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けれど彼女はホームレスの隣に座り、決して面白いわけではない話に、頷き、驚嘆し、そして時に涙することさえあった。
「あの嬢ちゃんはおらんのかい?」
自ずと女性はホームレスたちの人気者になった。
とは言え、彼女は予備校生であり、そもそも『駅前キネマ館』とは何の関わりもない人である。いつでもロビーに座っているわけではなかった。彼女がいないとガッカリして帰っていくホームレスもいた。確かに、どちらかと言えば暗く沈んだ雰囲気のあるポルノ映画館のロビーは、彼女がいるだけで少し華やいだような感じさえしていた。
ただ、それも長くは続かなかった。
ポルノ映画館の店先であるロビーに若い女性がいるのは営業妨害ではないかという意見が出されたからである。ポルノを観たいと思っているシャイボーイ諸君、つまり新規の客にとって、店先でウロチョロする彼女の存在は越えられない壁となり、得るはずの売り上げを損なっているのではないかと意見されたのである。
それは、普段、映画館の運営になどまったく口出しをしなかった老映写技師から出された意見なのだそうだ。
そうなってしまうと、一応責任者であるモギリのおばあさんも、当初の彼女に対する好意的な印象も変わり、苦虫を噛み潰したような顔になった。
そして、なぜか、彼女を連れて来たことになってしまっているオレに矛先は向けられた。お門違いも甚だしいが、いずれにしろ「何とかしろ」と言われれば、何とかしなければならない属僚ゆえの立場があった。
こんな時、ハッキリ言えれば良いのだが、それが出来ないのがオレである。遠回しに、回りくどく、言葉を選んでオブラートに包み、満面の笑みで、とにかく相手を傷つけないように説得を試みたところ、どうしてそうなってしまったのか、女性は映画館の代わりにオレのアパートを予備校帰りの休憩所にしたのだった。
そう、彼女こそが、別れた後も十年以上付き合いが続いている唯一の女性、清、つまり、のちのモンチである。
それからは、オレが寝ていても平気でドアを叩くし、バイト中でも、わざわざ映画館まで鍵を取りに来て、勝手にアパートで寛いでいくようになった。
そして、どんな切っ掛けだったかは憶えていないが、いつの間にか、モンチとは体の関係になってしまっていた。
ただオレ自身は、モンチと本当に付き合っているのかどうかあやふやだった。なぜなら互いに言葉として恋人になるという意思表示をしたことがなかったからである。愛をささやき合ったこともない。また二人でどこかへ出掛けたこともなかった。ただ気が向けば狭いアパートで欲望を貪り合った。それだけだった。
だから彼女が処女だったことは、オレに少なからず罪悪感を植え付けた。
モンチが「合格したよ」とアパートに報告に来たのはニ月の半ばのことであり、それ以降は、パタリと姿を見せなくなっていた。
そして四月になったばかりのある真っ昼間のことだった。
錆びた鉄骨階段を登ってくる音がして、久しぶりにモンチが来たのだと思ったオレは、驚かせてやろうと先にドアを開けたところ、凄まじい形相をした親父が立っていたのである。
勝手に大学を辞めてこっそり地元に戻っていたことが、ついに親父にばれてしまったのだ。散々怒鳴られたオレは、そのまま耳を引っ張られるようにして実家へ連れ戻されてしまったのであった。
その後、怒り心頭の親父によって、アパートは引き払われ、大切にしていた車やギターも売り払われた。
それでもバイトだけは後任が決まるまでという約束で続けさせて貰えることになり、しばらくは実家から通うことになった。それがポルノ映画館だと知ると眉をひそめたが、他人に迷惑を掛けることを極端に嫌う親父は何も言わなかった。
モギリのおばあさんを通して「辞めなければならなくなった」旨を会社に伝えると、後任者の研修係をさせられることになった。
一週間ののちに現われたのは、オレより一つ年下の大学生になったばかりの大人しい映画好きの青年だった。
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