第23話 復讐者の砦
モエは数百メートル先の矢倉を睨みつけながら、ヘレンの顔を思い出した。
湿地帯の見張り台。
あそこから撃ってきたのはヘレンに違いない。
ライフル銃ならここまで弾が届く。
おそらくは昨日、南風荘を出る時の「いざこざ」に対する報復なのだろう。
モエは、ヘレンの顔面を斬り上げた時の感触を思い出す。
「くそっ!」
そこに『パァン!』の音。
そこから一呼吸おいて、モエの足元で土が『ビシッ』と、跳ねた。
「アカン! この位置は!」
この場所は、狙撃してくる相手からは丸見えだ。
モエは、狙撃されたグラマー野乃花を抱えて逃げようとする。
だが、自分も右肩に被弾してしまった。
その激痛のせいで、野乃花の上半身を起こすことが出来ない。
ぐったりとした野乃花の身体は予想以上に重かった。
「マズい! このままじゃ……」
モエは咄嗟に戦斧をジャングル方面に放り投げ、空いた左手で野乃花の右足を取った。
そして強引にそれを引っ張る!
「クッ!」
やはり重い。
そこに『パァン!』という音に続いて『ビシッ!』と、またしても地面が抉られる。
弾は幸い、モエの右側を掠めていった。
狙撃から逃れるには遮蔽物の影に入らなくてはならない。
せめて視界を遮ることができれば……。
モエは、必死で近くの茂みまで野乃花を引っ張ろうとする。
「うぉおおおお!」
いつ弾が飛んでくるか分からない中で無我夢中で引っ張る。
そこへ異変に気付いた乙葉が駆けつけてきた。
「なんなの? あの銃声は!?」
「アカン! あの見張り台から撃ってきよる!」
そこに『パァン!』という音、そして乙葉とモエの間を『シュッ!』と、何かが過る。
音の出所と思われる矢倉に気付いて乙葉が目を見開く。
「え!? あそこから? 遠くない?」
「とにかく、茂みの中に野乃花を隠すんや!」
「分かった!」
乙葉が慌てて野乃花の足を一緒に引っ張る。
うつ伏せ状態の野乃花の顔面が地面で擦れてしまうが止むを得ない。
2人掛かりで何とか野乃花の身体を茂みに引っ張り込んだ。
身を隠してからも銃声は一定の間隔を置いて続いた。
木々を掻き分け、さらに奥に引っ込んだところで、ようやく銃声は聞こえなくなった。
乙葉が野乃花の具合を確かめる。
「野乃ちゃん! 野乃ちゃん! しっかりして!」
「お腹か……」と、モエが呻く。
乙葉が急いで野乃花のTシャツをめくる。
さらにデニムのホットパンツを下げる。
「う……」と、乙葉が絶句する。
野乃花の傷口は左の脇腹とヘソの中間にあった。
肉付きの良い白い肌に不釣り合いな傷が生々《なまなま》しい。
一見すると銃弾で抉られた穴というよりは切り傷のように見える。
ただ、血の勢いが凄い。まるでマグマが溢れ出る火口のようだ。
恐らくは深い部分まで傷つけられているのだろう。
詩織が「し、し、止血しなきゃ」と、タオルを折る。
それを受け取って乙葉がタオルで傷口を強く押さえる。
だが、十分ではない。タオルはすぐ真っ赤に染まってしまった。
そこで乙葉は突然、スカートを脱いだ。
そしてスカートのジッパー部分を強引に引き裂いて一枚の布にする。
さらにそれを縦に四つ折りにしてタオルごと野乃花の腹部を巻いた。
無論、下着丸出しの恥かしい恰好になってしまったが、そんなことは気にしない。
乙葉は野乃花の頬を強めに叩く。
「野乃花! 野乃花! しっかりして!」
だが、野乃花の反応は鈍い。
顔色は悪く、大量出血による消耗が激しい。
冷や汗もかなり出ているので出血性ショックが心配される。
何とか意識はあるようだが、目を開くのがやっとのようにも見える。
そんな野乃花の状態を見守りながらモエが苦悶の表情を浮かべる。
「こんなことになるくらいやったら……あの時、あいつに止めを差しとくべきやった」
モエは戦斧でヘレンに切り付けた時のことを思い出して後悔した。
それを聞いて詩織が悲しげな表情で黙って首を振る。
モエは怒りを露わにしながら誓う。
「絶対、仇を討つ!」
そう宣言して戦斧を拾いに行くモエを乙葉が「待って!」と、制止する。
モエが振り向いて「なんでや?」と、返す。
乙葉は野乃花を介抱しながら冷静にいう。
「いま行ったって勝ち目は無いよ」
「せやかて!」
「私だってブチ殺してやりたいよ! 今すぐ!」
乙葉が急に大きな声を出したのでモエと詩織が驚く。
乙葉は肩を震わせながら涙声で続ける。
「絶対に……絶対に許さないんだから……この手で必ず……」
乙葉の言葉にモエが少し冷静さを取り戻す。
「せやな。あの見張り台から、こっちは丸見えや。このままじゃ狙い撃ちされるだけやもんな……」
野乃花は虫の息だ。
怒りを押し殺しながらそれを見守る乙葉。
何もできずにオロオロする詩織。
どうしようもない絶望感の中、モエが鋭い眼光で呟く。
「夜や。夜なら近づける」
その言葉に呼応するかのように乙葉が眉間に皺を寄せる。
そして深く静かに頷いた。
* * *
湿地帯の見張り台に籠城するヘレンは、缶詰や水を大量に持ち込んでいた。
缶詰のコンビーフを丸かじりしながらヘレンは小窓からジャングル方面の様子を監視する。
既に標的の姿は見えない。
しばらくは出てこないことは分かっていた。
「まだまだよ……」
