CHAPTER.1
人間はこの世界を支配した気でいる。そして、君はその叡智を子供の頃から学んで、たいていのことを知っていると勘違いしている。
だって君は、今から述べること一つだって信じやしないだろう?
地底人は本当に存在するし、宇宙人は地球の文化を堪能しに来ている。魔女や悪魔、妖怪も居るし、魔法少女やエクソシストは日々それらと闘っている。未来人からすれば、現代は定番の観光スポットで、古代のスーパーテクノロジーは本当の過去を隠している。それらから、一般人を切り離す政府機関も存在する。高次元生命体は三次元のこの世界を、エンタメとして傍観していて、異世界転生から帰ってきた者も、異世界と繋がる扉もある。
もしかしたら君は、私をただの厨二病と言うかもしれない。だって今挙げた話はどれもアニメや小説、漫画でよく聞く話だからだ。でも、それは手順が逆だ。上記のものが先にあったから、作品が存在する。つくり手とはこれらに接触された選ばれた存在なのだ。
さて、前置きはこれくらいにしよう。これからは、新しいつくり手が始めてくれる。
「で、どうすんねん?はよ耳揃えて返さんかい!」
威圧感のある怒声が空気を震えさせる。銀縁の細いメガネをかけた男は、ポケットに手を突っ込んで足を鳴らし、仁王立ちをしていた。
「無理なんです!ホンマに、もうちょっと待ってください!」
それとは真逆の情けない声が怒声の持ち主に嘆願する。
「そんなん言うていつまで引き伸ばす気ぃや。」
「いや、これが最後なんです。この通り! お願いします。」
男は一切のプライドを捨てた土下座をして、床に声を反響させた。土下座する男は、何処にでもいる青年だった。見た目も、声も至極普通で、少し都会を歩けば直ぐにでもそっくりな人間を見つけられるだろう、といった風だった。強いて特徴を言うならば、彼の目は鋭く、見つめる者の全てを見透かすようだった。
「チッ…しゃあないな。ほなあと一年待ったろやないか。」
「……」
空気が緩んだ。
「……え、セリフ飛んだんか?」
先程までの張り詰めた空気は一変し、脅していた男は心配そうに声を掛ける。
「いや、あかんやろ。なんで、借金取りが一年も待ってくれんねん。どんだけ優しいねん。」
気弱に見えた青年は立ち上がって、膝に付いた埃を払う。
「そんなん分からんやんか。てか、今言うんやなくて台本読んだ時に言うてや。」
「そんなお前のセリフまでちゃんと読んでないねん。……って、もう8時か。」
外の窓を見れば、既に日は落ちて、スズムシが歌っていた。
「早いなぁ、時間っちゅうのは。」
「老人みたいなこと言ってんと帰んで。」
気弱を演じていた誉は、スっと何も入っていないカバンを拾い上げて、ドアの前でヤンキー役をしていた惣一の支度を待つ。
「ガラララ!」
ドアが勢い良く開く。
「っ!? ……って、先生かいな。」
「今せんせー、口でドアの音言うたやろ。」
誉と惣一はそれぞれ顧問の先生に気軽に絡んだ。
「まぁ、演劇部の顧問やからな、効果音もおちゃのこさいさいや。それよりお前ら帰るんか。」
二人の軽口に乗った先生は、二人を見てそう返した。
「おう、定時やからな。」
「そーそー、残業するほど熱心やないからな。」
「そやろな。てか、定時、残業て……。しっかし、勿体ないわぁ、鷺山も中村も全国レベルに演技上手いのに。」
本当に勿体ないといった様子の先生の横を二人は通り抜けた。
「褒めても何も出ぇへんで。」
「ま、気ぃつけて帰りや。最近、不審者出とるらしいからな。」
夏のクソあっつい中、俺は惣一と二人で帰り道気を歩いとった。
「せんせー、また僕らのこと褒めとったな。」
惣一が暑そうに手をパタパタさせてこっちを見る。
「そらそうやろ。俺やぞ?ま、お前に至っては演技だけやないからなぁ。」
そやねんなぁ、こいつ中村惣一はアタマがずば抜けて良い。それは成績的な意味にとどまらず、発想力や思慮の深さといった面でもや。
「僕は頭だけやん、誉の運動神経の方が羨ましいわ。」
「ま、伊達に50メートル6秒じゃないってワケよ。」
「僕の1.5倍も早いもんなぁ。……じゃ。」
「おう。」
惣一と別れ、一人で夜道を歩く。さっき、先生は俺らに勿体ないと言うたけど、俺はそう思わんかった。自分の演技が上手いとも思わんし、ドラマ観ても自分との差に驚くばかり。それに活躍して有名になりたいとも思わん。惣一と二人の演劇部で、文化祭でアホみたいな演劇をやんのが一番楽しいしな。
「ただいま〜。」
間延びした声で帰りを知らせる。
「おかえり〜、今日唐揚げやで。」
「お、マジか。そんな気しててん。」
キッチンから顔だけ出したおかんに冗談を言って、お茶を飲もうと冷蔵庫に向かう。
「先、手ぇ洗って着替えてき。」
「ん。」
俺は階段を上がり、自分の部屋に入った。
それにしても、なんで惣一は演劇部に入ったんやろうか。アイツこそ、あんな部活に収まる器やあらへんやろうに。制服を脱ぎながら、そんなことを考える。いやでも、そんなん考えてもしゃあないな。今が一番楽しいし。
「……現状維持、現状維持。」
部屋着に着替えた俺が部屋から出ようとドアノブに手をかけた、その時だった。後ろから、誰かの声が聞こえたのは。
「君がどんなに現状維持を望んでも、君の才能がそうはさせてくれない。」
そいつは、窓に腰掛けて月を隠していた。