第59話 桐子の涙
トンネルを抜けると、雪の町は白と黒の領域でくっきり分断されていた。
雪は降っておらず、風も無い。
静けさの中に佇む白の町は、大人しく夜の闇に組み敷かれているように見えた。
イリアが白い息を吐きながら微笑む。
「良かった。吹雪いてなくて」
ツインテール桐子が苦笑いで応える。
「だな。助かったよ。どのみち防寒具は調達しなきゃならないだろうけど」
「でも、ここに来るなら、こんな夜でなくて明日でも良かったんじゃない?」
「いいや。夜でなくちゃ駄目なんだ」
桐子がきっぱりそう言ったのでイリアが「なぜ?」と首を傾げる。
桐子はぐるりと周囲を見回して説明する。
「見つけ易いからさ。恐らく、この町から人が消えたのは日中だ。それは室内の様子から推定できる。だから夜は殆どの家は真っ暗なはずだろ?」
「なるほど」
イリアは素直に感心した。
この町は結構、建物が多い。
仲間を探すのに闇雲に歩き回るよりは明かりのついた家を探した方が効率的だ。
桐子の意図は理解したもののイリアは心配する。
「でも、仮に誰かを見つけたとして、いきなり訪問したら警戒されないかしら?」
「だからボクが行く。もし、出てきた相手がモエ達だとマズいからね」
確かに詩織を殺してしまったイリアはモエ達に恨みをかっている可能性が高い。
桐子は大丈夫だといった風に頷く。
「説得してみるよ。ボク等は対立してる場合じゃないんだ。皆の知恵を合わせれば気付かなかったことが出てくるかもしれないし、それが突破口になるかもしれない」
前向きな桐子の発言を受けてイリアが「凄いね」と、桐子の横顔を見る。
「ん? 何がだい?」
「尊敬するわ。こんな状況でも冷静だし、色んなこと良く知ってるし」
「え? それって褒めてんのか?」
「そうよ。お世辞じゃなくそう思ってるわ」
イリアは思った言葉を口にしただけだった。
ところが、急に立ち止まった桐子の表情が固まった。
そして、その目から涙が零れた。
それに気付いたイリアが動揺する。
「え? ちょっと、なんで?」
桐子は自らの涙に気付いて顔をこする。
「ゴ、ゴメン。そんな風に褒められるなんて初めてだからさ」
「え? 初めてって……」
「い、いや。うちは笑っちゃうぐらい男尊女卑な家でさ。5歳上の兄貴は王子。ボクはおまけ扱いだったんだ」
そう言って桐子は寂しそうに笑う。
「そうだったの……」
それ以上の言葉がイリアには浮かんでこなかった。
冷え切った空に月が出ていた。
上弦の月が、まるで触ると切れてしまいそうな輪郭を画一的な黒の背景に晒していた。
銀色の積雪は表面がシャーベット状で、踏むと『シャリッ』と小気味良い音を放ち、内部の柔らかい雪はその音を跡形もなく飲み込んだ。
2人並んで黙々と夜の町を歩く。
しばらく歩いたところで桐子が自らの境遇について話し始めた。
「両親、双方の祖父母。叔父さんとか伯母さんとか親戚連中もみんなそう。跡取りの兄貴は甘やかし放題。男ってだけでね。特別扱いさ。だからボクは男になりたかった。無駄だったけどね」
桐子の生い立ちにイリアは思いを馳せた。
そして桐子が自分の事を『ボク』という理由を知った。
桐子は歩きながら続ける。
「奴隷だよ。生まれながらの。ボクは一生、家に仕えなくてはならない存在なんだって。兄貴のしもべ兼お世話係。兄貴はね。ボーダーなんだ」
「ボーダー?」
「ああ、障害さ。周りは認めたがらないけどね。アレは病気だよ。理不尽な仕打ちに何度も泣かされたからボクには分かる。正直、憎んでる。子供の頃から事あるごとに差別されて、認めて貰おうと頑張っても『女のくせに』って逆に叱られる。理不尽だよね……」
そういえば桐子の口から家族の事を聞くのは初めてだった。
だが、今なら分かる。
その表情や口調から、彼女が家族を憎んでいるのは本当の事だ。
しばらく進んだところで、桐子が明かりのついた家を発見した。
「お? アレは……誰か居る!」
桐子の歩く速度が速まる。イリアもそれに続く。
そして目的の家の前まで来た。
武器は見せないほうが良いという判断から桐子の大剣は近くの雪だまりに刺しておいた。
桐子が呼び鈴を鳴らす。
直ぐには出てこない。
