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死なせ神

作者: FUJIHIROSHI

 麻井田太一あさいただいちは広い公園で一人ベンチに座り、虚しさに打ちひしがれていた。

 今日も朝から息子の嫁である結美子ゆみこに叱られてしまったのだ。それはそうだろう。昨夜、風呂を沸かしたことを忘れて寝てしまった。結美子が気がついた時には、ぐつぐつと煮えたぎっていたのだから。

 古希こきを過ぎてから物忘れがひどくなっていた。情けない。毎日のように注意されている。タチの悪いことに身体は丈夫だった。自分はまだまだ何でも出来ると思ってしまう。人生の幕を下ろすなら、自分でやるしかないな。と田太一は半ば自暴自棄になり、虚ろ目に足元でせっせっと働く蟻を眺めていた。

 その視界に、真新しい革靴が滑り込んできた。

 視線を上げると、目の前にいかにも営業マンといったいでたちの男が笑顔で立っていた。

「はじめまして。こういう者です」

 田太一は差し出された名刺を見ることなく「いらん」とその手を払った。

「いやいや、見るだけ見てみてください、麻井さん」

 こいつ今、俺の名を言ったか? 田太一はその男と目を合わせたが、知らない顔だ。聞き間違いかと思いながらも名刺を見た。

「死神?」

 思わず声を出した。

「まだ新しい名刺が出来ていなくて……ここ、よく見てください。死と神の間」

 よく見ると小さく『なせ』と文字が足されている。

「死なせ神? なんだそれは。ふざけてるのか」

 田太一が睨みつけるも、男の笑顔は変わらない。

「いやいや、ふざけてはいないのですよ、麻井さん。私、死なせ神と申します。人間世界のニーズに合わせまして、死神から転職しました」

「ふざけた奴だ。なぜ俺の名を知っているんだ?」

「知ってるんです。私、何でも知ってます。あなたが死にたがっているのも知ってますし、死ぬ予定じゃないのも知ってます」

 なんだと……話せば話すほど、田太一は男の異様な雰囲気に呑まれていく。

 すぐさまここを離れたいが、動けなかった。

「死神は手帳に書かれた人間の、死の予定を管理しています。我々死なせ神は、超突発的ちょうとっぱつてきな死を管理しているんです。登録してみませんか?」

「登録だと?」

「そうです。人間の世界って、アレでしょ。長生きするようになったのに、周りには喜ばれない。保険とか決まりごとがあって自殺も出来ないんでしょう。なかなか死なない人は大変だ」

「そんなもの気にしなければ自殺は出来るが」

「……ああ、すいません。今、たとえで言ってしまいましたが、自殺はやめた方が良い。あれはダメです。()()()()()()()()()()()から。ま、それはこっちに置いといて……ですからね、我々は死にたがっている人間に、これから起こる事故現場等を紹介して、超突発的に死んでいただこうと考えたのです」

「事故死を、斡旋しているということか。死の予定日ではないのに、そんなことが出来るのか?」

「麻井さんは飲み込みが早い! 予定はあくまで予定であって、自殺も含めて突発的な死は自然界でも普通に起きることなんです。それを利用して斡旋するのが我々死なせ神の仕事なんです」と、その男は人差し指を立てて続けた。


 要するにこれは——、

「『予定された死』ではなく、『予約する死』なのです」




「おじいちゃん! おかえりなさい」

 田太一が家に帰るなり、孫の優太ゆうたが駆け寄ってきた。

「ママもう怒ってないよ。平気だよ。僕、言ったんだよ、おじいちゃんを怒っちゃダメって。わざとじゃないもんねー。来て来て、上手に描けたんだよ」

「ああ、そうかそうか。ありがとう。優太は優しいな」

 優太は田太一の心を癒す、唯一の存在だ。自分のミスで優太に何かあってはいけない。それだけが怖い。

 あの男の不気味な笑顔がちらつく——『はい。では登録完了です。まあ、これは予約なので、もちろんキャンセル出来ますから。キャンセル料はいただきません。やっぱり死ぬのや〜めた。と思ったら、その事故現場に行かなければ良いだけです。それで登録は抹消されますのでお気軽に』そう言って男が人差し指を田太一の額に当てた時、事故現場の場所と時間が流れ込んできた。死ぬか、キャンセルするまで、この記憶は忘れないらしい。

