第41話 怪物は1日してならず
シャワールームから出てきたイリアが自分の腕に鼻を近づけてから顔を顰める。
「最悪……まだ匂いが取れない」
ぽっちゃり和佳子が奇襲で投げつけてきた缶詰。
それはシュールストレミングという世界一臭いと評判の塩漬けニシンの缶詰だった。
その液体がかかってしまったのだ。
全裸のイリアを見て、智世が頬を赤らめる。
「イリアちゃん……綺麗」
「え? ちょっとヤダ」と、イリアがタオルで裸を隠そうとする。
だが、タオルが小さくて胸しか隠すことが出来ない。
智世は、うっとりしたように言う。
「色が白いしスタイルも良い……見惚れちゃうよ。ああ、描きたくなってきちゃった」
「ちょっと止めてよ!」と、イリアが慌てる。
タオルでは隠しきれない、ふくよかな胸からピンク色の突起が見え隠れしてしまう。
その様子を見てツインテール桐子が冷やかす。
「もう手遅れだよ。目に焼きついちゃったんじゃないか。智世の目には」
確かに瞬間記憶の持ち主である智世の手に掛かれば、イリアの裸はスケッチブックに実写のように再現されてしまうだろう。
イリアは顔を赤らめながら急いで服を着る。
その様子を眺めながら桐子が言う。
「今晩はこの小屋に泊まって、明日は予定通り右方面に向かおう」
桐子が提案するルートは、このまま雪の領域を突っ切り、地図上では右上部分にあたる箇所に向かうというものだった。
無論、この先に砂漠が広がっていることを桐子達は知らない。
それに明日と言ったのは、外が吹雪いているからだ。
それなので今日は偶然発見した町はずれの、この小さな小屋に滞在しようというのだ。
智世が「そうだね」と、コクリと頷く。
「外は真っ白で何も見えないもん」
桐子はブランデー入りの紅茶を飲みながら言う。
「できるだけ早く、あの町から離れた方がいいんだけどね。それに、ボクの武器も早く見つけたいし」
着替えを終えたイリアが濡れた髪にタオルを押し当てながら言う。
「でも無理に武器を持たなくてもいいんじゃない?」
桐子は首を振る。
「そうもいかないよ。ボクも武器は手に入れたい。足手まといになりたくないんだ。君達の戦いを見てつくづくそう思った。それに、まあ、興味半分というのもあるんだけどね。ボクの武器はどんなんだろう。それを手にしたらどんな能力が芽生えるんだろうって」
桐子の言葉を聞いてイリアが首を竦める。
「私の能力が何なのか未だにピンとこないんだけど」
桐子はイリアの顔を、まじまじと見て呟く。
「恐らくは感知能力」
「感知能力?」と、イリアが眉間に皺を寄せる。
「ああ。町を出る時、感じたんだろ? 和佳子の攻撃が来ることを」
「それは確かに……でも……」
「他に思い当たることは無いかい? サーベルタイガーに出くわした時も最初に気付いたのはイリアだったよね?」
その時の場面をイリアは思い出す。
6人で公園のような場所で雪遊びをしていた時のことだ。
あの時、サーベルタイガーを発見したのは智世だったが、最初に異変に気付いたのはイリアだった。
「そうだけど……自分でもよく分からない」と、イリアは首を振る。
桐子が身を乗り出す。
「思い出せないか? 何か変化を感じ取ったとか?」
イリアは困惑しながら答える。
「うまく表現できないんだけど『嫌な予感』みたいな気配を感じた。こめかみのあたりに」
「それだ! 気配を感じたんだね? それって悪意を感知したってことなんじゃないか!」
桐子は興奮気味にそう捲し立てた。
しかし、イリアは「悪意……?」と、半信半疑だ。
桐子は一人で納得している。
「そういうことか。なるほどね。ということはイリアの能力は感知能力なんだな。うん。少年漫画なんかでよくあるんだよ。敵の気配や強さを感知する能力っていうのが」
桐子が言うような能力が実在するとはイリアには思えなかった。
だが、現にその感覚が和佳子の強襲から智世を救ったのは事実だ。
「私にそんな能力が……」と、イリアは困ったように首を傾げた。
