第65話 もう一人の黒幕
ワープ岩を使って雪の町に戻ったイリアは、利恵達が死んだ現場に戻ることにした。
双子、利恵と愛衣、モエと乙葉が殺し合った忌まわしい場所。
そこで5人もの命が失われた。
本当はそんな場所に近づきたくはない。
しかし、イリアには確かめたいことがあったのだ。
暗く静まり返った銀世界は、冷蔵庫の底のように冷気が淀んでいた。
相変わらず不定期な地鳴りは思い出したように大地を揺さぶり、あちこちで積雪の輪郭を崩していた。
そのせいで屋根から落ちてきた雪が滑らかな雪面に窪みの列を作っている。
それは計画性の無い雪かきを連想させた。
雪を払い落した木の枝は、長い潜水の後で水面から顔を出した人間が息継ぎをしているように見えた。
噴煙は収まったのだろうか。
月光は無機質な雪の町を淡々と照らしている。
イリアは自らの足跡を辿りながら望海や利恵達が交戦した現場に到着した。
死体が散乱する様子に目を背けたくなる。
それを我慢して数を数える。
そして確信する。
イリアは唇を噛んで頭を振った。
「無い……やっぱり」
ある人物の遺体。
それが無かったのだ。
黒焦げになった委員長の利恵の遺体の側には双子の妹の梢、少し離れた所にへそ出し乙葉、そしてツインテール桐子の遺体が横たわっている。
無論、死体は動くことも無く、まるでオブジェの一部みたいに積雪の一部に成り下がっている。
イリアは利恵の遺体を見下ろしながら考え込む。
そして気配を感じて眉を動かした。
「松晴子。やっぱり黒幕は、あなただったのね」
イリアは遺体に視線を固定したまま、そう言った。
まるで誰かに独り言を聞かせるように。
すると「ご名答」という答えが返ってきた。
イリアはゆっくりと振り返る。
まるで彼女が現れることを予測していたかのように。
声のした方向から姉御の愛衣が現れる。
彼女は腕組みしながら建物の角から姿をみせた。
「流石ね。やはり貴方は聡明だわ」
そう言って愛衣は微笑んだ。
イリアは「別に」と吐き捨てる。褒められる筋合いは無いとでも言わんばかりに。
愛衣は感心したように言う。
「なぜ私だと分かったの? 確かにヒントはあげたけど」
恐らくヒントというのは洗濯物に書かれていた名前のことを指すのだろう。
イリアは自らの考えを淡々と述べる。
「さっきの戦い。望海って子は奪った武器を一通り使ってきた。でも、貴方の武器だけは使ってこなかった。ということは、あの時に死んでいなかったってことになる。それと手紙のメッセージ」
「手紙? そんなものあったかしら?」
「海岸で拾った小瓶に入ってた手紙よ。あれは縦読みするものだと思ってた。けど、気付いたわ。本当のメッセージは斜め読みするんだって」
イリアはそう言いながらポケットを探った。
そして小さく折り畳んだ紙を取り出して広げる。
<はじめてのキャンプ。女の子だけで不安だったけど
やればできるじゃん!海辺のバーベキューは、おに
くがこげちゃったけど、食べれないわけじゃないし
たまには外で食べるのも悪くない。食後はわたしの
すきなカステラをデザートにしたかったけど残念!
