異世界で今や有名になった男1女3のパーティが過去に体験した決意を新たにした話
木漏れ日の差す小川のほとりに、ミクは膝をかかえて座っていた。
その目は何かを捉えることはなく、小鳥のさえずりも川のせせらぎも彼女の耳には届かなかった。
あの日。
レンを殴った日。
私は人を救えたのだろうか。
人を護れたのだろうか。
あの時のレンは文字通りボロボロだった。
衣服は擦り切れ、装備も碌なものではなかった。
きっと食料のために売ってしまったのだろう。
にも関わらず、何日も食べていないように見えた。
恐らく、本当に限界だったのだ。
野盗のような連中に襲われていなかったのは幸運としか言いようがなかった。
もし出会ってしまっていたら、取り返しがつかないことになっていたかもしれない。
けど、それよりも私がショックだったのは、レンの目だった。
レンの目から光が消えていたのだ。
この世界でも、こんな世界でも、生きていきたいという、希望に満ちた光が。
かつて私を救った、あの光が。
ふぅ、という溜息にもならないような声が漏れた。
遠くからガサッという音がした。
程なくして頼りない声がかけられる。
「あの…ミク?」
レンだった。
レンはあの日以来、どこか余所余所しい。
それは私が出す雰囲気のせいなのか。
それとも私に半殺しにされたからか。
…。
「あの時のこと、本当に」
「殺すぞ」
私は膝をかかえたまま低い声で、目だけをレンに向けながら言った。
「ご、ごめん!」
すっかり怯えているレンは、それだけ言うと足早に逃げていった。
ミクはレンが見えなくなるまで、じっと見つめていた。
その視線には怒りの感情は含まれていない。
けれども、レンがそれに気づくことも、また無かった…。
ふぅ。
また、声が漏れる。
こうして一人で居るのは久しぶりかもしれない。
最早、懐かしさすら感じられる。
昔は私にとってはこれが普通だった。
私がまだ、一匹狼とか言われていた頃だ。
その日も私はこうして膝をかかえて座っていた。
通りには人が溢れている。
時折、誰とパーティを組むとか、どのクエストをこなすとか、そういった言葉が聞こえてくる。
私に話しかけてくる人は居なかった。
それにももう慣れてしまったが。
私は一人でも全く困らなかった。
そこらの冒険者よりも強かったし、そもそも私の戦い方はパーティ向きではないのだ。
生きていくこと、食べていくことに不自由はしていなかった。
…そろそろクエストを受けようか。
クエストにはソロ向け、パーティ向けがあるが私には関係なかった。
よほど難しいものでない限り、パーティ向けでもこなすことが出来たからだ。
ふぅ、と息を吐いてから立ち上がろうとした時だった。
「あの」
驚いて見ると、一人の女が立っていた。
「良かったら、パーティを組みませんか?」
周りに居た冒険者たちがざわついた。
パーティって言ったか?初心者?
知らないのか?教えてあげたほうが…。
やめとけって。
女にも当然聞こえているはずだが、女は眉一つ動かさず、少しの笑みを携えながら、じっとこちらの返答を待っていた。
「えっと」
答えに窮してしまった。
「人違いじゃない?」
伏し目がちにそう答えた。
「いえ、あなたと組みたいんです」
女はきっぱりと答える。
「…なんで?」
そう聞くと、女はきょとんとした後、うーんと言いながら考え込んだ。
同情でパーティを組まないかと言ってきた奴も居た。
悪いが断らせてもらっている。
大抵、足手まといにしかならないからだ。
この女もその類だろう。
そう思っていたが、答えは意外なものだった。
「私より、弱そうだから」
女はにっこりと笑いながら答えた。
「…はっ?」
カチンときた。
同時に周りのざわつきも一段と大きくなる。
自分で言うのも何だが、ここらの冒険者で私のことを知らない人はほとんど居ないだろう。
その私よりも強いって?
無礼極まりないその回答に、誰があんたなんかと、と口をついて出そうになったが、すんでのところで堪えた。
逆に興味が湧いたからだ。
ただの間抜けなのか、相当な実力者なのか。
測ってやろうと思った。
「…分かった」
こちらもふんぞり返って言ってやったが、女は嬉しそうに笑った。
「やった!ありがとう」
…なんだか調子が狂う。
この女は何を考えているのだ?
