第49話 死に至たった結果
ツインテール桐子とイリアは瀕死の智世を連れて、モエ達の前から逃げてきた。
石碑を使って森の中に瞬間移動したイリアと桐子は、智世の蘇生に躍起になっていた。
詩織の鎖鎌で首を斬られた智世は、出血が激しく顔が真っ青だ。
桐子は智世の首筋にタオルを強く押し当てて何度も呼びかける。
「智世! しっかりしろ! 目を開けろ!」
イリアは必死で心臓マッサージと人工呼吸を続ける。
仰向けにした智世の胸をリズミカルに押し、マウス・トゥ・マウスで口から酸素を送り込む。
何度もそれを繰り返すが智世の顔は殆ど生気が無い。
自力で呼吸できているかも怪しい。
桐子はタオルを取り換えようとするが傷跡を見て顔を背けた。
泡のような出血は完全に勢いを失い、凝固し始めている。
その傷の深さから、もう助からないことは目に見えていた。
だが、イリアは諦めない。
雪の町の病院で調達した強心剤を注射して心臓マッサージを続ける。
痛み止めよりも強心剤だ。
どれぐらい、蘇生を続けただろうか。
智世の胸を押すイリアの手が止まった。
イリアはぎゅっと目を閉じて天を仰いだ。
それを見て桐子は智世の死を悟った。
桐子は智世の頬に手を当てて、その冷たさを噛みしめる。
既に智世の身体は温もりを失いつつあった。
「あああっ!」と、イリアは、まるで涙を振り落とそうとするかのように激しく何度も首を振った。
桐子は呆然としたまま智世の頬を撫で続ける。
3人を取り囲んだ木々は、ひとつの命が終わる様を静かに見守っていた。
そして、唐突にザッと枝葉をひと揺らしした。
それはまるで誰かの死を告げる教会の鐘のような余韻を残した。
* * *
銀世界と砂漠を隔てる境界線上でモエと乙葉は瀕死の詩織を介抱していた。
この場所まで詩織を引きずってきたのは、身体を冷やす必要が出た場合を想定したからだ。
勿論、イリア達が戻ってくることを警戒して、石碑からは出来る限り離れたかったのもある。
砂漠側に敷いたビニールシートの上に横たわった詩織はぐったりしている。
だが、辛うじて意識はあるようだ。
モエがその傍に座って詩織の髪を撫でている。
「なんとか発熱は収まったみたいやな……」
乙葉は境界線の向こう側に手を伸ばして雪を掬い、詩織の額を冷やした。
「さっきのは何だったのかな?」
「分からへん。けど、只事ではなかったな」
つい先程まで詩織は酷い高熱にうなされていた。
ただし、普通の発熱でないことは容易に理解できた。
なぜなら、詩織の身体は発熱だけでなく発光しているように見えたからだ。
それは十数秒続いた。
余りに詩織が苦しむので、モエと乙葉は詩織の死を覚悟したぐらいだ。
モエは、そのことを思い出して只事ではないと言ったのだ。
乙葉は、ハルバードの槍に刺された詩織の傷口に雪の塊を押し付ける。
「血は止まってる。雪で冷やして正解だったね」
モエが詩織の脇腹を見る。
「熱はその傷のせいやないんか……」
イリアに刺された部分はミミズ腫れになって紫色に変色している。
出血は止まっているように見えるが、内臓が激しく損傷している可能性がある。
詩織は時々、薄らと目を開ける。
そして口を動かそうとするが、なかなか唇が開かない。
「なんや? 詩織、何か言いたいことがあるんか?」
そう言ってモエは詩織の口元に耳を近付ける。だが、何も聞き取れない。
このままどうすることも出来ずに乙葉が落ち込む。
「どうすればいいのよ……」
モエが忌々しそうに言う。
「応急措置できるようなもの持ってへんし、かといって家なんかあらへん。この辺、何も無さすぎや!」
できれば日差しを遮る建物に移動したい。砂漠は暑すぎる。
かといってすぐ隣の銀世界は寒すぎる。
極端すぎる環境の二者択一。
どちらを選ぶべきかモエには判断ができなかった。
その時、乙葉が詩織の変化に気付く。
「ちょっと! 詩織!?」
「なんや? アカン! 脈が弱っとる!」
詩織の顔色は白を通り越して青白くなっている。
モエが詩織の頭を揺らす。
「詩織、どや? 痛むか?」
そこで朦朧としていた詩織が目を開けた。
「あ、ありがと……」
「しゃべらんでええ。意識だけ、しっかりしいや」
モエの呼びかけに詩織が頷いたように見えた。
しかし、その動きは弱々しすぎてあまりに痛々しかった。
それを見て乙葉は思わず顔を背けてしまった。
詩織は最後に力を振り絞るように唇を動かした。
「私……変われた……かな?」
そのか細い声は、吐き出された空気が震える音のように聞こえた。
モエが涙を堪えながら何度も頷く。
「うん。変わったで。詩織は強うなった」
それはモエの本心だった。
初めのころの詩織は内気で、弱虫でどもってばかりいた。
しかし、モエ達と行動する間にモンスターと戦い、敵と戦うことで勇気を振り絞って行動できるようになっていた。
鎖鎌という変わった武器を手にしてからというもの、それを習得しようと隠れて努力していたこともモエは知っている。
「詩織は強うなった。ホンマにそう思うで」