だが、しばらくして玄関のドアが薄く開いた。
その隙間から半分、顔を覗かせたのは双子の梢だった。
桐子はわざと明るい表情で声を掛ける。
「やあ。ちょっといいかな? どうしても知らせておきたいことがあるんだ」
いったんドアが閉じられ、少し待たされた。
そして今度はドアが普通に開いて風呂上りの望海が姿を見せた。
「なに? 何の用?」
望海は明らかに不機嫌そうだ。
桐子は警戒心を解こうと笑顔をみせる。
「大丈夫。こっちはボクとイリアだけだよ」
望海は軽く桐子の後方に目を向けて確認する。
「みたいね。で、知らせたいことって何?」
桐子は神妙な顔つきで答える。
「大事なことだから、できれば中で話したい。入れて貰えないか?」
望海は手ぶらの桐子を眺めながら了解する。
「武器は持ってないようね。いいわ。ここじゃ寒いから」
その言葉を受けて桐子とイリアは家の中に入る。
イリアのハルバードも桐子と同様に家の外に置いてきた。
通されたのは上品な造りの居間だった。
豪華とまではいかないが、高額そうなソファや凝った模様の椅子がある。
暖炉に火は点いていなかったが、代わりにブリキ人形の胴体のようなストーブが赤々と熱を発していた。
桐子が室内を見回して尋ねる。
「あれ? 玲実は? 一緒じゃないのかい?」
それを聞いて梢が怯えたような表情で姉を見る。
そして望海が「死んだ」と、ぶっきらぼうに答える。
「な!? 死んだ!?」
桐子も驚いたがイリアも「なっ!?」と、絶句する。
望海はソファに腰を下ろすと首を竦める。
「武器はメガネ女に奪われた」
桐子が目を丸くする。
「利恵が!? 信じられないな」
望海は肘かけに上半身の体重をかけながら言う。
「能力も……ね」
望海は試すような顔つきでそう言った。
イリアが反応する。
「利恵が武器と能力を奪ったなんて……何があったの?」
イリアの言葉に望海がニヤリと笑う。
「やっぱ知ってるのね。そのルールのこと。いいわ。ついでに教えといてあげるけど、あのメガネ女。もう普通じゃないよ。完全に正気を失ってる。それにブタ女の武器と能力も持ってるから」
桐子が顔を顰める。
「ブタ女って……まさか和佳子のことか!?」
「そうだよ。他に誰が?」
「和佳子が……利恵に? 利恵と和佳子は仲たがいしたのか?」
桐子はそう言って考え込む。
イリアも困惑した。
利恵達と別れてからそれほど日数は経っていない。
自分達と別れてから利恵達のグループに何があったというのか?
望海はペットボトルの水を飲み干して付け加える。
「それと最悪なことにモエと乙葉が、そこに加わったっぽい」
そこで桐子とイリアが顔を見合わせる。
さすがの桐子も理解が追いつかない様子だ。
「利恵がモエ達と組んだだって? ますます理解できないな」
イリアも首を傾げる。
「あの2人がこの町に向かったのは分かってたけど、まさか組むなんて……」
桐子とイリアが戸惑っている様子を眺めながら望海が話を変える。
「ところで、そっちの武器は何? 表にあった剣みたいなやつ?」
「そうだ。大剣だよ。持ち運びが不便なんだ」
「能力は? どんな能力を持ってるの?」
望海の質問に答えそうになった桐子がハッとする。
「それを聞いてどうするんだい?」
「別に……使えるものかどうか興味あるだけ」
望海はそう言うが、桐子は警戒した。
武器や能力を奪う、奪われるの話をしていた時の望海に得体の知れない危うさを感じていたからだ。
イリアも同じことを考えていた。
手の内を明かすことが得策ではない。
その時、ドーンと突き上げるような縦揺れが生じた。
ミシッと建物が軋み、地鳴りが周囲を包んだ。
桐子が「地震か!?」と、立ち上がろうとして、よろめいた。
梢が「いやぁ!」と、椅子にしがみつく。
「大きいわ!」と、イリアがストーブに目を遣る。
望海が「なんなの。こんな時に」と、吐き捨てる。
揺れはまったく収まることが無かった。
1分、2分と震度6以上はあると思われる揺れが続いた。
テーブルの上の物が引っ掻き回され、調度品が次々に倒れる。
大型のストーブも前後左右に大きく揺れる。
まさか、この異世界でこんな大きな地震に見舞われるとは!