まぁいい、すぐに分かることだ。
話を聞くと、あるクエストを手伝ってほしいという。
場所は雪山。
難易度は少し高め。
ソロなら受けないような内容だった。
けれど私は二つ返事でついて行くことにした。
女が役に立たなければ、適当な理由で解散すればいい。
そんなことを思いながらクエストを進めていった。
そして肝心の女の実力だが…拍子抜けするほどに普通だった。
弱くはないが、強くもない。
堅実だが、ミスもする。
非日常を期待していた私は、なんだか急に熱が冷めてしまい、適当にこなそう、といった投げやりな感情に支配されつつあった。
…そこに、油断があった。
いや、弁解させてほしい。
それだけではなかったのだ。
普段は気に留める必要もないくらいの些事、珍事、不運…。
そんなものが逆に奇跡なくらいにかけ合わさってしまったのだ。
私達はいつの間にか窮地に立たされ、二進も三進も行かなくなってしまっていた。
更に追い打ちをかけたのは天候であった。
数十年に一度のレベルの猛吹雪が突然に発生したのだ。
出発したときは快晴で、予報でもそんなこと言われていなかったのに。
…最早、何かの呪いを疑うくらいの、最悪な状況だった。
そして…いつの間にか女の姿は消えていた。
はぐれてしまったのだ。
気付いてすぐ辺りを探したが、吹きすさぶ雪は私の視界だけに留まらず、気力さえも奪い去っていった。
精も根も尽き果てた私は、身を隠せるくらいの小さな岩陰で膝を抱えて座り込んでしまっていた。
吹雪が去るのを、じっと待つために。
くそっ!
どうしてこんなことに…。
あそこでミスしなければ。
あの時の判断を間違わなければ。
そもそも、あの変な女が私を誘わなければ…!
女の顔を思い出した。
女は状況が悪くなっていっても、笑顔を…というより、明るさを絶やさなかった。
常に前向きで、私を引っ張っていってくれた。
私より強いとか言っていたが、実際のところはよく分からなかった。
それに、もうそんなことはどうでもよかった。
私は天狗になっていたのだ。
誰が言ったかも分からない、一匹狼という言葉に乗せられて、スレていただけ…。
難易度が高めのクエストであることは分かっていたはず。
最初から十分に警戒していれば、こんなことにはならなかった。
…。
いくら後悔しても、吹雪は私を許してはくれなかった。
あの女を恨みもした。
どこかで野垂れ死んでいればいいと。
けれど、今は違った。
どうか、生きていてほしい。
こんな私に声をかけてくれた。
私が本気で取り組んでいないことにも途中で気がついていただろう。
それなのに…。
ふっと一瞬、意識が飛んだ。
途端に強烈な眠気が襲ってくる。
眠い…。
私は…死ぬのか?
そのことを意識した瞬間、
背筋を冷たいものが駆け抜けた気がした。
死ぬ。
このままでは、本当に死ぬ…!
い、嫌だ。
怖い…!
死にたくない…!
死にたくない!!
「誰か!!」
私はガバっと立ち上がり、真っ白な雪に向かって叫んだ。
もう涙も流れない、凍りつきそうな目を見開きながら。
「誰か、助けて!!」
その時だった。
ゴウッという音が遠くから聞こえたように思った。
そして、目の前に現れたのは…見上げるほどの、大きな太陽だった。
ジジジと炸裂するそれは、その熱波で周囲の雪を瞬く間に溶かし、水滴となって降り注いだ。
だが、不思議と私自身にその影響は無く、こんなにも間近に太陽があるのに、私は汗一つかかなかった。
あっけにとられていると、同じく遠くから小さな声が聞こえた。
「見つけたー!」
声がした方を見てみると、こちらを指差す人が見えた。
目を凝らしてみると…さっきの女だった。
私は思考もはっきりしないまま、ふらふらと歩き出した。
女もよたよたとだが、こちらに向かってくる。
二人はお互いにもたれかかるようにして抱き合った。
「良かった!無事だったんだね」
女は笑顔ではあったが、相当に疲弊しているようだった。
「これ…あんたが?」
太陽はまだジリジリと音を立てている。
「えーっと…まぁね」
あんまり見せたくなかったんだけどね、と女は小声で加えた。
何も考えられなかった。
私より強いどころじゃない。
紛れもない極大魔法だった。
私とは格が違ったのだ。
私はそこまでしか意識を保てなかった。
次に目が覚めた時、私は山の麓の宿屋にいた。
ベッドに寝たまま、横目で女の方を伺う。
女は何かの本を読んでいた。
こちらが起きたことに気づくと本を閉じ、
ベッドの端にゆっくりと腰掛けた。
「大丈夫?」
私は体の感覚を確かめた。
「…うん」
「良かった」
