第一章 1
昼下がりの教室に、授業の終わりを告げるチャイムの無機質な音が響く。椅子に寄りかかり、ため息をついた。
あの出来事から1年近くたったか。
彼とはあれ以来顔を見ることさえなくなった。卒業して離れ離れになったこともあるが、まあ彼のことなんてあれから大して気にかけてはいない。
今日はご飯の後はなんの本を読もうかな。そんなことを考えながら、カバンから弁当の入った包みを取り出す。そんなことをしている間に、横から声がかけられる。
「愛華ー、お昼たべよ!」
一人の女子生徒が駆け寄ってくる。長い手足に整った顔、吸い込まれそうな黒髪を肩にかけている。
彼女は美香。私の数少ない友達と呼べる存在だ。
「この本読み終わってからならいいよ」
「どうせ先に食べてから読むつもりだったんでしょ。ほら行くぞ」
「はーい」
のろのろと立ち上がり、屋上へ向かう彼女についていく。
彼女とは幼稚園の頃からの付き合いで、お昼はたいてい一緒だ。一人で食べるときは私が本に没頭しすぎていた時くらいかな。
私と美香は近所の公立高校へ進学した。
あの時言われたことが悔しくて、誰にも馬鹿にされない私でいたいと思い、努力した。高校デビューだと言って笑っていた人もいたが、美香だけは変わろうとする私を応援してくれていた。
何とか高校デビュー(自覚はある)にも成功して、今は中学のころと比べて充実した日々を送っている。何もかもが新しくて、まるで違う世界に来たみたいだった。生きることが楽しいと思えたのは、いつ以来だろうか。
――いや、病んでるわけではないぞ。決して。
美香と屋上へ続く階段を上っていく。空は絵の具をこぼしたかのようなきれいな青色だった。雲一つなく、太陽の光をいっぱいに浴びることができる。屋上は春の陽気があふれていて、ほんのり暖かい。日向ぼっこに最適。
周りを見渡すと、数人の女子が固まって座っていた。その中の一人が、こちらに気づいて駆け寄ってくる。
「愛華、美香、一緒に食べようよー!」
その声で全員気が付いたらしく、
「おー、こっちおいでよ」
と言ってくれたので混ざることにした。
友達、と呼んでいいのかわからない微妙な関係だが(世間では友達と呼ぶ)、不思議と会話が弾む。ぼーっと眼下に広がる景色を眺めていると、ふいに話を振られる。
「愛華ちゃんは彼氏いたことないの?」
よく聞かれるんだよな。あ、自慢じゃないぞ。でも、聞かれるといやでもあの日のことを思い出してしまう。
…だからこういう系の話題、そんなに好きじゃないんだよな。
「いないよー」
心なしか、答える声が暗くなってしまう。
そのことに気づいているのは、美香くらいだろうけれど。
あの日の出来事から、私は他人(特に男子)を信じることができなくなってしまっていた。いや、信じることをあきらめてしまっていた。
だって信じてしまったら、また同じ目に合うんだもん。
この世界で私が信じてるって胸を張って言えるのは、家族と美香くらい。たかが嘘コクだろって、そう思う人もいるのかもしれない。でもあの出来事は、当時の私に癒えない傷を残すのには十分すぎた。それくらい、私にとっては重い出来事だったんだ。
あの頃は、正直自分の存在意義さえ見失いかけていた。本当に、自分がこれからどんな風に生きて、どんな人と出会って、どんな人と結婚するのか。まず結婚できるのか…。
異性を信じることができなくなってしまった私に、異性を愛することなんてできるのか。
そんなことしか考えることができなかったんだ…。考えたって仕方ないのにね。
「おーい、生きてっかー?」
「ひやぁぁ!?」
耳に変な感触が伝わる。美香が大きすぎる私のリアクションに声を上げて笑う。
「まーた変な考え事してたろ。ここでそんなこと気にしなくていいんだよ。ほら、いこ」
「――やっぱばれてた?」
「愛華はいい意味でも悪い意味でも分かりやすいからね」
「悪い意味って何!?」
美香は小さく笑って教室へ戻る階段へ向かう。気づけば周りにいた人たちは皆もう帰った後のようだった。結構長い時間魂が抜けてたらしい。
「――ありがと」
美香に聞こえないようにつぶやいて、彼女の後を追った。