乙葉は両手で詩織の手を握ることしかできずに号泣した。
弱い自分を変えたいと言っていた詩織。
その彼女が息も絶え絶えになっている。
詩織は弱々しく乙葉の手を握り返し、モエに微笑みを見せた。
「いきて……ね。二人とも……」
それが詩織の最後の言葉だった。
唇を閉じる力も残っていなかったのか、まるで電池が切れたかのように動きを止めた。
「うああああ!」と、モエが絶叫する。
乙葉は涙でグシャグシャになった顔を歪めて「ウウ……」と、詩織の手を強く握る。
汗と涙に濡れるモエと乙葉とは対照的に、詩織の遺体は乾いていた。
強い日差しは容赦なく三人を照らし続ける。
そんな砂漠に一陣の風が吹いた。
風は詩織の前髪を揺らし、モエと乙葉の涙を撫でつけ、境界線の見えない壁で行き場を失った。
* * *
ツインテール桐子は我が目を疑った。
何度も目をこすっては凝視する。
だが、何度見直しても桐子にはイリアの身体が発光しているようにしか見えなかった。
「ああああ!」と、高熱に浮かされるイリアは地面に座り込み痙攣した。
桐子は、どうすることもできずに只それを見守っている。
やはりイリアの姿は眩い。
まるで、蛍光灯の明かりを至近距離で一身に浴びたみたいに彼女は光を発している。
特に首の付近が最も明るい。まるで首輪が発光しているように思えた。
「あああああっ!」と、イリアが絶叫する。
そして静かになった。
身体からの発光も消え失せた。
イリアが謎の発熱と光を発していた時間は十秒ちょっとの間だ。
だが、その異変は何か重要な意味を持っていると思われた。
桐子が恐る恐る声を掛ける。
「イリア……大丈夫か?」
その声が耳に届いたのか、イリアがゆっくり顔を上げる。
汗で乱れた髪が彼女の頬から剥がれて輪郭から零れ落ちる。
それを見て桐子が驚愕した。
「イリア……君、その目……」
桐子の言葉にイリアが反応する。
その表情は幾分か険しかったが、いつものクールな顔つきだ。
しかし、決定的に違っていたのは、その目の色だ。
イリアの黒目部分は赤かった。
それは智世が能力を発揮する時に見せた、あの鳩の血に例えられるルビーの色だった。
桐子が脱力したように一言。
「ピジョン・ブラッド」
それを聞いてイリアがハッとする。
そして桐子の顔を見る。
桐子も普通に目を合わせようとする。
しかし、イリアと目が合った瞬間、桐子の身体が硬直する。
「うっ! イリア、やっぱりそれ……智世の……」
桐子は金縛りに遭いながらそう訴えた。
イリアは鏡になるものをと思って周囲を見回すが草木しかない。
そこで放置していたハルバードに目を付けた。
それを手繰り寄せて手に取り、斧の部分に自らの目を映してみる。
「あっ!!」と、イリアが絶句する。
イリアにも覚えがあった。
確かにその目は見慣れたものではない。
放心したようにイリアは座り込んだ。
そこで桐子の金縛りが解ける。
「戻った……けど、今のはやっぱり」
桐子は手の平を動かして金縛りが解けた感触を確かめる。
そして、イリアのところに歩み寄ると、正面に座った。
イリアの目は普通に戻っている。
「イリア。その目は智世の能力が移ったんじゃないか?」
その言葉にイリアは力なく首を振る。
だがそれは否定の意味ではなく、諦めを表しているように見えた。
桐子は考える。そして、自らの仮説を唱える。
「智世を殺したのは詩織って子だ。あの子は鎌で智世に致命傷を与えた。そこでいったん、智世の武器と能力は彼女に奪われた。けど、その詩織にダメージを与えたのはイリア、君の武器だよね?」
イリアは放心したような様子で桐子の言葉を聞いている。
桐子は泣きそうな顔で続ける。
「ボクが思うに、やはりあの動画は本当のことを言ってたんだ。智世の死で能力が詩織に移り、詩織が死んだことで、それが君に移った。ということはきっと、詩織は、さっき死んだんじゃないか?」
桐子の推測は信じがたいことだった。
しかし、イリアにはそれを否定することができない。
武器と能力は殺した者に移るという事実……。
桐子は大きくため息をついて首を振る。
「実はボク、能力の存在じたいに懐疑的だったんだ。でも、ヤツ等と戦った時に自覚したよ。ボクにも能力はあった。手の平から衝撃波が出る能力が」
そう言って桐子は茂みに向かって「はっ!」と、手の平を押し出す。
だが、何も起こらない。桐子は苦笑いを浮かべる。
「やっぱりね。武器を持った状態でないと能力は使えない」
イリアは桐子の顔を見ながら何か言いたそうな表情を見せた。
桐子はイリアの視線に対して分かってるといった風に軽く頷く。
そして「よっこいしょ」と掛け声を出して立ち上がると、石碑の側に横たわる智世の遺体を見て唇を噛んだ。
イリアもフラフラと立ち上がる。
そして桐子と同じように智世の方に目を向ける。
しばらくして桐子が呟く。
「弔ってやらないとな」
「うん……」
そう頷いたイリアの目には本来の強い輝きが戻りつつあった。




