とある店内、あの日の呼び出し③
新人研修とは言っても、実践研修などをすることはない。というか、例によって片桐さんが禁止しているので、もしも店長や他キャストによる実践研修の事実が明らかにされた場合は問答無用で解雇なのだそうだ。俺の担当するWeb宣伝用の写真撮影にしても希望制であり、強制されるものではない。
見学店または見学クラブは、元々実際に18歳以下のキャストを集めて営業をし、更には管理といった名目で監視カメラの設置や従業員の猥褻行為が露呈して営業停止が相次いだ歴史がある。
性サービスというのは決してなくならないからこそ、次から次へと新業態の店が現れ、摘発されては消えていく。グレーから黒スレスレの店が少なくないからこそ、片桐さんは自身の店の規律には厳しい。
今回の新人研修を受け持っているのは、茉莉綾さんだった。待機室の中で指名を待ちながら、隣でメモを取りながら話を聞いている新人を教えている。
在籍するのは風俗に興味はあるが男性に触れられる苦手であったり、他の店は未経験というキャストがほとんどだ。そんな中でも、同じ感覚を持ちながら在籍期間も長くなってきた茉莉綾さんは、片桐さんやオーナーに頼まれて新人を研修することも少なくないらしい。
俺はその様子をいつものように個室で見ながら、人手が必要な時はスタッフを手伝いながら仕事をした。普段、俺が研修中のキャストの様子を見ることはあまりないのだが、今回の入ってきた新人は、面接の時にこの店を選んだ理由として、Webに掲載されているキャストの写真を見て、というのをあげたらしく、それならと面接を担当した店長が、採用の時点で写真撮影の意思を聞いたのだと言う。
「客に向けた写真ではあったけど、そういうこともあらあね」
客足が少なく、俺がまたスタッフルームに戻った際、片桐さんもやって来て、関心したように俺にそう言った。
「やっぱり、あたしの目は確かだね。ふふ、本格的にヘルスの宣材写真も頼もうかね」
「やめてください。いや、少なくとも今は無理です」
「撮る写真は似たり寄ったりだろ」
「オーナーがそんな適当なこと言わないでくださいよ……」
片桐さんが経営しているデリヘルの宣材写真も見たことはあるが、そちらはどれも俺より熟練のカメラマンが担当して撮っており、技術もしっかりしているし、トップレスであったりのより攻めた写真もある。
「攻めりゃいいってもんでもないからねえ。おめこの写真モザイクで載せてるとこもあるけど、あまり下品過ぎると、それで釣れる客もいるが離れる客もいる。そういう意味では、あんたが今撮ってるのはちょうど良いかもしれないしね。やってみないことにはわからんさ。当然、無理強いをする気はない」
片桐さんがそう言ってくれるのは、正直悪い気はしない。
「今後も仕事は大丈夫そうなのかい?」
「あー、そうですね」
遠回りな聞き方ではあるが、これは片桐さんが古宮さんから聞いたことを踏まえて俺のことを心配してくれている言い方だろう。
「多分、大丈夫です」
「さっきも言ったけど、ウチに迷惑かけなきゃあたしはなんでも良い」
「ですね」
「で、これはオーナーじゃなく、老婆心からのクソババアの進言だけどね?」
片桐さんは煙草を燻らせながら言う。
「自分の男がウチみたいなとこで働いて良い顔する女は少ないだろ」
「そりゃそうですね」
「オーナーとしちゃ働き手を失うのは惜しいが、新しくパートナーができたらスパッと縁を切るのも一つの選択だよ。それで止めるキャストも山ほどいるし、そいつは正しいんだ」
「はい」
片桐さんにまでそんなことを言わせてしまったのは正直申し訳ない。
昨夜のミサキとの会話を思い出す。彼女は彼女で、ASMR配信で扇状的なコンテンツを提供しているが、俺の見学店でのバイトに対しては言いたいこともありそうだった。
因みに古宮さんはと言うと、あの攻めた服装で待機室で背伸びをしたり、暑そうに胸元をパタパタさせる仕草をして、時折客のいるマジックミラーの方をチラチラと見て微笑みかけるなどして、ひっきりなしに指名を獲得していた。ベタもベタだが、やはりあの一昔前のギャルを意識したファッションは客のニーズを考えてのことだったらしい。流石に古宮さん、百戦錬磨だ。彼女のおかげで、また新たな知見を得たな、とそこは素直に感心した。
新人研修が終わると、新人キャストの方は一足先に退勤したが、茉莉綾さんはいつものようにまだ待機室に残るようだった。
今日、俺には撮影スケジュールはない。ミサキのこともあり、出来るだけ早めの帰宅をしたいのもあってスタッフルームに戻り、早々と帰る準備を始めていると、バタバタと足音が聞こえて、勢い良く茉莉綾さんが部屋に入って来た。
「あ、先輩さん。良かった。まだいた」
「茉莉綾さん、お疲れ様」
