆっくり息を吸ってから、ゆっくりと言ってごらん」
どういう事なの?と疑問に思った。
どうやら私はとても困ったような顔をしていたらしく、その事に気付いたお婆さんはクスッっと笑った後、大きく両手を広げた。
「いいかい?私の真似をしてみな」
何が始まるのだろうと、じっと見つめていると、お婆さんはさらに両手を大きく広げ、すーーーっと大きく息を吸った。
「お前さんも、やってみなさい」と言われ、私も真似をして大きく息を吸った。
すーーーっと息を吸い込むと、胸の中が自分の吸った息でいっぱいになる。
「そのまま、ゆっくり名前を言ってごらん?」
お婆さんに言われた通りに、ゆっくりと名前を言ってみる。
「よーーーみーーー」と、上手くは無いが声がちょっと出た。
「ほら、声がでたじゃない」
「ヨミちゃんって言うんだね」
私はうんうんと大きく頷いた。
なんで声が出たんだろうと、私は首を傾げながら口をパクパクと動かすが、今度は何も言葉が出てこない。
不思議だなと思っていると、お婆さんが人差し指を立て、ゆっくりと宙に円を書きながら教えてくれた。
「これはね。声が出るようになる魔法なんだよ」
それを聞いて私は心が高鳴り、ぱーっと私の顔が笑顔になるのが、自分でもわかる。
本の中のお話に魔法が出て来た時に、私も使えればなぁと思った事があった。そんな魔法を私も使えた事が嬉しかった。
なんだか嬉しくて、私も人差し指をくるくると回して、魔法使いの真似事をしてみる。
「これからよろしくね。ヨミちゃん」
お婆さんが頭を撫でてくれると、私の尾が勝手に大きく揺れた。
コクっと頷き、私はお婆さんに抱きつくと、色々と嬉しくて、お婆さんの服に顔をうずめ笑顔を隠した。
嬉しいと恥ずかしいが混ざり合っているのに、私の顔は勝手に笑顔になってしまう。
お婆さんがずっと頭を撫でてくれるので、顔をうずめたまま顔を隠している時間が長くなってしまった。
数日後。
それから数日が経ったある日の午後。お婆さんが私の前に座って真剣な顔で私を見つめている。
「ヨミちゃん。お前さんは本を読むのが好きだろう?」
私は頷く。本は好きだ。家にいた時も暇さえあれば同じ本を何度も読んでいた。
「それならこれを読むお手伝いをしてほしいの」
お婆さんは立ち上がって本棚に向かい、たくさんの本の中から一冊を選んでそれを持って戻ってきた。
その本は古びていて、表紙は色褪せていた。
だけどボロボロではなく、大切にされてきたのが分かる。
表紙には青い色の文字で、『星降る神社の星の巫女様』と書かれていた。
「この本を私に読んで聞かせてほしいの。私は目が悪くなってしまったから、古い本は読みづらくてねぇ」
声に出して?でも私は声が出ないのにと思っていると、お婆さんが本を差し出してくるので私は受け取る。
ずっしりと重い……。きっとこれは、大人が読む難しい本だと思った。
ページをめくってみると、たくさんの文字が並んでいて、細かい字がぎっしりと詰まっている。
文字の意味は分かるけど、声に出せるだろうか……。不安になってお婆さんの顔を見ると優しく微笑んでいた。
「最初はうまくいかなくても大丈夫。一緒に練習しながら、少しずつ読んでくれればいいからね」
一緒にの言葉が心に響く。一人じゃない……。お婆さんが一緒なら怖くない気がした。
私は本を抱きしめながら、お婆さんの顔を伺い小さく頷いた。
「じゃあ、今から始めましょうか」
その日から、私の朗読の練習が始まった。
お婆さんの膝の上に座って本を開き、一番最初の文字から読み上げようと、私は口を開いて喉を動かそうとする。
でも喉の奥がキュッとするだけで、声も息も何も出てこない。
そんな私にお婆さんの優しい声が頭の上から聞こえてくる。
「声が出る魔法を使ってみたら?」
そうだ!私にも使える魔法があったと、声の魔法の事を思い出す。
でも、両手には重い本を持っているので、手を広げられない事にも気づいてしまった。
うぅ~うぅ~と悩んでいると、脇からスッと手が現れて本を持ってくれた。
私は両手を大きく広げ魔法を使う。
「すーーーーーーーー」
準備は出来たので、口を開いてもう一度挑戦する。
「じ・ん・せ・・・い」
小さくてかすれているけど声が出た。
「うん!ちゃんと聞こえたわよ」と、お婆さんが嬉しそうに笑う。
もう一度挑戦する。
「じ・ん・せ・・・い・に」
出た!また声が出た!