「…あの」
私は体を起こして言った。
「助けてくれてありがとうございました。
本当に、ごめんなさい」
あはは、気にしないで、と女は言った。
「あの」
私はどうしても気になっていたことを聞いた。
「どうして私を?」
んー、強そうだったから、かな、と女は言う。
「どうして、あんな誘い方を?」
私は立て続けに聞いた。
女はそれまでよりも長い時間、唸ってから、悪びれずに答えた。
「そう言ったら、来てくれるかなって思って」
「そんな…!」
正直に言ってくれればいいのに、と言いかけた。
だが、どうだろうか。
あの時の私が、素直に返事をしていただろうか。
自分で自信が無かった。
「ごめんね」
私が悩んでいるのを見て取ったのか、
女は両手を合わせて謝った。
「…ふっ」
その悪意の無さに、私は吹き出してしまった。
「ふふふ…!」
「あはは」
私達はしばらくの間、笑いあった。
クエスト中も、そこに至る道中でも、私はくすりとも笑わなかったのに。
いや、私はそれよりももっと前から、笑うことを忘れてしまっていたように思う。
この人は、そんなことさえも思い出させてくれた。
「本当に強いんですね、ルカさん」
落ち着いてから再び、私は話しかけた。
「ルカでいいよ。ミクだってすごい強いよ」
それから少しの間、私達は話し合ったが、ルカは自分のことをあまり話したがらなかったし、私は自分が驕っていたことを謝りたかったから、主に私のことを話すことになった。
ルカは口を挟まず、私の謝罪を聞いてくれた。
でもルカは、私が説明せずとも、すべて分かってくれていたような気がする。
「恩返しをさせてほしいの。私にできることなら、何でもするから!」
ルカは命の恩人だ。
ルカのためにできることを、何でもいいからしたかった。
最初はいいよいいよ、と言っていたルカも、私のしつこさに折れたのか、うーん、と言って考え始めた。
そして程なくして、それじゃあ、と言い、口にした。
「私と一緒に来てくれる?」
「え…?」
ぽかんとしてしまった。
一緒にというのはつまり、パーティを組み、旅をするということだろう。
でも、これほどの強さの人が、私なんかと?
足を引っ張ってしまわないだろうか。
「で、でも…」
「ミクに出来ないこと?」
ルカは私を試すように、いじわるそうに言った。
正直、不安もあった。
この人の助けになれるのだろうか。
しかし、何でもと言った手前、引き下がるわけにはいかなかった。
「分かった。けど!」
勢いに任せてもう一つ付け加えることにした。
それは、さっき試すように言われたことへの反抗心もあったかもしれない。
「パーティ組むだけなら誰でもできるでしょ。
もう少し、なんか条件を加えて!」
我ながら無茶ぶりだったと思う。
ルカも、ええ?と言って困惑していた。
暫くの間、腕を組み、うーんと唸る。
そのうち、ん!と言った。
何かを思いついたようだ。
そして、こちらをちらりと見てから言った。
「じゃあ」
私は次の言葉を待った。
「みんなを護ってくれる?」
「ん」
いつの間にか眠ってしまっていたようだった。
木漏れ日も小川のせせらぎもさっきと変わらず、私を優しく起こしてくれた。
「見つけた」
ルカの声がした。
あの時と同じ、心地良い声。
ルカは私と二人きりだと、少し甘えたようになる。
それを知っているのが私だけというのが、嬉しかった。
私はすっと立ち上がり、思い切り体を伸ばした。
そして、ルカの方を向いた。
「ごめん」
ルカはきょとんとした顔をした。
けど、私の顔を見て、安心したようだった。
「もう大丈夫なの?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
もう、迷いは無かった。
すぅ、と息を吸ってから、思い切り地面を蹴って飛び上がった。
そして、木陰でこちらの様子を伺っているレンに向かって飛びつき、押し倒した。
「わあっ!」
馬乗りになる。
あの時と同じように。
「な、なに…?」
「コソコソ見てんじゃねーよ、ヘンタイ」
「ご、ごめえぇ」
言いながら、レンの両頬を両手で摘み、ぐいーっと引っ張った。
「ゆ、ゆうひて…」
気が済んだので、ぱっと手を離してやる。
そしてガバっと立ち上がり、レンに手を伸ばした。
「行くよ、レン」
レンは私の手を取り、立ち上がった。
「行くって、どこへ?」
私は既に走り出していた。
だから、振り返りながら言った。
「どっか!」
「えぇー…」
二人は小走りで森を駆けていった。
水面に反射した太陽の光が、きらきらと背中を照らしていた。