空に浮かぶのは三日月
「なろうラジオ大賞5」参加作品です。
娘が産まれた日も三日月だった。
上弦なのか下弦なのか。疎いのでそれは解らなかった。
春の夜明け前、産婦人科からの電話でベッドの上から飛び起きた。
間に合うか?
幸いにも通院していた医院は車で15分。こんな夜明け前には車も走ってはいないだろう。もっと早く着けるはずだ。
*
夜中前に破水した。
ニュースを見ていると、「あ」と声を上げた。「どうしたの?」と訊くと、「破水したかも」
予定日まではあと5日。
心の準備など何もできていなかった。
「え?」としか言えずに一瞬呆けてしまったが、「バスタオルをもってきて」と私に指示を出す。
慌てて洗面所から大きなタオルを持ってきた。それを腰に巻くと妻は医院に電話をした。
入院準備の鞄をもって車に乗り込む。
「大丈夫?」
なんだか間の抜けた問いかけに、「うん。まだ陣痛はないから」といつもと変わらぬ笑顔で答える。
春先の夜は冷たく寒い。
暖房を目一杯にした車内で、急に痛がりだしたらどうしよう? 間に合うのか? などとドキドキしながら運転する。対向車もない赤信号で止まる度に、ちらりと妻の様子を窺う。
お腹を撫でているその様はいつも通りの妻であり、数時間後には母親になる女性であることがなんだか不思議で……。
医院に着くと妻を支えて夜間用の扉をくぐる。
待っていてくれた看護師さんに妻を託す。
なんと言ってよいか解らずに「がんばってな」と離れる間際に手を強く握る。
「うん」。力強く答えた妻は今までに見たことのない表情をしていた。
「まだ産まれそうにないので、ご自宅で待機してください」
帰宅したものの。眠れる訳がない。取り敢えずはベッドに横になり目を瞑る。子どもの性別は解っていたが、父親になるという実感は正直、まだなかった。
いつの間にかうとうとしたらしい。
電話の着信音で目が覚めた。
産声はなかった。医師が逆さにして背中を叩くと呼気の声を上げた。
妻は処置中なので私が初めてわが娘を抱く。
なんといったらいいのか……。やわらかくて弱々しくて、でも生きようとする命の塊が腕の中にあった。
ふとした縁で結婚した私たちが命を授かり、こうして母親と父親になる。そうか……。妻が母親になるだけではなく、私は父親になるのだ。
*
「お父さん、お母さん、いままで育ててくれてありがとう」
晴れやかな笑顔。
赤ん坊だった頃はつい昨日のようだ……。
今夜も三日月。
あの日と同じように。
隣に並ぶ男に笑顔で囁く。
「娘を泣かしたら承知はしないぞ」と。
読んでくださってありがとうございます。