俺が帰る前に待機室から出て、急いでこっちに来たのか。だったら、俺から先にもう帰ることを言っておくんだったな。
「茉莉綾さんも、もしかして聞いた?」
「恋人ができたって、古宮先輩に……」
どいつもこいつも人の個人情報をなんだと思っているのか。いや、こればかりは茉莉綾さんに伝わる前に俺から言わなかったのも悪い。
「あの、えっと。おめでとうございます、かな?」
「どうなのかな」
こういう時に適切な言葉が何なのかというのも難しいな。
「カメラマンの仕事は大丈夫なの?」
「それもどうかな。片桐オーナーにも聞かれたけど」
「そっか。カノジョさんができたなら仕方ないけど、先輩さんと遊べる機会が減っちゃうのは寂しいなあ」
茉莉綾さんの正直な物言いに、さっき古宮さんと話してからずっと絞られていた緊張の糸が少し綻ぶ気持ちがした。
「ガールズバーも一緒に行くって約束したのにね」
「流石にそれはやめとく」
「あはは、そうだね。あ、ごめん? 引き止めちゃってる?」
「大丈夫」
俺はそう言って、スタッフルームの奥にある麦茶をくむ。茉莉綾さんにもいるか聞いたら「お願い」と返されたので二杯目もくみ、茉莉綾さんに渡して椅子に座った。
「どんな人なの?」
「高校の時の同級生」
「ずっと好きだったってこと?」
またその質問だ。俺はミサキの顔を思い浮かべる。楽しそうに笑う彼女の顔。ラブホに一緒に行った時、悲しげに見えた彼女の顔。そして、裸で抱き合いキスをした時の嬉しそうだった顔。
古宮さんの、自分の気持ちはちゃんと言葉にした方が良いというアドバイスも思い出す。
「俺が、あいつのために何かできることがあればしてやりたい。ずっと、そう思ってた。会えなくなってからも、ずっと」
それが、俺の偽らざる気持ちだった。
彼女との突然の別れを悔いていた。もっと何か俺にできることがあれば、と傲慢かもしれなくても、愚かかもしれなくても、ずっと思っていた。
「そうなんだ。それ聞いてちょっとホッとした」
茉莉綾さんが困ったように笑い、俺のくんだ麦茶を一口飲んだ。
「なにそれ、どゆこと?」
「んー、正直さ。古宮先輩から先輩さんが付き合ったらしいってこと聞いて、変な話、ちょっとガッカリしたんだ」
「え?」
茉莉綾さんは笑い声を溢して「おかしいね」と呟く。
「先輩さんは、美咲ちゃんのことが好きなんだと思ってたから」
「それは……」
美咲のことは好きだった。間違いなく。
でも今はどうだろう。美咲のことを思うと、胸が締め付けられるような気持ちになる。だから、彼女と顔を合わせることもずっと躊躇している。
俺はまだ、彼女に対するこの気持ちが何か、しっかりと答えを出したくない。
「先輩さん、仕事にもウチの皆にも慣れてきたし、それでもしかしていけそうな女の子に手出しちゃったのかな、とか思って」
「それはない」
俺は断言した。
「って言うか、俺がそんな器用な奴に見える?」
「いや、先輩さんはまあまあ器用だよ?」
「そうかなあ」
なんかそれも手放しでは喜べない評価だが。
「だから、ちゃんと好きな人と付き合ったって言うなら、安心した」
「信用ないなあ」
それに対して、俺はとやかく言える資格はないが。どんな風に取り繕ったところで、自分の欲望に忠実に、ミサキとセックスをしたことに違いはないし。それも生で。
「また変な話してもいい?」
「何?」
「先輩さんがさっきの質問にちゃんと答えられなかったら、じゃあ私とヤってよって言おうとしてた」
「なにそれ」
いきなりの言葉に、俺は返す言葉を持たない。いや、マジで何言ってんの。
「先輩さんにガッカリしたままになるくらいなら、自分の為に使い潰そうかと思って」
「なにそれ怖い」
「先輩さんが女と見たら手を出すクズ男に成り下がったわけじゃないことがわかったので、もう言いません。残念でした」
「答えにくいやり取りすんのやめて」
なんか今、背筋のところがめちゃくちゃヒヤッとした。
「でも、美咲ちゃんとは実際どうする気?」
「その辺、茉莉綾さんはどこまで知ってるの?」
「それも美咲ちゃんから直接聞いたよ。電話で、だけど」
あいつ、俺が部室飛び出してから方々に連絡してたのかよ。
「その時は先輩さんが他の子と付き合ったらしいってのは伏せてたけどね。よくないこと言って、先輩を怒らせちゃったみたいで、どうしたらいいかって悩んでた」
「あいつが……」
「古宮さんも、本当は今日ここに美咲ちゃんと来る気だったみたい」
それは聞いてない。古宮さんはそんなこと、一言も言ってなかったし。
「でも美咲ちゃんはそれ断ったって」
「そう、なんだ」
やっぱり、美咲ともちゃんと話した方が良いのかもしれないが、踏ん切りがつかない。勝手にキレて勝手に部室からいなくなったことについては俺が一方的に悪いとは思ってる。だが、改めて何を話したら良い?
