第6話 モンスターの存在
『山海荘』のロビーでは、やる気のない3人組のリーダー玲実が、足を組んで優雅に紅茶を飲んでいる。
双子の姉妹、望海と梢は、ぼんやりとソファにもたれかかっている。
ベレー帽の智世は、相変わらず熱心にスケッチブックに何かを描いている。
梢が不安そうに言う。
「もし、このまま誰も見つからなかったらどうしよ?」
姉の望海が欠伸をしながら答える。
「それはないでしょ。探索組が誰か見つけるって」
「まさか、私たち置いて行かれないよね? 見捨てられないよね? 」
「心配性だなぁ。梢は。双子なのに私と真逆だね」
「でも、あのモエって関西弁の子、冷たい目で私らのこと見てたよ」
「まあ、うちら全然、協力する気ないからねぇ」
梢は真剣な顔で言う。
「登山組の方は大丈夫だと思う。利恵って子は真面目そうだから」
双子の会話を聞いていた玲実がティーカップを乱暴に置いて鼻で笑う。
「フン。あの仕切りたがりの眼鏡女。むかつく!」
望海と梢が驚いた顔で玲実を見る。
玲実は吐き捨てる。
「嫌いなんだよね。人に指図されるの。だから協力してやんない」
プライドの高い玲実には委員長タイプの利恵が目障りなのだろう。
窓際のイリアは一人でポツンと海を見ている。
智世はスケッチブックに絵を描き続けている。
玲実がふいに立ち上がってツカツカと智世のもとへ行く。
その気配に気づいて智世が顔を上げる。
玲実は智世からスケッチブックを取り上げる。
「あら。意外に上手いじゃない」
パラパラとスケッチブックを捲る玲実。
と、その手が止まる。
「え? これって……港の広場から見たところ?」
智世がコクリと頷く。
「これは……」と、玲実の顔つきが変わる。
「え? なに。どうかしたの?」と、梢と望海が興味深そうにスケッチブックを覗き込む。
玲実が目を留めたのは港の石碑広場から森の方角を見た時の絵だ。
そこに飛行物体が描かれている。
そしてその飛行物体はドラゴンのような形をしていた。
「怪獣?」と、望海が首を捻る。
玲実が口元を歪めながらバカにする。
「何描いてんのよ。いい歳してモンスターとかバカじゃないの?」
智世が抗議するように半べそで首をブンブン振る。
梢が顔をしかめる。
「ドラゴン? やけにリアルだけど……」
「見たんだモン!」と、智世が突然、大きな声を出す。
そんな智世の反応に玲実と望海が驚く。
智世は涙を浮かべながら訴える。
「わたし、瞬間記憶があるから。ホントにこれが飛んでたんだよ!」
スケッチブックに描かれたドラゴンの絵。
それと智世の顔を見比べながら玲実、望海、梢が唖然とした。
* * *
息を切らせる登山組の利恵達。
ようやく頂上が見えてきた。
振り返れば登ってきた道がジグザグに折り返している。
右手には砂浜から民宿街、港までを一望することができる。
汗ばむ陽気に慣れない山登りで利恵達は汗だくになりながら山頂付近を歩く。
委員長タイプの利恵が、額の汗を拭いながら先頭を進むツインテール桐子を気遣う。
「桐子さん。傷は痛まない?」
桐子は後頭部を擦りながら呑気に答える。
「しつこいなあ。ホントに大丈夫だって。『たんこぶ』すら無いってば」
息を切らせたヘレンが胸元に風を送りながら呆れる。
「アンビリーバブル……信じられないタフさだわね」
「そんなことないよ。超ラッキーだったんだって!」
桐子はそう言うが10メートル近く滑落して無傷というのは幸運では済まされない。
二番手を歩く利恵が皆を励ます。
「もうちょっとで頂上よ。みんな、頑張って」
それは自分自身を鼓舞しているようだ。
利恵は歯を食いしばって歩く。ふらつく足元。
そして、ようやく頂上らしき平らな場所に到達した。
桐子が「やった! 着いたぜ!」と、ガッツポーズを見せる。
「やっと着いた……」
続いて到達した利恵のブラウスは汗でびっしょりだ。
そのせいでピンクの下着が透けて見える。
普段着用しているオフホワイトのカーディガンは腰に巻かれている。
「YES……」と、ヘレンは頬を紅潮させながら安堵する。
遅れてきた和佳子は疲れ果てて朦朧としている。