そこで桐子が急に真顔になる。
「智世の能力は、相手を金縛りにする眼力。和佳子は異常な投てき力。利恵は怪力。みんなそれぞれに能力を持ってる。だけど、問題はそれが他人に奪われてしまうってことだ。動画の情報が確かならね」
そこで桐子は動画の件について触れた。
雪の町の探索で発見したビデオカメラに残されたメッセージは、はっきりとそのことについて言及していた。
『殺すと能力を奪える』『その証拠にあいつは能力を使っていた』というメッセージが事実なら、各武器の保持者には固有の能力があって、それが武器の所有権と共に移転するということになる。
桐子は腕組みしながら唸る。
「うーん。けど、恐ろしいのは……その特殊能力が誰かに集中することだな」
それを聞いてイリアが動画の内容を思い出す。
「動画の子は何かに怯えていた。このままじゃアイツに殺されるって」
桐子が頷く。
「ああ。ボクが思うに『アイツ』というのはまったくの他人じゃない。恐らく、元は仲間だった人間が能力を得て、モンスターみたいになっちまったんじゃないか? ボクはそう推測している」
それを聞いて智世がぎょっとする。
「ひっ! そ、そんな……怖いよ」
しかし、桐子は「残念ながら」と前置きして自らの考えを続ける。
「あの動画の子達は『アイツ』から命を狙われていた。それに抵抗する為に戦っていたんだと思う。智世達が拾った小瓶の手紙、イリアが見た病院の光景がそれを物語ってる。てことは、あの子達の仲間のうちの誰かが皆を殺そうとしたんじゃないかな」
イリアは特に驚く風でもなく桐子の説を冷静に聞いていた。
まるで、知っていたとでも言いたそうな顔つきで。
智世がテンパった様子で否定しようとする。
「ち、違うよ。きっと、殺人鬼みたいな人が居たんだよ。それに巻き込まれたんじゃない?」
桐子は智世の仮説をきっぱり否定する。
「智世。そういう風に考えたくなる気持ちは分かる。でも、『能力が移る』って表現は、同じレベルの人間同士だからこそじゃないか? 異質な殺人者。例えば、あの町に居てもおかしくないロシア人の大男がアイツだったとしたら『移る』とは言わないんじゃないかな。その場合は『奪われた』って言うはずさ」
そこにイリアが口を挟む。
「鋭いわね。同感よ。それに他の子の武器を使ってたというのも、あなたの推理の裏付けになるわ。武器は基本、一人につき一個だもの」
「そうだね。はじめは自分の武器を持っていたという前提だから、アイツの正体は彼女達の中に居たと考えるのが自然だ。それに、ボクはあの動画を見て仲間同士で殺し合っているんだなって直感した。正直、信じたくなかった。けど、考えれば考えるほど、仲間同士で殺し合っていたとしか思えない。だから和佳子と接触するのを避けるべきだと思ったんだ」
桐子はそこまで言うと指を組んで唇を噛んだ。
そして少し迷っているような表情を浮かべて再び口を開いた。
「恐らく、和佳子は智世の能力を奪おうとしたんだろう」
桐子の疑念は智世に衝撃を与えた。
「そ、そんなぁ」と、智世はガタガタ震え出した。
そしてイリアにしがみつく。
桐子は苦悶の表情を浮かべて言う。
「モンスターが能力を欲するのか、それとも能力がモンスターを創り上げるのか……」
と、その時、突然『バーン』とドアが開け放たれた。
吹き荒ぶ雪が冷気を伴って室内になだれ込んできた。
外は昼間だが薄暗い。
ドアは開いたのではなく、乱入してきた人物が開け放ったのだ。
イリア達は絶句した。
突然の乱入に驚いたこともある。
が、入ってきた人間の異様さに圧倒されてしまったのだ。
「ここに居るのはユー達3人?」と、その人物は尋ねた。
そして、それはライフル銃を構えたヘレンだった。
* * *
先頭を行く乙葉は、周囲に目を配りながら力強い足取りでどんどん先に進む。
その後をモエと詩織が無言でついていく。
森の中を進む3人に会話は無く、喧嘩をしている訳ではないのに妙な溝ができてしまっていた。