サークルで参加するイベントのこともあるし、サークル活動がイベント前に本格化すれば嫌でも顔を合わせることになる。
だから、今の俺はあいつと顔を合わすことからただ逃げているだけだ。
「美咲ちゃん、先輩と話せなくて寂しがってると思うし」
「でも」
「さっきも言ったけど、私も先輩さんと話せなくなったら寂しいよ?」
「うん、そうだね。俺も寂しい」
「友達との距離が離れちゃうのは、誰だって寂しいよ」
茉莉綾さんの言う通りだ。
好きとかそう言うのは置いといても、あいつとはずっと一緒にいた。うだうだ言ってないで一言で良いから、俺は美咲に何か言っておく必要はある。
「ありがとう。助かった」
「どういたしまして」
一つ一つ、はっきりさせていかないといけない。そんなのは、恋愛だって友人関係だって、どんなことだって同じことだ。
「結城、まだいたか」
そんな風に俺が茉莉綾さんと話していると、片桐オーナーが扉を開き、俺を呼んで来た時のように顔だけ出して来た。
「オーナー、どうしたんですか?」
「あんたが店にいるかどうか聞いてきた奴がいてね」
片桐さんは面倒臭そうに溜息をついた。
「店の前でウロチョロしてる女がいるってんで見に行ったら、確かに帽子被ってサングラス奴つけた奴がいてね。迷惑だから追い返そうとしたら、あんたがいるかどうか聞かれた」
「それって……」
「もしかして、先輩さんのカノジョさんじゃないです?」
俺は鞄の中に入れていたスマホを取り出した。ミサキから何件かメッセージが送られてきていたが、マナーモードにしていたせいで気付かなかった。
『お仕事まだ?』
『遅いよー』
『寂しいな』
などと言ったメッセージが、何分か置きに送られて、十件ほど並んでいる。
「そうかも」
「じゃあ、早く行ってあげないと」
茉莉綾さんが急かすように俺に立ち上がるように手で示す。俺は頷いて立ち上がり、荷物を手にした。
「ごめん。茉莉綾さん、改めてありがとう。お疲れ様。片桐オーナーもお疲れ様でした」
「お疲れ様」
同時に俺に手を振る二人に頭を下げると、俺はスタッフルームから出て、急いで店の入り口に走る。
確かに店の向かいの歩道で、昨夜と同じ格好のミサキがうろちょろとしていた。
「ミサキ」
俺はミサキに近づいて声をかける。
ミサキは俺の姿を確認すると、サングラスを外すと嬉しそうに目を輝かせた。
「ユウくん! 待ってた!」
ミサキは俺の横にピタリとくっ付くと、俺の手を取った。俺の手に指を絡ませてこようとしていたので、俺もそれに応えて指をしっかり絡めて手を繋ぐ。
──昨日のあれは、ライン越えギリギリだと思う。
古宮さんの言葉が、頭をよぎった。確かにミサキは体を重ねたあの日から、俺にずっとベッタリだけど、それも仕方のないことだと思う。
高校を卒業してから地下アイドルになるまで、彼女がどうしていたかを確かに俺は知らない。
だけど、少なくとも俺が知っていた彼女は、このくらい他人を恋しがったって許されると、俺は思う。
「どうする? 俺は自分ちでもミサキのとこでも良いよ」
「ホントに!? ありがとう。今夜は配信あるから、流石にユウくんとは一緒にいられないかな、と思ってた」
「大丈夫、行こう」
俺はミサキの手を引く。ミサキはそれに付いて来る。
俺はふと、思うことがあって立ち止まり、ミサキの顔を見た。
「ミサキ」
「何? ユウくん?」
「好きだよ」
今一度、そう確かに言葉にして、俺はミサキに言う。
ミサキは一瞬驚いた顔をした後、顔を綻ばせて俺の頰にキスをした。
「ありがとう。あたしもユウくん大好き」
夜遅くの閉店間際な見学店の目の前、ここも流石に人通りは少ない。俺とミサキは手を握り、駅に向かって歩いて行った。




