第7話 武器を手に取る者
『山海荘』のロビーでは、わがまま3人組が智世のスケッチブックを見てショックを受けていた。
お嬢の玲実は無理に笑った。
「ド、ドラゴンとか……超ウケる」
智世のスケッチブックに描かれたドラゴンを見ながら双子の姉の望海がゲンナリする。
「バカバカしい。けど、まさか……ね」
妹の梢が少しビビリながら智世を責める。
「な、なんでそんな嘘つくの? そんなに気を引きたいワケ?」
智世は涙を浮かべて首をブンブン振る。
彼女は瞬間記憶で捉えたドラゴンを描いたものだと言う。
望海は智世の反応にイラつく。
「嘘つき! 信用できないよ! てか、全然、喋んないし!」
そして手にしていたスケッチブックを智世に投げつけようとした。
そこにイリアの手が伸びてきて望海の手からスケッチブックを奪う。
望海が驚いてイリアを見る。
梢と玲実もイリアの行動に驚く。
イリアは無言でドラゴンの絵と智世の顔を見比べて呟いた。
「……私は信じる」
その一言に玲実が腕組みしながら呆れる。
「は? バッカじゃないの? 信じるの? そんな架空の生き物がいるなんて!」
望海が口を尖らせる。
「そうだよ。単なる見間違いだよ!」
イリアはそれを無視して智世の顔をチラっと見る。
「瞬間記憶だったわよね。それなら信憑性はある」
イリアの態度に玲実が切れそうになる。
「あのさ。映画とか漫画じゃないんだよ? ドラゴン? そんなものある訳ないじゃん!」
しかし、イリアはスケッチブックのドラゴンを見つめながら言う。
「この子の能力の方が信頼できる。あなた達の思い込みなんかより」
それを聞いて望海と梢がムっとする。
玲実はイリアを睨みつけながら吐き捨てる。
「頭おかしいんじゃないの?」
それに対してイリアは冷たい目で玲実を見る。
「普通じゃない。ここは……」
「はあ?」と、変な顔をする玲実。
イリアは冷静に続ける。
「何も感じないの? あなた達も薄々《うすうす》、分かってるんじゃない?」
イリアの問いに望海が「え!?」と、表情を変える。
梢は「う……」と、絶句する。
玲実は反論出来ずに唇を噛んでそっぽ向く。
イリアは背筋を伸ばした凛々《りり》しい立ち姿で言う。
「目の前の現実を受け入れるしかないじゃない。例えここが異世界だったとしても」
玲実達はイリアに圧倒されて言葉を失った。
* * *
山道を下りながらスマホを操作していた委員長の利恵が呟く。
「これ見たら皆、なんて言うかな……」
スマホの画面フォルダには、雪景色を背景にしたヘレンとぽっちゃり和佳子の写真、山頂から見下ろした雪景色等が納まっている。
中には利恵が自撮りした集合写真もあるが、姉御肌の古風な女の愛衣は映っていない。
写真に写るのは嫌いなのだそうだ。
利恵の後ろを歩いていたツインテール桐子が、きっぱりと言い切る。
「だから異世界なんだって! そう考えれば説明はつくよ」
ぽっちゃり和佳子は不安そうな顔つきで頷く。
「だね。非現実的だとは思うけど……あんな物を見ちゃうとね」
最後尾を歩いていたヘレンは考え事をしている。
そして何かを決心したように頷く。
「私、ライフルを持って行く」
ヘレンの言葉に利恵が振り返った。
「ちょ、ちょっと……止めなよ」
しかし、ヘレンは大きくかぶりを振る。
「やっぱりここは普通じゃない。変な生き物も居るみたいだし」
そう言いながらヘレンは桐子を崖下に突き飛ばした生物を思い出した。
イノシシに似た青い生物。明らかに普通ではない。
ツインテール桐子は大きな目をクリクリさせながら言う。
「それは賢明な選択だね。どんな化け物が出てくるか分からないからね」
ヘレンは敏美の死体を思い出す。
そして力強く宣言する。
「自分の命は自分で守る!」
南風荘の2階で、首を切られて殺された敏美の無残な姿が思い出された。
利恵はヘレンに思い留まって欲しそうに「だけど」と、振り返る。
だが、ヘレンの決意は揺るがない。
「当たり前の事だわ。私はアメリカ人よ」
そこで姉御肌の愛衣が冷静に同意する。
「それがいいかもね」
それを聞いて和佳子と利恵が困ったような顔をする。
何とも言えない空気の中、利恵達は、しばらく無言で山道を下った。
途中、別な方向へ下る道があった。
いったんそこで立ち止まり、愛衣が考え事をする。
このまま真っ直ぐ下りれば来た時の道、その反対を選べば港方面に向かって下っていけそうだ。
それにそちらの方が勾配は緩やかなようだ。
愛衣が港方面への下りを指差して提案する。
「私達はこっちを下りてみるわ。ヘレンは一人で大丈夫?」
ヘレンが頷く。
「ええ。私は来た道を戻るだけだから。その途中でライフルを拾って帰るわ」
「そう。じゃあ気をつけてね」と、愛衣が手を挙げて、そこでヘレンと別れることにした。
* * *