けっきょくパイナップルになっちゃったんだ。みぎ
てにはケータイをずっと持ってたんだけどやっぱり
ここには電波がきてないんだよね。マジありえない。
ろく人の子が彼氏を地元においてきてたからホント
さみしそうだよね。つらいよね。せめて声だけでも。
れんらくできないならけいたいの意味ないじゃんか。
るすでんだらけになってても困るよね。帰ってから。>
不自然なメモを斜め読みしてイリアは言葉を拾う。
「はれこはスパイ、きをつけて」
イリアはそう口にして愛衣を睨んだ。
愛衣は笑みを浮かべたまま「それで?」と、続きを促した。
「晴子は『はるこ』とも読める。ビデオカメラの動画では『はるちゃん』ていう名前が出てきたから『はるこ』が正解なんでしょうけど、いずれにしても貴方のことよね? で、愛衣というのは偽名。そう考えると辻褄が合う」
イリアの説明を聞いて愛衣が目を細める。
「その通りよ。手紙の存在は知らなかったけど、見事な推理ね」
イリアは蔑むような目で愛衣を見る。
「最低……何がしたいの?」
イリアの問いに愛衣は含み笑いを浮かべながら答える。
「スカウトよ。欲しい人材を手に入れる為の」
思わぬ答えにイリアが目を丸くする。
「スカウト? 何の為に?」
「それはいずれ分かるわ。貴方が生き残ったらだけど」
その言葉を聞いてイリアは他に誰が残っていたか考える。
そしてモエの存在を思い出した。
愛衣がそれを見て頷く。
「そうよ。貴方と最後に戦うのはモエさん。お互いにベストを尽くして欲しいものだわ」
イリアは唇を噛んだ。
何者かが自分達を殺し合わせて生き残った人間を仲間にしようとしている。
それは桐子と話している時に出た仮説だった。
しかし、あまりにも非現実的であると同時に、この世界が普通ではないことから何者かの正体や目的までは推測できなかった。
「愛衣……いや、松晴子だったわね。貴方は何者なの?」
イリアは警戒するようにそう尋ねた。
正体を聞いたところで納得できる保証は無い。
それは恐らく人間の理解を超えた存在だと思われる。
だが、そう聞かずにはいられなかった。
愛衣は表情を変えることなく言う。
「それもいずれ分かること。でも、薄々、感づいているんじゃない?」
「そうね」と、イリアは平静を装って返す。
どうにかなる相手ではないことは分かっていた。
このハルバードで攻撃を仕掛けたところで通用する可能性はゼロだろう。
愛衣はイリアを促すように首を動かした。
「ゴールは近いわ」
イリアは、やれやれといった風に首を振ってから尋ねる。
「戦わないという選択肢は?」
「ご自由にどうぞ。ただ、その場合は最初からやり直しになるだけね。また、このメンバーでスタートよ。9巡目に突入ね」
「な、なんですって?」と、イリアが驚愕する。
愛衣は説明する。
「貴方達、今は8巡目なの。もともと13日間で決着がつかなかった場合は時間を巻き戻すのよ。同じメンバー、同じ状況でやり直し。最後の一人が決まるまで。勿論、都度、記憶は消させてもらうわ」
イリアは考えた。桐子と話していたことを思いだす。
「つまり、私たちはループさせられているということね? だから、私たちの名前が刻まれたお墓が点在してるのね?」
「そうよ。7巡目の時に死んだ子の名前を十字架に刻んで死んだ場所に残したものよ。ただし、武器は入れ替えるようにしてるの。色んな武器が仕えた方が便利でしょ?」
イリアは険しい顔で問い詰める。
「ループを終わらせる条件は何?」
「誰か一人が戦士として相応しい乙女になること。まあ、生き残れば良いってものじゃないの。戦士としての資格を見定めるわ。だから、一人が生き残っても、やり直させることも多々あるわ」
それを聞いてイリアが泣きそうな表情で尋ねる。
「も、もし……誰も戦士になれなかった場合は?」
愛衣は、やれやれと言った風に首を振る。
「この繰り返しは13回が限度。13回目までに戦士が誕生しなかった場合は、みんな死ぬ。それだけよ」
それを聞いてイリアは唇を噛む。
「本当にそんなことを……どうかしてる」
愛衣は気にせず答える。
「13年ごとに13歳の乙女を13人集めて試験で戦士を選抜して、それを13回繰り返すの」
イリアが呆れたように言う。
「ずいぶん、気の長い選抜試験ね……」
「あら、神の世界にとっては些細な時間よ」
「神!? ……もし、戦うのを下りたら?」
愛衣は試すような顔つきで言う。
「心配はしていないわ。貴方はそんな子じゃない。大変な役目を人に押し付けられる人間じゃないはずよ」
イリアは大きくかぶりを振った。
生き残ったところで現実世界に戻れる可能性は無い。
得体の知れない相手の思惑通りになるのも不本意だ。
かといって死を選ぶことも許されない。
「イリアさん。さあ、行きなさい。この先に石碑を用意しておいたわ。決戦の舞台よ」
愛衣はイリアの迷いを断つようにそう言った。
* * *
トボトボ歩きながらイリアは思った。
このまま死んでしまったら、自分は何のために生まれてきたか分からないままだ。
―― 所詮、自分はあの下衆な男が母を繋ぎ止める為の道具に過ぎなかったのでは?