それを愛衣が姉御らしく後ろから支える。
愛衣は叱咤激励しながら、ぽっちゃり和佳子をここまで押し上げてきたのだ。
これで5人が山頂に揃った。
そこに一陣の風が流れてきた。
風には雪が混じっている。
ツインテール桐子がブルっと震える。
「寒っ!」
頂上から見下ろす光景を前に少女達は言葉を失った。
なぜなら、そこは一面の銀世界だったからだ。
分厚い雲は灰色。吹雪で遠くまでは見渡せない。
手前に森が見えるが雪で白く染まっている。
登ってきた方向を振り返って委員長の利恵が呟く。
「あり得ない……もうすぐ夏なのに」
ぽっちゃり和佳子も「うそ……でしょ?」と、呆然としている。
「……マイゴッド」と、ヘレンは信じられないといったように首を振る。
桐子は背後に広がる新緑と目の前の銀世界を見比べて首を傾げる。
「どうなってんだ? 季節が逆になってんのか?」
和佳子は「凄い……けど不思議」と、感心している。
そこで愛衣が、ある方向を指差す。
「ほら、あそこ。あそこが境目になっているみたいね」」
愛衣が示した方向には緑と白で区切られる斜面が見えた。
ちょうど境界線を境に雪山と夏山に分断される形になっている。
利恵が強張った顔で言う。
「つまり……あそこを境に夏と冬が分かれてるってこと?」
ヘレンが「どう考えても日本じゃない」と、首を振る。
利恵が眼鏡に触れながら断言する。
「いいえ、世界中、探してもこんな所は無いわ」
桐子がボソッと呟く。
「異世界……」
その言葉にヘレンと和佳子が驚く。
桐子はツインテールの毛先を指先で揉みながら言う。
「ボク達、きっと異世界に紛れ込んじゃったんだよ……」
そんな桐子の顔を利恵と愛衣も黙って見つめる。
山を隔てて真逆な季節が隣接する場所。
確かにその光景は現実には有り得ないものだった……。
* * *
モエ、乙葉、野乃花、詩織の4人は湿地帯を超えて、さらにその先の森に入った。
港と湿地帯を繋いでいた先ほどの森とは対照的に、この森は木々が低く、やけに枝葉が入り組んでいて幾つかの層を形成していた。
たまに露出した幹には毛細血管のようにツルがまとわりつき、所々で、ほどけた包帯のように垂れ下がっている。
赤茶けた地面は湿気を帯びているが雑草は少ない。
その代りにシダ科の植物が葉を広げて自らの存在を誇示している。
関西弁ジャージ娘のモエが先頭に立って奥に進む。
「ここを抜けんと先に進めへんみたいやね」
続く詩織が足元を気にしながら希望的観測を述べる。
「こ、こ、今度こそ町か道路があればいいんだけどなぁ」
熱帯雨林のような森を黙々と進む。
周辺植物の特徴は明らかに亜熱帯のものだ。
モエはジャージの上着を脱いで腰に巻く。
ピンクのTシャツには汗が染みている。
「にしても蒸し暑いなあ。植物園の温室みたいや」
詩織が頷く。
「ジャ、ジャングルみたいだね」
詩織に数歩遅れて歩く、へそ出し乙葉は、うつむき加減で元気がない。
その後姿を心配そうな顔でグラマー野乃花が見ている。
野乃花は少し考える素振りをみせ、何か思い立ったようにトットッと駆け寄って背後から話しかける。
「ネ? 乙葉ちゃん。大丈夫?」
乙葉が「え?」と、無表情で振り返る。
「さっきから元気ないヨ。疲れたの?」
野乃花の問いに乙葉は作り笑いで応える。
「あ、ちょっと……ね」
乙葉の前を行く詩織が振り返って何か口にしようとするが言葉を飲みこむ。
詩織は詩織で乙葉の変化に気付いていたのだ。
矢倉に上がって以降、元気印だった乙葉の口数がやけに少ない。
先頭を歩いていたモエが倒れた朽ち木をまたぐ。
そこで何かに気付く。
「あれ? あれって、もしや?」
モエは急にケモノ道を外れて走り出した。
「ど、どうしたの急に?」という詩織の問いに足を止めることなく、モエは一目散に駆けていく。
詩織は戸惑いながらそれを追い掛け、野乃花は乙葉の手を引きながら付いていく。
しばらく走ったところで詩織はモエに追いついた。
そして立ち止まっているモエに声を掛ける。
「ど、どうしたの? きゅ、急に走り出したりして……」
そう言って詩織がモエの足元を見る。