嬉しくて尻尾が勝手に揺れるが、お婆さんの膝に乗っているのでお尻がムズムズする。
「よく頑張ったわね」
お婆さんが私の頭を撫でてくれる。
私は嬉しくて足をバタバタさせながら、自信満々に本に視線を戻した。
それから毎日、少しずつ練習を続けた。
難しい字や知らない言葉は、読み方を教えて貰いながら、その言葉を何度も声に出して覚えていく。
「しゃ・しん?・・を・とった」
バラバラには言えても、繋げて読むと、喉がギュッとするのでちょっと難しい。でも諦めないで何度も何度も挑戦する。
頑張るとお婆さんが、ご褒美にココアと言う甘い泥水を淹れてくれるので、私はその為に頑張った。
きっとお婆さんは、泥水を甘くする魔法も使える。
声が出る魔法の次は、ココアの魔法を教わろうと密かに決めた。
「すごいわ!ヨミちゃん!」
いっぱい読めた時は、お婆さんが拍手してくれる。
その笑顔が嬉しくて私も笑顔になる。
練習を始めて一週間が経った頃には、私は一行くらいなら一気に読めるようになっていた。
まだ、たどたどしいけど、ちゃんと声が出る。
「言葉が口から出てくるのが、嬉しくてたまらない」
「ほしが・ふる・よるに・・・みこさんが・・・じんじゃに・・・」
順調に本を読めていると、思っていたその時だった。
急に胸が苦しくなって息が詰まる。胸の奥がぎゅぅーっとなって、苦しくて苦しくて声がでなくなる。
何が起きているのか分からないでいると、頭の中にあの日の記憶が蘇ってくる。
ケガレ達の群れ……。
必死に私を逃がそうとする母さんの叫び声……。
父さんが斧で戦っている姿……。
そして、雨が降っている冷たくて暗い森……。
その時の絶望していた記憶が、本の内容とは関係なく、私の中にどんどん蘇ってくる。
胸の中が、苦しくて苦しくてたまらない。自然と、本を持っている手から力が抜けていき、重い本を支えられなくなる。
私の異変に気付いたお婆さんが、本をスッと私の手から取り、テーブルに置くと優しく抱きしめてくれた。
「ヨミちゃん?大丈夫?」
「うわ~~ん!うわ~~~ん」
怖くて怖くて、ここに来てから始めて大声で泣いた。
「……今日はここまでにしましょう」
私は、お婆さんの腕の中で小さく頷いた。
次の日、またお婆さんと一緒に本の前に座った。
でも、昨日のことが怖くて、本の文字を目で追えない。
ここが怖い場所じゃ無いと思えるようになると、最近は色々な事を考える余裕が出来た。
そんな時にふと思ってしまう。
お父さんとお母さんの事を思い出し、会いたいと思ってしまう。
すると胸がぎゅうーっとなって、声が出なくなってしまう。
声が出なくなると、その後は息も出来なくなる。
また、そうなったらと思うと、大好きな本がとっても怖くなる。
「ヨミちゃん?」と声をかけながら、お婆さんが私の手を握る。
「本を読んでいる時はね、楽しい事やワクワクする事を思いながら読むの」
「・・・楽しい・・・事?」
「そう!本の中の景色を思い浮かべて、ヨミちゃんもお話の世界に入ってしまえば良いのよ」
「私が……本に?……入るの?」
「この物語の中でヨミちゃんに何が起こるのか。主人公達とヨミちゃんはどんなお話をするのか。それを楽しみながら読むの! そうすれば、楽しい物語の景色が見えてくるものよ」
「これも……まほう?」
「そうねぇ~。楽しく本を読む魔法かしらね」
新しい魔法を覚えられる! ココアの魔法じゃないけど、心がワクワクしてくる!
私は本に書かれている文字を目で追いながら、本の中の景色を思い浮かべた。
すると、お婆さんのお家が、不思議な世界の中へと変わっていく。
そこは夜の神社だった。両側が木々に覆われた、誰も居ない道。灯篭が静かに石畳を照らしている。
その先には、この本の主人公にしか見えないはずである、不思議な門が扉を開けている。
その中で、いつもの椅子に座るお婆さんの膝の上に、私は座っていた。手にはちゃんと本もある。
私の教わった新しい魔法は凄い! 私が本を読み進めると、私が見ている景色も変わっていく。
やがて、このお話の主人公が歩いて来ると、不思議な門を通っていく。
「ほしみの・・・おかに・・・みこさんが・・・いました・・・」
本を読むと、景色の中に本の中の人達が現れる。
私は夢中になって本の世界へ入って行った。
「どう?まだ本が怖いかい?」
お婆さんの声がすると、いつもご飯を食べているテーブルが現れ、まわりの風景もいつもの景色に戻る。
「・・・こわく・・・ない」
「よしよし!ヨミちゃんは強い子だね」
お婆さんが優しく私の頭を撫でてくれると、私の尾が大きく揺れ、お尻がムズムズした。
それからは毎日、お話の世界に入りながら練習を続けた。
情景を思い浮かべながら、私は少しずつ朗読を続ける。
まだ、まだたどたどしいけど、前よりずっと声を出して読めるようになった私のお話を、お婆さんは静かに聞いている。
お婆さんに褒められるのが嬉しくて、私はもっと上手に読みたいと思う。
ご褒美のココアも飲みたいし、もっと褒められたい!