巨大コブラの返り血を浴びたモエは肩で息をしている。
そして手にした戦斧をチラリと見る。
その表情は険しい。
彼女の目前には頭を割られたコブラが倒れている。
つい先ほどまで激しくうねっていた胴体も流石に動きを止めた。
尻もちをついたままの、へそ出し乙葉が泣きながら礼を言う。
「あ、ありがと……助かった。死ぬかと思った……」
驚きの表情で事の成り行きを見守っていたグラマー野乃花が呟く。
「モエちゃん、凄いヨ……勇気あるネ」
詩織は、信じられないといった表情でモエを見つめる。
「あ、あ、あんなのに……よく向かって行ったよね。わ、私には無理……」
モエは頬の返り血を腕で拭いながら、フゥと吐息を漏らす。
「無我夢中やったから。自分でも信じられへん」
そう言ってモエは手にしていた戦斧を改めて見る。
そして思い出す。
(これを持った時の感覚……)
そう思いながらモエは、まるで嫌な記憶を振り払うようにブンブンと頭を振った。
グラマー野乃花が乙葉に近寄って手を差し出す。
おへそが出てしまった乙葉が野乃花の手を借りて立ち上がろうとする。
しかし、自らの下腹部に広がる温もりと湿気に気付いて「あっ」と、小さく悲鳴をあげる。
それに気づいた野乃花が「しょうがないヨ」と慰める。
「うぅ……」と、乙葉が内股になりながら顔を赤らめる。
失禁してしまった乙葉を気遣うように詩織が話題を変える。
「そ、そ、それにしても凄いジャンプだったよね~」
詩織に指摘されて、ハッとするモエ。
モエは自分の足元を見て地面を蹴った時のことを回想した。
これまで体験したことが無いような加速力と浮遊感。
それは走り幅跳びに似た感覚だ。
だが、それは明らかにモエの身体能力を超えていたように思われた。
詩織が、なおも明るく努める。
「な、なんか、その、オリンピックみたいだったよ。走り幅跳びの選手みたい」
それを聞いてモエは首を振る。
「違う。自分の力やない。あれは……」
あんなに高く飛べるはずはない。それはモエ自身が分かっている。
野乃花は乙葉の肩を抱いて「ヨシヨシ」と、頭を撫でている。
野乃花は乙葉の泣き顔につられて泣きそうになりながら提案する。
「ネ、今日はもう帰ろ? これ以上、探索は無理だヨ……」
詩織もそれに合わせる。
「そ、そだね。く、暗くなる前にいったん引き返しましょ」
結局、これ以上先に進むのは困難とみて、4人は南風荘に戻ることにした。
日が傾いた湿地帯をトボトボ歩く4人は精神的にも肉体的にもボロボロだった。
先頭を歩く詩織の足取りは重く、寄り添いあう乙葉と野乃花は二人三脚のようにぎこちなく歩いた。
最後尾のモエは戦斧を右手に夢遊病者のような歩き方でトボトボ付いてくる。
詩織が西日に目を向けながら独り言のように呟く。
「よ、夜になる前に帰らないと……」
グラマー野乃花がグッタリとした表情で弱音を吐く。
「もうヤダ……マジで疲れたヨ。皆はどうしてるのかなァ?」
詩織が強張った笑みで返す。
「と、登山組に成果があれば良いんだけど」
野乃花は真顔で「そだネ」と、ぼそりと頷く。
「そ、そ、それにしてもサボリ組は最悪!」
珍しく詩織がはっきりとした口調でそう言ったので、野乃花と乙葉が顔を見合わせる。
野乃花は「そうだヨ」と、足元の草を蹴飛ばす。
「アタシ達がこんな目に合ってるのにネ。ふざけんナ!」
乙葉は仕方がないよといった風に力なく笑う。
「まあ、気持ちはわかるけど……ああいう子もいるよ」
夕日が4人の影を長く引き伸ばす。
モエは前を行く3人のやりとりにも耳を貸さず無表情でトボトボ歩いている。
と、その時、モエの右腕が『ビシッ!』と弾かれた。
「痛っ!!」と、戦斧を手放すモエ。
地面に落下する戦斧。
山の方向で『パァン……』という銃声が跡を引く。
詩織が「え、え、え!? な、何!?」と、銃声のした方向とモエを交互に見る。
野乃花がモエの腕を見て悲鳴をあげる。
「チョット! 大丈夫!?」
乙葉がモエの二の腕に血痕を認めて驚愕する。
「今のは……撃たれた?」
モエは左手で傷口を押さえる。
そして銃声のした方向を睨む。
乙葉も「……狙撃!?」と、同じ方向を見る。
2人が見る方向には山と森しかない。
乙葉が叫ぶ。
「みんな隠れて!」
野乃花が慌てる。
「隠れるトコなんて無いヨ!」
周囲は膝丈程度の雑草が点在するだけの湿地帯だ。
狙撃を避けようにも身を隠す術は無い。
だが、幸いにも次の攻撃は無かった。
「傷口が熱い……」と、モエが呻く。
詩織が頭を抱える。
「だ、だ、誰がこんなこと!?」
野乃花と乙葉が無意識に抱き合う。
痛みに耐えながらモエは怒りの表情で山の方向を見つめる。
「誰や……」
同じく山を見た乙葉の脳裏には矢倉で見た『殺ス!!』『あと3人』の落書きがフラッシュバックした。