第13話 断罪の雷、誓いの炎
皇宮の大広間は、いつになく張り詰めた空気に包まれていた。
高いアーチ天井から吊るされた燭台が白々とした光を放ち、石床に長い影を落とす。その光の下に集ったのは、帝国の主要な公爵家や侯爵家の当主、高官たち。誰もが黒い礼装に身を包み、ざわめくこともなく、ただ壇の上に立つ一人を凝視していた。
中央に立つのは、帝国第二皇子レオンハルト。
金糸を織り込んだ礼装軍服に長身を包み、黄金の髪は光を受けてなお鋭さを増し、まるで炎に照らされた刃のように輝いていた。整った顔立ちには冷ややかな威厳が漂い、その姿は人ではなく、もはや裁きを司る異形の神のようであった。
眼差しは氷よりも冷たく、そこに射抜かれた者の心は抗う間もなく砕かれる。
まるで、逃れられぬ断罪をもたらす審判の神アドラストスが、罪人を見下ろしているかのように――。
壇下に並ばされたのは、アイゼンリート公爵と令嬢ドロテアをはじめとする一族だった。
いつもは胸を張り、誰よりも誇り高く振る舞っている名門も、今は蒼白にうつむき、冷や汗に濡れた額を隠すように震えている。
公爵は固く握った拳を膝の上で震わせ、ドロテアは爪が食い込むほど指を組み、唇を噛みしめていた。気丈さを装うその目には、恐怖と、なお殿下に縋りつこうとする狂気と哀願の光が入り混じっていた。
「ここに告げる。」
レオンハルトの声が広間に低く響いた。
「アイゼンリート公爵家は、禁じられた呪術を用い、ヴァルトハイム辺境伯の娘エリナを陥れようとした。“皇子からの贈り物”に偽り、菓子へ術を仕込むという卑劣な手段を用いて。」
その言葉に広間はざわめき、重苦しい気配が渦を巻く。誰もが壇下の一族へ冷ややかな視線を投げ、ドロテアは顔を覆って嗚咽を洩らし、公爵は蒼白のまま膝を折りかけた。
「証拠はすでに揃っている。」
皇子の手が掲げるのは、次々に積み重なる証書だった。
「辺境伯邸に菓子を届けた従者の証言。残された菓子に刻まれた呪術の痕跡。そして呪術を施した魔導士と家令の供述。いずれも覆しようのない事実だ。」
そのとき、氷のごとき瞳に、初めて憎悪が鮮烈に浮かんだ。
普段は何の感情も映さぬ冷徹な双眸だからこそ、そこに宿った激情は異様な輝きを放つ。
広間に集った者は皆、膝を正し、声を失った。
その苛烈な断罪者の前では、誰一人として逃れも弁明も許されぬことを悟ったからである。
それでも――沈黙はすなわち死を意味した。
命をつなぐためには、何としても声を絞り出さねばならない。
公爵は顔を上げ、決死の覚悟をにじませた声で言葉を吐いた。
「殿下……これは殿下を思ってのこと。娘を殿下の妃に据えれば、我が家は殿下の強き後ろ盾となる。殿下のため、ひいては帝国の安寧を思ってのことだったのです……!」
一見もっともらしい言葉。だが、広間に走ったのは冷笑だった。
誰もが理解していた――その裏にあるのは野心と打算であり、無垢な令嬢を犠牲にしようとした卑劣さに他ならないと。
その瞬間、レオンハルトの冷徹な表情に激情の火が走った。
抑えきれぬ怒りが声に迸り、――それはまるで審判の神が天より放つ雷鳴のごとく、広間を震撼させた。
「帝国の安寧を語るか! ならば尚のこと、罪は重い。――お前たちは、法の下に裁かれるのだ!」
レオンハルトの一喝が広間を揺るがした直後、重々しい衣擦れの音とともに法務大臣が進み出た。
その姿はまるで冥府の使者が死を告げに現れたかのごとく。
誰もが息を詰めてその声を待つ。
「ここに――裁きを宣す」
静まり返った広間に低く響く声。
まず爵位の剥奪が告げられるや、玉座の傍らに掲げられていたアイゼンリート家の紋章旗が兵の手で裂かれ、布は無惨に二つへ引き裂かれた。床に叩き落とされる瞬間、空気そのものが重く沈み、権勢を誇った名家の威光は音を立てて崩れ去った。
続いて領地と財産の没収。