お掃除も手伝ってお洗濯も手伝って、その後のお風呂も温かいから好きだ!
頑張る理由がいっぱいで困る。
でも、この本を最後まで読み終えれば、お婆さんはもっと喜んでくれる気がする。
そのために、もっともっと練習しようと思った。
数週間後。
練習を始めて二週間が経った頃、私は少しずつ文章が読めるようになっていた。
まだ時々詰まってしまうけど、ちゃんと言葉が口から出てくる。
いつものように朗読の練習をしていると、お婆さんが少し黙り込んでいることに気づいた。
「お婆さん?どうしたの?」
私が顔を上げると、お婆さんは窓の外を見つめていた。
その横顔がなんだか悲しそうに見える。
「あ、ごめんね」お婆さんが気づいてこちらを向く。
「さぁ、続けて、続けて」
お婆さんは笑っているけど、いつもの笑顔とは何か違う気がした。
その日から、お婆さんの様子が少しずつ変わっていった。
朝ごはんを作っている時も、時々ぼーっとしている。
本を読んでいる時も、ページをめくる手が止まっている。
窓の外を見つめて何か考え込んでいる。
そして笑顔が減ってる気がする。
いつもなら私が何かすると、にっこりと笑ってくれたのに、最近は微笑むだけで、それもどこか弱々しい微笑み。
心配になってお婆さんの顔を見つめる。
「だいじょうぶ?」
まだうまく言えないけど、お婆さんには伝わったみたいで私の頭を撫でてくれた。
「大丈夫よ、ヨミちゃん。心配しないで」
何かあるのだろうか?お婆さんは、何を考えているのだろうか?私には分からない……。
その日の夜、私は布団の中で考えていた。
お婆さんの様子がおかしい……。時々、とても悲しそうな顔をする。
何か私が悪いことをしたのだろうか?
それとも、お婆さんに何か悩みがあるのだろうか?
私に出来ることはないのだろうか?
でも声がうまく出せない私には、お婆さんにうまく聞くことも出来ない。
もっと早く声を取り戻さなければ……。
お婆さんとちゃんと話がしたい!
私は目を閉じながら考えた。
明日も練習しよう! もっともっと練習して、お婆さんと話せるようになろう。
翌朝、私が起きると、お婆さんは椅子に座って本を読んでいた。
でも、お婆さんは本を見つめているけど、ページをめくっていない。ただじっと同じページを見つめている。
「……お婆さん?」
「あら、おはよう」
お婆さんがゆっくりと顔を上げた。
「よく眠れたかい?」
「……うん」
「朝ごはんの用意するわね」
お婆さんが立ち上がると、その後ろ姿がいつもより小さく見えた。
その日の午後、また朗読の練習をした。
私はお婆さんのために一生懸命本を読む。
「ほしが ふる よるに かみさまが おりて きた」
私が読み終わるとお婆さんが微笑んだ。
「上手になったわね、ヨミちゃん!もう少しで、すらすらと本を読めるようになりそうね」
「……うん」
私は早くこの難しい本を、全部読み終えてやろうと頑張っていた。
でも、最近はこの本を読み終えてしまう事に不安を感じるようになっている。
私がこれをちゃんと読めるようになったら、どうなるんだろう。
私が声を取り戻したら、お婆さんは本当に喜んでくれるのかな?
そんな事を思うようになっていた。
その日の夜。私が布団に入ってしばらくすると、かすかに音が聞こえた。
静かに耳を澄ますと、ギィーと戸が開く音がした。
お婆さん? こんな夜中にどこへ行くのだろう?
私は、ただじっと耳を澄ませていた。
足音が遠ざかっていくと静寂が訪れ、私は不安になって布団の中で丸くなる。
真っ暗な布団の中でお婆さんの帰りを待った。
どれくらい時間が経ったのだろう。
また、ギィーと、戸が開く音が聞こえ、私は布団の中から顔をだす。
お婆さんが戻ってきたみたいだ。
よかったと私は安心してほっとする。
お婆さんが私を置いて何処かへ行ってしまうのかと思った。
また一人になるのかと思うと、とても怖くて不安な夜だった。