そこには真新しい白い十字架があった。
しかも、そこには『MOE』と刻まれている。
「あっ……」と、詩織は察した。
墓標の代わりの十字架。
さらにそこには戦斧(斧と細長い剣が一体化した武器)が立て掛けられている。
それを黙って眺めていたモエが引きつった笑いを浮かべる。
「なんやねん……」
詩織が何とも言えない表情で十字架とモエを見比べる。
「さ、さっきと同じ……」
そこに遅れて野乃花と乙葉が到着する。
直ぐに十字架の存在に気付いた野乃花が「ヒッ! またぁ!?」と、小さな悲鳴をあげる。
そしてマジマジと戦斧と十字架を見る。
「こんな所にもあったのネ」
昨日、自分の墓標を見てしまった乙葉は特に驚いた風では無い。
だが、複雑な表情でモエのリアクションを観察している。
モエは、やれやれと首を振り、銀色の戦斧を手にする。
斧の部分だけでA3用紙ぐらいの大きさがあり、剣の部分が30センチ超はあろうかという物騒な代物だ。
刃と柄の接合部分付近には宮殿の模様のような装飾が施されている。
モエは、それを片手でブンブンと振り回した。
そして持ってみろという風に詩織に手渡そうとする。
「え、え?」と、詩織が恐る恐るそれを受け取ろうとする。
だが、両手でも受け止められずに「重いっ!!」と、落としてしまった。
野乃花が「やっぱりネ」と、首を振った。
そして墓標の『MOE』という文字を指でなぞって言う。
「それってモエちゃん専用の武器なんだヨ」
詩織が頭を抱えて首を振る。
「ぶ、武器? な、なん、何のためなの? さっきの棍棒とか斧とか……」
しかし当の本人は戦斧を片手に納得する。
「そういうことやね。けど、まさか、これで戦えっていうことなんかな?」
その言葉に乙葉がぎょっとする。
矢倉の中で見た壁に刻まれた『殺す』の文字がフラッシュバックしたのだ。
詩織は精神が蝕まれる時のような虚ろな目で震えだす。
「た、た、戦うって……な、なにと?」
「分からへん。けど、誰かが仕込んどるとしか考えられへん」
モエの言葉を受けてグラマー野乃花が冗談ぽく言う。
「アハ。じゃあ、どこかに私の十字架もあるのかナァ?」
「あるやろね。たぶん、ウチらの人数分」
モエの返答に野乃花の顔が強張る。
詩織はペタンと座り込んで茫然としている。
乙葉は何かを考えているような難しい顔で無言を貫く。
その時、4人の背後で茂みがザッと揺れた。
そして何かが飛び出してくる。
一斉に振り返る4人。
最初に「ヒッ!!」と、グラマー野乃花が腰を抜かした。
次に詩織が悲鳴をあげる。
モエと乙葉も突然現れた物体を見て硬直した。
そこには鎌首をもたげたキングコブラのような巨大なヘビの姿があった。
その高さは大人2人分の高さで、色は白く赤い縞模様が生々しい。
おまけに頭部には角のようなものが生えている。
詩織が「に、に、逃げなきゃ……」と、這いずりながら逃げようとする。
同じく退避しようとするグラマー野乃花は、電池が切れかけのロボットのように動きがコマ送りになってしまう。
そんな中で尻もちをついた乙葉が逃げ遅れてしまった。
「あ……嫌……」と、へそ出し乙葉が大蛇と一対一の形になる。
その構図はテーマパークのアトラクションのようにも見える。
人間すら丸呑みに出来そうな巨大なヘビは、作り物のような質感で非現実的な存在のように感じられた。
しかし、その動きや気配は決して人造的なものではない。
巨大コブラは首の部分を広げて威嚇してくる。
さらに舌をチロチロみせながら今にも乙葉に飛びかかろうとしている。
「やめて……」と、恐怖で顔を引きつらせる乙葉に巨大コブラの影が覆いかぶさる。
咄嗟にモエが巨大コブラに向かってダッシュし、途中で戦斧を拾い上げる。
そして、そのままの勢いで力強く地面を蹴る。
その時、モエの膝下が光を放った!!
「うりゃぁぁ!!」
高くジャンプして勢いよく戦斧を突き出すモエ。
戦斧の剣になっている先端が巨大コブラの首に突き刺さる。
モエは素早く先端部分を抜いて空中で1回転し、今度は遠心力を利して、斧の部分をコブラの頭に叩き込んだ!