そう呟いてヘレンは口元を緩める。
「直ぐには殺さない。もっと苦しめばいい」
冷酷な笑みを浮かべながらライフル銃を手にヘレンは思い出す。
ヘレンが来日したのは3年前のことだ。
母方の祖母を頼って日本に来たばかりの頃を思い出した。
それは決して裕福な生活では無かった。
それに日本語が不自由で学校でも苦労した。
あまり良い思い出は無い。
ただ、それ以上にアメリカでの出来事が忌まわしい記憶となってヘレンを苦しめた。
ヘレンの故郷は、コロラド州のデンバーに近い田舎町だった。
父と母と兄の4人家族。
父は、町工場に勤める平凡で穏やかな男。
日系ハーフの母は、ごく普通の専業主婦。
そして8歳年上の兄は、青春を謳歌する明るい高校生だった。
そんなダグラス家を5年前に悲劇が襲った。
ハイスクール構内で銃乱射事件が発生して、兄が犠牲になってしまったのだ。
突然の不幸に家族は打ちひしがれた。
父と母、ヘレンの3人は、何度もカウンセリングを受けなくてはならないほど強いショック状態にあった。
そんな中、突然、母が銃規制を求める運動に参加すると言い出した。
はじめは被害者の会に参加する程度であったものが、それが本格的な運動に発展するにつれ、彼女は中心メンバーになっていった。
ある意味、運動に熱中することで悲しみを紛らわせようとしていたのだろう。
あるいは愛する息子の命を奪った銃を規制することで復讐を果たそうとしたのかもしれない。
いずれにせよ母は、ヘレンを連れて何度もデモに参加した。
犠牲者26人というショッキングな事件であったが為に、デモは注目され、その中で、とりわけ美しい少女であったヘレンは兄を失った悲劇の少女として全米3大ネットワークのニュースでスポットライトを浴びることになった。
それはヘレンの本意ではなかった。
だが、大人たちが期待する答えや母が求める役割を察して彼女は涙を流してみせた。
中には意地悪なリポーターがいて、わざとヘレンを泣かせるようなことを囁いて、ヘレンの大きな瞳が涙で一杯になる絵をカメラに収めようとすることもあった。
そんなある晩、ダグラス家に男が2人訪ねてきた。
片方は父の会社の上司だと名乗った。
もう1人は何者か分からなかった。
だが、その男は上院議員の座を狙う町の有力者だということが後になって分かった。
男2人は銃規制を求める運動を止めさせるために訪問してきたようだった。
居間で大人たちが激しく言い争う様子をヘレンは階段に座り込んで伺っていた。
良い話ではないことは明らかだった。
父が激しく叱責されているのは直ぐに分かった。
声を荒らげる母の声もヘレンの胸を締め付けた。
母の泣き叫ぶ声がしたときなどは両手で耳を塞いだ。
突然やって来た男2人によって残された家族の絆が引き裂かれようとしていると感じた。
そんな風にガタガタ震えるヘレンに帰ろうとした男達が気付いた。
父の上司という男は半笑いで首を竦めてみせた。
もう一方の恰幅の良い髭男は、ヘレンに近付くと、顔をぐっと近づけて笑顔を見せた。
そして、一瞬だけ怖い顔をみせて、ヘレンに言い聞かせた。
「分かるかい? 悪いのは銃じゃない。間違った使い方をした人間が悪いんだ」
その含み笑いはヘレンに嫌悪感を与えた。
そして強烈なトラウマとなった。
なぜなら、その夜を境に毎晩のように父と母が激しく言い争うようになってしまったからだ。
父は「このままでは仕事を失う」と訴え、母は「圧力に負けるわけにはいかない」と主張した。
やがて、デモに参加することを止めようとしない母に対し、父は暴力をふるうようになってしまった。
温厚だった父が本気で母を殴打する姿を見せつけられ、ヘレンは家族が壊れていく様をはっきりと感じ取った。
そして、あの夜に尋ねてきた男達を憎んだ。
特に帰り際にヘレンに話しかけてきた髭男の含み笑いはヘレンを強く苛立たせると同時に絶望的な気分を呼び起こした。
町中の至る所に貼り出された髭男の選挙用ポスターを見せつけられるたびに、ヘレンの中で憎しみと絶望が葛藤した。
本当に憎むべきは、兄の命を奪い、家族をバラバラにした銃だ。
しかし、代議士になろうとするあの男の薄ら笑いは、やがて幼いヘレンに『具体的な殺意』を抱かせるまでに憎い存在になっていった。
ただ、それよりも前にDVに耐えられなくなった母がヘレンを連れて夫の元から逃げ出した。
その結果、ヘレンもあの忌まわしい笑みから逃れることができた。
もし、あのまま町に留まり続けていたなら、どうなっていただろうとヘレンは今になって想像する。
あの髭男を撃ち殺したいと考えるようになっていたかもしれない。
それも明確な殺意をもって。
今のヘレンには、それがリアリティのあるものとして認識することが出来る。
そしてそれを肯定している自分を自覚している。
あんなに憎んでいた銃を、こうして手にしているとは実に皮肉なものだ。
「悪いのは銃じゃない……」
そう呟いてヘレンはライフルの銃身を手の平でそっとなぞった。
そこで、ピリリと顔の傷が痛んで顔を歪める。
「痛ッ……」
美しいヘレンの顔に大きな傷をつけたモエの戦斧がフラッシュバックした。
それに対する復讐心がヘレンの殺意を募らせる。
より具体的な殺意を……。