憎むべき父親という名のクズ。それを思い出す度に死にたくなる。
イリアの母親はロシア人の医大生だった。
彼女は23歳の時に東京の医大に研修で来日した。
その時に指導医であったイリアの父親と知り合った。
ところがイリアの父親は最低の男だった。
酒乱、暴力、女性関係とイリアが知る限りでも軽蔑に値する行為が度々あった。
特に母に対するDVは常道を逸していた。
その為、イリアは両親の仲睦まじい姿を見たことが一度も無かった。
問題行動で病院を首になった父は、経済的にも母に依存しているくせに暴力で彼女を支配した。
イリアという人質を取られた母は、ロシアに帰ることも許されず、ひたすら夫の暴力に耐える日々だった。
そんな母の唯一の支えがイリアだった。
母はどんなに酷く父に殴られようと罵られようと、イリアに対する確かな愛情は不変のものだった。
そしてイリアもまた、人一倍母を愛していた。
そんなある日、すべてが終わった。
それは2年前のある暑い日のことだった。
酒に酔っていた父がイリアに襲い掛かってきたのだ。
イリアが風呂上りに自室に戻ろうとしたところ、突然、父が怖い顔で迫ってきた。
そしてイリアを押し倒した。
必死に抵抗するイリアに父は酒臭い息を吹きかけながら言った。
「育ててやった恩を返せ」
パニックになりながらイリアは思った。
ろくに働きもせず、母に寄生しているだけの男が何を言うのかと。
顔を引っ掻いて足で押し返すが力では敵わない。
父は「騙されてた」「そういうことなら遠慮はしない」と訳の分からないことを口にしながらイリアのパジャマを脱がせにかかった。
と、その時、夜勤のはずの母が帰ってきた。
一目見て状況を把握した母は絶叫しながら助けに入った。
そこから先は記憶が曖昧だった。母と父が激しく揉みあう姿は覚えている。
だが、その光景は音がしない映画の出来事のように感じられた。
強い耳鳴りのせいかもしれない。
ただ、父が母の首を絞めるシーン、刃物を振り回す母の見たことも無い形相、身体に突き刺された包丁、部屋に入ってきた警察官の姿などが断片的にイリアの視覚に押し入ってきた。
最後に母と会話をしたような気がする。
息絶える瞬間に母はいつものように笑顔でイリアの頬を撫でてくれた。
血まみれになりながらも、その瞬間の母はいつもの母だった。
だが、会話の内容がどうしても思い出せない。
そのことが後々、イリアを苦しめた。
―― いつかあの男が刑務所から出てきたら、この手で罪を償わせたい。
それがいつしか生きるモチベーションになっていた。
イリアは歩きながら考える。もう、それも叶わない。
この異世界に巻き込まれたのは不幸なことに違いない。
だが、父親に最愛の母を殺されてしまうことに比べて、どちらが不幸なのかは分からなかった。
しばらく歩いた所で愛衣が言っていた石碑らしきものが前方に見えた。
そして、そこにモエが居た。
イリアは無言でフラフラと石碑に近付く。
その間にモエがイリアの接近に気付く。
モエとイリアは無言で互いの顔を見つめた。何も言葉が出てこない。
少なくとも同じ境遇の、それも過酷な宿命を背負った仲間同士であるはずなのに親近感は微塵も湧いてこなかった。
むしろ、大きな鏡に映る自らの分身のように、それは近くて遠い存在のように思えた。
「ほな、終わらせよか」と、モエが言った。
イリアが頷く。
「そうするしかないみたいね」
そして2人は示し合わせたように同時に石碑に手を伸ばした。




