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 ふと時計を見ると、待ち合わせの午後三時を少し回っていた。


 オレは、『カフェ・やぶさかでない』の入口に到着してなお、まだ踏ん切りが付つかず、扉の前でモジモジしていた。


 入口ドアに嵌め込まれたガラスから店内の様子を覗きつつ、どうにかして、このまま帰れる手立てはないかと、未だ考えを巡らせていたのである。


 昼食時から少し外れた時間帯というのもあって、カウンターに座る客の姿はなかった。その奥でマスターがのんびりとタバコを燻らせているのが見えた。


 窓際に二つあるボックス席の方へ目をむけると、婚約者であろう男と向かい合って座るモンチの後ろ姿が見えた。中途半端に伸びた髪を後ろで一つにまとめ、習字筆ぐらいの束が後頭部でチョンと立っていた。


 この喫茶店は、モンチにとって秘密基地とも言える場所だった。会社の同僚や他の友達にも言っていないらしく、知っていたのはそれこそオレぐらいのものだった。


 そこへ婚約者と向かい合っている所を見せられ、オレは持ち前の女々しさから、物憂い気持ちになった。ヤキモチではない。後で読もうとデスクに置いていた新刊の『少年ジャ○プ』を妹に先に読まれてしまった時のような、その程度のセコイ憂いである。


 ――やっぱり帰ろう―― そう思った時。


 モンチの向かいに座っていた婚約者であろう男とガラス越しに目が合ってしまった。


 オレはすかさず目を逸らしたが、婚約者であろう男はハッとしたように立ち上がると、オレがいる入口ドアの方へと向かって、仰々しく頭を下げた。


 またそれを目端で捉えてしまったオレは、日本人の条件反射的反応とでも言うべきか、ついお辞儀を返してしまったのである。


 ヤベェ!と思った時には後の祭りで、婚約者の動きを見て振り返ったモンチが、満面の笑みで手を振ってきた。


 逃げ場を失くしてしまったオレは、何もない上空を見上げて深く息を吸い込むと、「ウッ」という気合いの声と共に喫茶店のドアを押し開けた。


 ドアベルが撤去されて随分経つが、カランコロンという少し間の抜けた音が聞こえるような気がした。


 以前、店内がもっと薄暗かった頃は、この店が最も明るくなる時間帯だった。


 ブラインド越しの陽射しは、アンティークなシーリングファンライトが作り出すゆっくり静かな淡い光の明滅があり、天使がふわふわ浮いていそうな神々しさがあったものだ。


 今は、代わり設置された遮光性の高いスクリーンカーテンと宇宙船のようなLEDライトによって、店内はいつ来ても明るい。


 ちなみに、天使の生みの親たるシーリングファンライトは、捨てると言うので、一台だけオレが引き取った。今は実家のオレの部屋の天井でクルクル回っている。窓が南側にあるオレの部屋では天使が生み出されることはない。畳部屋なので情緒もない。


 音楽だけは、以前同様、軽いテンポのジャズが流れていたが、それは奥方が店にいないことを意味した。それも奥方の出勤と同時にボタン一つでポップなミュージックに変えられしまうのであるが……。


 そのうちこの店が猫カフェになったとしても、或いは雑貨屋に突然鞍替えしたとしても、オレは然程驚かないだろう。この店は今尚少しずつ、されど確実に、奥方の趣向に浸食され続けていた。


 「ごめんね、忙しいのに」


 呑気なモンチの声が店内に響いた。


 カウンターを通り過ぎる時に「コーヒー」を注文すると、「は~い」とひょっこり顔を出したマスターは、オレを見て「来ているよ」と言わんばかりにモンチたちの方へ視線を向けて、ニヤリと意味深な笑みを浮かべた。


 何やら面白そうなことが起こりそうだという期待に満ちた顔だった。関心のないふりをしながら、カウンターの影でこっそり会話に耳をそばだてるつもりなのである。この禿頭マスターは、何度オレが「ただの友達」だと言っても、「そうかなぁ、お似合いだと思うけどなぁ」とモンチとの関係を疑っていた。


 そしてオレはついに、モンチとその婚約者であろう男が座るボックス席の前に立ったのである。いや、立ってしまったのである。

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