列席していた貴族たちの間に小さなどよめきが走る。まるで神が一瞬にして天上から地へ突き落とすかのように、栄華はすべて剥ぎ取られた。
さらに、呪術に関与した家令と魔導士が縄で縛られ引き立てられる。
魔導士は蒼白な顔で必死に言い訳を叫んだが、証拠の前に言葉は無力であり、彼らには斬首刑が宣告された。泣き叫ぶ声は広間にこだましたが、それすらも帝国の威光の前では塵に等しかった。
そして最後に、公爵とドロテアへ、最も苛烈な裁きが下る。
「爵位剥奪、領地と財産没収のうえ、平民として磔刑に処す」
その声は冷徹に響き渡った。
生きながら磔にされ、朽ち果ててもなお屍は晒され続け、帝都を訪れる者すべての目にその末路を焼きつける。
――帝国の最高位にあった名家にとって、これ以上の屈辱も恐怖もなかった。
「いやよ! レオンハルト様、どうか目を覚まして! あんな何も持たない女より、私の方がふさわしいのに!」
「殿下! どうかお情けを! 我が家は帝国創成の時より皇家を支えてきたのですぞ! それを……これほどの仕打ちは……!」
ドロテアは髪を振り乱し、狂女のように絶叫した。涙と鼻水で顔を濡らし、声は掠れて嗚咽に変わる。
公爵もまた膝を折り、這いつくばるように縋った。肥え太った体を震わせ、唾を飛ばしながら許しを乞う姿は、誇り高き大貴族の面影を微塵も残してはいなかった。
だが兵に両腕を掴まれると、二人は引きずられるように立たされる。
ドロテアは爪で床を掻き、声を枯らして命乞いを叫んだが、石床に爪痕を残すばかりで誰一人振り向かなかった。
その惨めな光景を見下ろし、レオンハルトは冷ややかに言い放つ。
「己が罪を懺悔しながら逝け。赦しはない」
広間の貴族たちは沈黙のまま、冷ややかにその背を見送った。
同情の色を浮かべる者など一人もいない。
――ただ恐怖のみがあった。
誰もが心に刻んだ。容赦なき裁定者の前では、いかなる権勢も命乞いも無意味であると。
レオンハルトはその一部始終を氷の眼差しで見届け、最後に冷たく言葉を刻んだ。
「――これが、帝国の裁きだ」
その声は大広間の石壁に反響し、やがて雷鳴の余韻のように消えていった。
静まり返った空気の中、誰もが息を潜める。
アイゼンリート家は滅んだ。
権力も、財も、誉れも、そして命までも――帝国の名の下に打ち砕かれた。
それは一つの名家の終焉であると同時に、神々の鉄槌を想わせる冷酷な宣告だった。
その没落は、単なる断罪ではない。
帝国全土へ轟く雷となり、すべての者に告げ知らせる――
皇子の怒りに触れたならば、いかなる名門も例外なく灰燼と化す、と。
この日、帝都の大広間に集った貴族たちは悟った。
帝国の牙は、血脈にも名誉にも怯むことはない。
そして氷の皇子こそ、無慈悲な断罪者――審判の神そのものである、と。
◇
夕刻。断罪を終えたレオンハルトは、静まり返った辺境伯邸を訪れた。
寝室に足を踏み入れると、そこには蝋細工のように白い顔で眠るエリナの姿があった。
彼は無言のまま枕元に膝をつき、乱れた布団をそっと直す。
その瞳には、先ほど大広間で見せた苛烈な「審判の神」の影はない。
氷のような冷徹さも、雷のごとき断罪の声も、そこには存在しなかった。
ただ一人の少女を慈しむ、ひとりの男の柔らかな切望だけがあった。
「……お願いだ。俺に、守らせてくれ」
声は震え、だが真摯だった。
小さな囁きは、むしろ大いなる誓いのように静かに響いた。
「誰であれ――君を傷つける者は、俺が決して許さない」
その言葉は懇願であり、同時に宣言でもあった。胸の奥で渦巻く激情は、慈しみへと形を変え、揺るぎない覚悟となって言葉に結実していた。
氷の仮面を脱ぎ捨てた一人の男が、静かに、しかし確かに誓ったのだ。
すべてを敵に回しても、この少女だけは守り抜く――。
レオンハルトの誓いは、もはや言葉ではなく、血肉に刻まれた。