モエと詩織は黙って付いて行くしかない。
時々、詩織が何か言いたそうにモエの顔を見るが、モエは無言で首を振るしかできない。
そんな2人の方を乙葉は一度も振り返らない。
彼女は怪しいと思った箇所を見つけると乱暴に茂みを掻き分ける。
そして何も無ければ直ぐにその場所を見限り、また歩き出す。
その一連の作業は手当たり次第というものでもなく、歩いている途中に突然、思い出したように行われる。
それは傍から見ていると散歩中の犬の気まぐれな行動を連想させた。
しばらくそんな状態が続いた時だった。
目の前が急に陰った。
まるで、不意に液晶画面の明るさが一段階下がった時のように。
だが、それは一瞬の出来事だった。
「なんや……?」と、モエが警戒する。
前にもこんなことがあった。
モエはまさかと思って空を見上げた。
「うっ!!」
モエの視界の端に動く物があった。
それが音も無くモエ達の上空を過り、一時的に日差しを遮ったものと思われた。
「アカン! またあいつや!」と、モエが乙葉の背中に向かって叫んだ。
乙葉はゆっくり振り返ってモエの顔を見た。
しかし、リアクションはない。
「乙葉! 注意しいや! あいつや! ドラゴンや!」
詩織がドラゴンと聞いて絶句する。
それで乙葉も事態を飲み込んだようだ。
だが、乙葉は少しも慌てることなく背にしていた荷物を道端に下すと、ショットガンだけを手に表情を引き締めた。
モエと詩織もそれにならって荷物を下ろして武器だけを持つと、ドラゴンの強襲に備えた。
前回の遭遇でドラゴンは獲物を品定めするみたいに一旦、モエ達の上空を通過し、体勢を整えてから低空飛行で襲い掛かってきた。
恐らく、今度も同じように来るはずだ。
「きた!」と、乙葉が最初にドラゴンを発見した。
彼女の視線を追ってモエと詩織もその方向に目を向ける。
「やっぱり来よったか……」
モエは鳥肌が立つのを自覚しながら戦斧を握り直す。
赤茶けた色のドラゴンは巨大化した鷹のように見えた。
だが、その身体の割に小さめの頭は鳥のそれではない。爬虫類でも恐竜でもない。
刺々しい輪郭を持つドラゴンの頭としかいいようがなかった。
低空飛行でこちらに向かって来るドラゴンの姿が見る間に大きくなっていく。
「アカン……こんなん無理や……」と、モエの足が竦む。
ドラゴンは乙葉の向かっていた方向から迫ってくる。
だが、乙葉は前回と同様に逃げることなくそれに対峙している。
モエは全身の震えを止めようと歯を食いしばるが逃げ出したくなる衝動が抑えられない。
一方、モエの隣で詩織は泣きそうな顔で鎖鎌を構えている。
彼女も震えを堪えている。
その証拠に右手の鎌から繋がる鎖に震えが移ってチャリチャリと煩い。
あっという間に接近してきたドラゴンは、鳥のような後ろ足を前に突き出して乙葉に攻撃してきた。
まるで、キックしようとしているみたいに。
「うぁぁああ!!」と、乙葉が両手でショットガンを前に突き出してドラゴンのキックを受け止めようとする。
無理だ! と、モエは思った。
ドラゴンの足は雨傘を広げた位の大きさで、しかも爪だけでも乙葉の顔の大きさを超えている。
『ガキィッ!!』という激しい衝突音!
そこで乙葉が吹っ飛ばされると思いきや、意外なことに彼女は上体を反らしながら踏ん張る。
反対にドラゴンの体勢がグラリと傾いたように見えた。
というよりも、飛行の進路がブレた。
その分、乙葉を飛び越えたドラゴンは、予想よりも左に逸れながらモエと詩織の頭上を掠めて後方へ飛んで行った。
モエがドラゴンの後姿を確認して「乙葉!?」と、声を掛ける。
だが、モエの心配をよそに乙葉は普通に立っている。
それどころか憎々しげに言い放つ。
「フン……その程度だったんだ……」
乙葉のコメントにモエと詩織が驚愕した。
結果的に乙葉はドラゴンの蹴りをいなすことでダメージは受けていない。
怖いくらいに冷静な乙葉は、狂気を孕んだ怪物のように見えた。