 事故現場は近所のコンビニ。

 時間は本日、十六時四十三分三十二秒。

「おじいちゃん!」

 優太の声で我にかえる。

「もう! ちゃんと見てる?」

「ああ、ごめんごめん。優太は絵を描くのが上手だねぇ」

 そこに、お昼ご飯よ、と結美子の声。

 出された食事を見て田太一は目を丸くする。サバの味噌煮込みと、好物の筑前煮だ。これは三年前に死んだ田太一の妻から、結美子が教わったものだ。

「ごめんなさい、お義父さん。今朝は言い過ぎてしまいました」

「……結美子さん……」

 優太のことはもちろん心配だが、なによりも、優太の大好きなおじいちゃんに何かあっては困るのだと結美子は謝罪した。



 十六時半。コンビニの雑誌コーナーに田太一はうつむき、立っていた。あと十三分三十二秒後、アクセルとブレーキを踏み間違えた車が突っ込んでくる。

 しかし、田太一は悩んでいた。自分はまだ、生きていて良いのではないかと……。

 やはりやめようと顔を上げた時、

「おじいちゃん。やっぱりおじいちゃんだ」

「え、優太?」

「どうしたんですかお義父さん。コンビニにいるなんて珍しいですね」

 優太と結美子だ。スーパーからの帰りに寄っていた。

 時間を確認する。十六時三十九分。

「ちょうど帰ろうと思ったところだ。さあ、帰ろう」

 田太一は急ぎ、出口へ歩き出した。

「あーレンジャーコミックだ。ママ、これ買って」

「だーめ。帰るよ。ほら、おじいちゃん帰っちゃうよ」

 優太が座り込んで本を見て動かない。

 田太一は自動ドアの前で焦り、辺りを見回す。

 雑誌コーナーの目の前に車が入ってきた。駐車しようとしている。


 この、車だ!


 ほら、早く、二人とも——。

「優太、結美子さん! 早くこっちへ来なさい!」


 爆発でもしたかのような破壊音とともに車が突っ込んできた——。




 ようやく泣きやんだ優太が、せっせと働く蟻を追いまわしている。

 田太一と結美子は広い公園で二人、ベンチに座っていた。

「まだ震えています……お義父さんが叫んでくれなかったら、私も優太もどうなってたことか……」

「いや、あの車の動きがおかしかったんでね。二人とも無事で良かった」

 本当に、良かった。田太一は胸を撫で下ろした。


「いやいや、何も良くないですよ」


 田太一はとっさに声のした方を見た。

 顔が腫れあがり、見る影もないが、あの男だ。死なせ神が結美子の隣に立っている。が、結美子にはその声は聞こえていないようだった。

「あなたね、とんでもないことをしたんですよ。キャンセルなら行かなければ良いと言ったでしょう。それなのに助けてしまった。()()()()()()()()だったこの女性を助けてしまった!」

 ……何だって? 田太一は何も言えなかった。

「前代未聞ですよ。おかげで私、この女性の担当だった死神にボコボコにされてしまいましたよ。分かっていると思いますが……いや、分かっていなくとも、一つの命の対価には一つの命となっております」


「ママ、ママ」

 優太が駆け寄る。

「消えちゃったけど、今の人誰?」

 え? 結美子は軽く左右を見る。

「なあに? 誰もいないよ」

「うそ、おじいちゃんとお話ししてたでしょ」

「やあね、何言ってるの。誰もいなかったよ。ねえ、お義父さん……お義父さん?」


 田太一は絶命していた。

 しかし、その顔はとても満足そうに笑っていた。



 おしまい

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