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 「初めまして。佐伯と申します」


 婚約者であろう男がもう一度立ち上がって挨拶をした。


 慌ててオレも会釈を返したが、その時、ふとその笑顔に既視感を覚えた。というか背筋にゾワッと怖気が走った。


 初対面のはずだが、実際にどこかで会ったことがあるのか、はたまた、追い込まれたオレの単なる精神状態によるものなのか、自分でもよく判らなかった。


 ただオレにそんなことを考える余裕はなかった。直面した大きな問題を前に、優先度的にも、緊急度的にも、重要度的にも、そんな些末なことは思考リストの最後尾へと回っていった。


 今、考えなければならなかったのは、オレが座る場所だった。


 通常ならモンチと婚約者が横並びに座り、その向いにオレが座るべきである。そう思うのだが、モンチと婚約者はテーブルを挟んで向かい合って座っていた。


 オレがここへ来た段階で、モンチが婚約者がいる方へ移動してくれていたなら、こんな無駄なことを考えずには済んだのだろうが、そんな気の利いたことをモンチに期待するのは、どだい無理な相談なのかもしれない。


 「まあ、座ってよ!」


 立ち尽くしているオレに、ひとの気も知らずモンチはソファー席の奥へと尻を滑らせると、ややくたびれた皮革をポンポンと叩いた。


 この時、改めてオレは、一体どういう立場でここに呼ばれているのだろうかと考えた。まさか元恋人などとは言っていないだろうが、兄弟や従兄とでも言ったのかもしれない。それならモンチの隣に座ってもおかしくはないが、そんなことは結婚してしまえば、すぐにばれてしまうことだった。


 かと言って、今日初めて会った佐伯の横に座るのも、それはそれでおかしい。とにかく婚約者の前であっても、隣に座っておかしくない立場になっているのだろうと、半ば楽観的にモンチの隣に座った瞬間――


 「紹介しますね。彼が元カレのタケちゃんです」


 モンチは悪びれもなく言い放った。


 もしこれがマンガだったなら、両足を上げてズッコケていたところだが、現実はそうはならない。背中やお尻から無駄にドバドバと汗が噴き出すだけである。


 動揺していることがバレないよう、全身全霊をかけて表情は変えなかったが、出鼻からオレは窮地に追い込まれてしまった。


 すでに腰を落としてしまった後であり、既にどうすることも出来ない状態だった。


 よくよく考えてみれば、モンチならあり得ないことではなかった。十分に予測できることだった。それなのに、希望的観測から、つい「ありえない」と思ってしまった。


 今更ながら己のバカさ加減を悔やんでも悔やみきれないが、オレは、――元カレ――として、モンチの隣に座ってしまったのである。迂闊にも程があった。


 「こちらが、今度、結婚することになった佐伯さんよ」


 そして今度は少し恥らうように婚約者をオレに紹介した。


 オレは軽く頭を下げつつも、俯いたままだった。このえげつない状況で、婚約者がどんな顔をしているのかと、まともに顔を上げることが出来なかったのである。


 「今日はお手数をお掛けして申し訳ありません」


 婚約者の佐伯は深くお辞儀をすると名刺を差し出してきた。


 オレも慌ててあらゆるポケットを探って名刺入れを捜すふりをしたが、仕事以外で持ち歩いていないのだから、実際あるはずもなく、手持無沙汰に会釈だけして名刺を受け取った。


 貰った名刺に目を落としてみたが、その会社名からは、それが何の業種でどんな仕事なのか、判らなかった。


 「彼ね、劇場の舞台装置を作ったり、パーティ会場の設営をする会社に勤めているの。いわゆる大道具さんね。元は役者さんなのよ」


 モンチが気を利かせて名刺の内容を補足した。そんな機転があるのなら、もっと早くオレにも使って欲しいものである。


 オレは少しだけ顔を上げて佐伯を伺った。すると、そこには、オレが想像していたような、苦々しくゆがめた表情も猜疑心に満ちた眼差しもなかった。どちらかと言えば、俯いているオレを心配するような顔だった。


 「今日は、急にお呼び立てして、申し訳ありませんでした」


 「はい」と返答したものの、一体、何について―申し訳ない―のか見当もつかず、オレは首を傾げた。


 「佐伯さんが、どうしてもタケちゃんに会いたいって言うからさ。あーでも言わなきゃ絶対来てくれないでしょ? 騙してゴメンね」


 モンチは後ろめたさを誤魔化すようにヘラヘラと笑っていた。


 「タケさんに折り入ってお話したいことが御座いまして、会わせて頂くよう、私からサヤさんにお願いしたのです」


 オレは回らない頭をフル回転して対処に努めた。


 「それで、どういったご用件でしょうか?」


 一つ理解できたのは、オレは、モンチの婚約者の人となりを判断する為にここへ来たのではなく、婚約者である佐伯に呼び出されたということである。


 「サヤさんと結婚する前に一度お会いしておきたい。そう思ったのです」


 「はぁ」とオレは歯切れが悪い返答をしてみせたが、なんとか事情は呑み込めた。


 結論から言ってしまえば、佐伯は、オレとモンチの関係を疑っているのだ。だから結婚前にそれをきちんと確認しておきたい。そう思ったのだろう。


 モンチがオレのことをどう言っているかは判らなかったが、「元カレ」と紹介したからには、それなりに話をしていたとしてもおかしくなかった。もしかすると、「私の処女を奪ったのはタケちゃん」そんなことも言ってしまっているかもしれない。そして今も友達付き合いを継続している。


 それならば、佐伯がオレを疑ってしまうのも当然のことかもしれなかった。


 つまりは――人となり――を見られるのはオレであり、浮気を疑われている容疑者であり、婚約者の佐伯から観察される側ということになる。

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