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金木犀に誘われて

ーー秋風香る金曜日の真夜中。


私・藤原咲は、少し暗い部屋の中でひとり、

8年ぶりに原稿用紙を前にしながら週末の楽しみである酒を嗜んでいた。

酒を飲めるようになってからは、飲んだ方がアイデアが思い浮かぶことが多かった。

でも今はそのようにはいかず、

アルコールの成分に誘われて意識が遠のくばかりになってしまっていた。


私は読むことと書くことが好きだった。

特に大学へ通っていた当時が一番、その行為をしている頻度が最大だった。

ただ、自分の臆病な性格が災いして、投稿サイトに作品を公開することまではできなかった。

その頃の作品はとてもではないものの、

残しておくには精神的な負担となっていき、結局はすべてをゴミ箱へ葬り去ってしまった。


大学を卒業して28歳になった私は、安定した会社員として日々生活を送っていた。

そんな生活も気づけば8年めになる。

酒を飲みながらそんなことを考えていると、

ふとした瞬間に大学時代の恋人の存在を思い出すことがある。


普段は思い出すだけでその後何のアクションも取ることはないが、なぜかこの日は、それだけで終わってはいけないような気がした。

気になって、SNSを開く。

当時、彼がこっそり私にだけ教えてくれていたアカウントの名前を検索した。


ーーあ。


検索してトップに表示された

見覚えのある忘れられないシルエットに、ひゅっと息を飲んだ。

大学を卒業した当時を思い出す。


ーーそうだ、私はいちど彼の信念を否定している。

「自分の音楽で挑戦したい」と創作だけで生きていこうとする彼・望月 樹に対して、

不安を抱くことしかできず、彼についていける自信がなかったのだ。


だから私は、書くこともやめたのに。今さらどうしてこんなことをしているのだろう。


やはり自分は書くこと無しでは先に進むことができないのだろうか。

私はしばらく逡巡した。


――あれこれ考えているうちに、完全に意識を手放してしまっていた。

なんとなく重たい体を起こしてスマホを手に立ち上がり、窓を開けてベランダへでる。

手すりへ寄りかかると、優しい花の香りが漂った。


応援してると告げて別れてから、もう8年が経とうとしていた。

それからというもの、私は彼の近況を全くもって知らない。

自分が薄情で、情けなく思えてくる。


それでも、冷たくも優しく、金木犀の香る風が、

臆病な私の背中をそっと押してくれた気がした。


私は、検索して表示されたままだったその動画の再生ボタンを押した。


〜〜♪


――聞き覚えのある、伸びる声。

よく隣で歌ってくれていた、あの頃の面影が重なる。

少し大人びた声と姿が、そこに映し出される。

その瞬間。

当時の思い出が頭の中を駆け巡る。


気がついたら、涙がこぼれていた。


3分と少し。再生が終わる。

スマホの時間は深夜の2時を示していた。

この動画のコメント欄を見てみると、

アマチュアとしてはそれなりの人数からの感想コメントがついていた。

嬉しいような、遠くに行ってしまって少し寂しいような、複雑な気持ちが混ざり合う。


それでも後悔したくなかった私は、コメントを打ち出す。


『綺麗な歌声と素敵な歌詞に、私も少し救われました。』


私のアイコンは、8年前のあの写真。

アルバムを見返したら、奇跡的に削除されることなくデータとして保存されていた。


この写真であればきっと、彼なら気づいてくれる。

――そう、信じて。

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