と思っていた矢先に爆発音が遠くで発生した。
桐子が「何か爆発したのか?」と、窓に向かう。
揺れは随分と収まってきたが地鳴りのような音は続いている。
顔を押し付けるようにして窓の外を凝視していた桐子が呻く。
「まさか……嘘だろ……」
イリアが「ど、どうしたの?」と、心配して桐子の傍に寄ってくる。
桐子は「暗くて良く見えないけど」と前置きして言う。
「山が噴火したかもしれない」
桐子は目を凝らす。
「煙が出てる……それにこの地鳴り。避難した方がいいかもな」
それを聞いて望海が「は?」と馬鹿にしたような顔を見せる。
「避難? なんで?」
望海の言葉を無視してイリアは桐子に尋ねる。
「噴火って、あの山は火山だったの? 私は登ってないから分からないけど……」
「ああ。火口は無かったよ。けど、必ずしも頂上から噴火する訳じゃないんだ。山の側面から噴火することは良くあるんだよ」
梢が心細そうな顔で首を竦める。
「いやだわ。それって……どうなっちゃうの?」
桐子は少し考える素振りを見せてから提案する。
「取りあえず町を出よう。で、状況によっては避難する。この距離で噴煙があの大きさで見えるということは危険だ。最初の港町に移動した方が安全かもね」
しかし、望海は賛同しない。
「ここから逃げるって? バカじゃないの。何でここを動かなくちゃならないの。だって死なないんでしょ? 武器以外では」
「確かにね。けど、ボクは逃げるよ。万が一、火砕流に巻き込まれたら悲惨だからね。死ななくても痛みや苦しみからは逃れられない」
イリアも神妙に頷く。
「そうね。生き埋めになったら最悪だわ。そんな状態で死ねないなんて地獄だと思う」
2人の言葉に梢が震えあがる。
「そんなの嫌よ……逃げよう! お姉ちゃん」
梢に懇願されてようやく望海も重い腰を上げる。
「もう。分かったわよ。けど、寄りたいところがあるんだけど、いい?」
「マジかよ。急いだ方がいいんだけどな」
桐子は困った顔でそう言うが望海の意志は固い。
「この子の武器が必要なの。拾いに行かないと」
利恵と戦った時に梢は電撃棒を落としてきてしまった。
望海はそれを回収しに行くというのだ。
イリアが、地鳴りの周期を測るように耳を澄ませてから言う。
「やっぱり止まらないわね。むしろ大きくなってる」
桐子も少し焦りはじめたようだ。
「マジか。とにかく急ごう! 望海。その場所は近いのかい?」
「それほど遠くないわ。アタシ達はそっちに寄ってから向かう」
「分かった。ボク達は一足先にトンネルを抜ける。なるべく急いでくれ」
この家からトンネルまではさほど遠くない。
望海達は、いったん町中に戻る形になる。
桐子はイリアに声を掛ける。
「行こう。グズグズしてる時間は無い」
「そ、そうね……分かったわ」
イリアは素直に応じるが気が滅入っていた。
異世界に放り出されただけでもツイていないというのに自然災害にまで巻き込まれてしまっては堪ったものではない。
イリアは改めて自分達の不幸を呪った。
望海と梢が町中方面に向かったのを見送って桐子とイリアは来た道を戻った。
先ほどよりも周囲は暗かった。
むしろ真っ暗に近い。
恐らく、噴煙によって月明かりが弱まっているのだろう。
山の方向を見ながら桐子が眉間に皺を寄せる。
「かなりの煙が出てる。地鳴りも止まない。これは思ったより規模がデカいぞ」
1時間ほど前に自分達がつけた足跡を辿りながら雪道を進む。
と、その時、ある建物の前でイリアが「あっ!」と、声を上げた。
「どうした? イリア?」
「これは……」
そう言ってイリアは立ち止まり3階建ての建物を見上げた。
その建物は小さなバルコニーが等間隔に並んだアパートのような造りだった。
白っぽい外壁は周りの雪と調和していて、微かな月の光を浴びて佇んでいる。
ところがイリアにつられてアパートを見上げた桐子も「うっ!」と、異変に気付いた。
「うう、酷いな」と、桐子は呻く。
アパートは無残にも破壊されていた。
まるで何十発も銃弾を受けたように壁には穴が幾つも見受けられる。
多くの窓ガラスが割れ、バルコニーの手すりはところどころ欠けている。
しばらく、その様子を眺めていたイリアが呟く。
「誰がやったんだろ?」
「さあな。けど、これは銃で撃ったものだと思う。となると……ヘレンか?」
乙葉のショットガンという可能性もある。
だが、この建物は的にされたみたいに見える。
こちらの面だけが穴だらけで、それらは広い範囲で不規則に配置されている。
イリアが首を傾げる。
「戦った跡のようには見えないけど……誰かが練習していたのかしら?」
そこでまた『ドーン!』という爆発音が聞こえてきた。
それに呼応するように地面が揺すられ、溜まっていた雪があちこちでバサバサと崩れ落ちる。
桐子が転ばないように踏ん張りながら言う。
「マズイな。さっきより揺れが大きくなっている。急ごう。他の連中も避難していればいいんだがな」
「そうね……」
静まり返る雪の町並を震わせる火山活動にイリアは唇を噛んだ。




