恋はたぶん、完璧な肯定じゃない。
柊との関係は、ゆっくりと、でも確かに距離が縮まっていった。
頻繁に連絡を取り合うようになり、週末にはどちらかの部屋で映画を観たり、近所のスーパーで一緒に買い物をしたりする時間も増えた。
それでも、やっぱり、“その瞬間”はまた訪れた。
ある夜、真奈美の部屋に泊まった翌朝、柊は台所で洗い物をしていた。
「いい彼氏ムーブだな」と真奈美は心のどこかで思った。
でも、シンクに積み上がった皿の洗い方を見て、思わず声をかけてしまった。
「それ、ちゃんと洗えてないよ。油残ってる……」
「え、あ、ごめん。見えなかった」
そう返す柊の声に、なぜかイラっとしてしまった。
(見えなかったじゃなくて、見ようとしなかっただけじゃない?)
(私がいちいち指摘しなきゃいけないの?)
その日は一日、心がもやもやしていた。
“まただ”と思った。
小さな違和感が、積もっていく。
「やっぱりこの人、無理かも」って思う瞬間。
けれど、夜。帰り際に柊が、ふとカバンから折りたたんだ紙袋を取り出した。
「これ、昨日話してた焼き菓子。好きそうって思ってさ」
中には、真奈美が昔好きだった洋菓子店の小さなクッキーセット。
それ、たった一度会話の中で言っただけのことだった。
彼は覚えていた。
「ありがとう……」と口にしながら、真奈美は思った。
なんて面倒くさい自分なんだろう。
些細なことで冷めて、ひとことで揺れて。
でも、だからこそ今、自分が“確かに誰かを気にしている”ことも分かる。
**
その夜、ひとりベッドの中で考える。
たぶん、これからもきっとまた、彼に冷める瞬間は来る。
彼の不器用さ、甘さ、ちょっとしたズレが気になって、
「この人じゃないかも」と思うことは、きっと何度もある。
でもそれでも、手を離したくないと思う。
「完璧な人じゃない」と思うたびに、
「それでも好きでいられるか」を、自分に問い続けること。
それが今の真奈美の“恋”なのかもしれなかった。
**
翌朝、LINEの通知がひとつ。
柊からのメッセージ。
「お皿、次はちゃんと洗えるようにするから、また泊まっていい?」
「あと、今日ちょっと疲れてるって言ってたから、無理しないでね」
スマホを持つ手が、少しだけあたたかくなる。
心の中の赤いランプは、今日は静かだった。
冷めそうで、でも消えない。
矛盾のまま、それでも。
真奈美は小さく笑って、返信を打った。
「次は一緒に洗おう」
恋はたぶん、完璧な肯定じゃない。
何度も揺れながら、それでも残る「また会いたい」という気持ちが、
ほんとうの“好き”なのかもしれない。
そして今、彼女はその気持ちと、少しだけ仲直りできた気がした。