青春ボクシング
解説役の男子高校生の声が、会場に響く。
それにこたえるように、来場した観客たちは声をあげる。
「両者、コーナーポストからリングに上がりました。 迷いのない入場は私たちに緊張感を与えてくれます」
(もうすぐだ)
健太は青いコーナーポストにいる相手を見据える。
お互いの学校名が書かれた半袖のシャツとひざ丈のボクシングパンツ姿の両選手が、レフェリーのいる中心まで、歩いていく。
ボクシンググローブで見えないが、健太の拳は力いっぱい握られていた。
解説役が、緊張を緩ませない声色で状況を語る。
「レフェリーのルール確認を終え、両選手、自分のコーナーに下がっていきます」
レフェリーが、ケンタとその相手選手にそれぞれ視線を向け、
『カアアアァァァン!!』
試合開始のゴングが鳴り響く。
「ファイト!」
腕を交差させ、試合開始の合図をするレフェリーに続くように、解説の人が声を張り上げる。
「ゴングが鳴り響き、両者フットワークをきかせて、距離を詰める!」
健太は右利きのファイティングポーズを取り、相手とほぼ鏡写しに見えるように構える。
リングの中央でお互いが近づきあった瞬間、相手の左ジャブがケンタに迫る。
(来た!)
健太は思った時にはすぐに対処し始める。
右手のブロッキングで、相手の拳を右腕で受け止める。
「鋭いジャブをブロッキング成功! 続けたジャブを右手でブロッキング!」
健太に放たれた二発のジャブをブロッキングに成功。
「三連続のジャブをスリッピングで避けき」
(あっ、右)
解説の実況中と同時に、次の手を察した健太は、右ストレートで相手の顎を殴りぬいた。
「あっとぉ! 好きを見逃さず右ストレートが顎を射止めたぁ! 思わずよろめく、これは痛い!」
(今だ)
思ったら、健太はすぐに動き出す。
左手で肝臓付近にリバーブロー、右手で左頬をフック、左手でこめかみである右テンプル、重い一発が素早く流れるように打ち込まれた。
「入った! その攻めは電光石火! 倒れたほうは立ち上がれず、レフェリーが両手を振る! 試合終了だ!」
解説の怒鳴り声にも聞こえる声、鳴り響くゴング、観客の喚声。
「よっしゃあ!」
すべてを聞き取った健太は、思わず右手を突き上げ、叫びあげる。
昼休みが始まって、教室で昼食を食べ始めたころだ。
「それでさぁ、龍子。昨日のドラマの人。超かっこよかったよね」
女友達に話題を振られ、
「見た見た。すっごくイケメンだったね」
テレビの話で盛り上がる。
何百回、同じような話題をしたか知らないが、こうして友達と話し続けるのは、気持ち的に悪くない。
「松来さーん」
教室全体に広がる声で、私の苗字が呼ばれた。
友達に「ちょっと待ってて」と言い、私は声のする方を向いた。。
「松来は私だけど、どうしました?」
「うん。2年3組の松来龍子を呼んできてって、冴島先生が職員室に来てって」
冴島菊乃先生。
私のクラスとは別のクラスの担任で、私の従姉。
正直、あの人に関わりたくない。
でも、呼び出されたからには、早く行ったほうがよさそうだよね。
「伝えてくれてありがと」
伝後をくれた女子に一言。
友達にも「呼び出し」と伝えると「いってらっしゃーい」と送り出された。
「失礼します」の一言と共に職員室に入り、目当ての従姉を探す。
「おっ、来た来た。ここだよー」
私よりも釣り目で、背中まであるサラサラのロングヘアをポニーテールにしている。
足も長く、すらっとした印象の体形。
胸は大きく、女性らしさを意識している私なのか、胸が大きいということに対してほんの少し嫉妬してしまう。
世間的に見ても、美人と評されると思う。
「リョウちゃん早いねー」
「学校でそれはやめてください」
「ええー。今が旬のJKなんだから、もっと気楽にすればー」
「あなたは教育者として、ちゃんとしてください」
陽気に語りかける私の従姉。
このおちゃらけているともとれる、軽い感じこそ、私がかかわりたくない理由だ。
楽しみだったショートケーキを食べようとしたとき、既にイチゴ含めた大部分が食べられ、残りのとがった部分しか口にできなかったこと。
こんなのは序の口だが、最後は大抵「ごめんごめん」で済ませてくるので、思い出すのはやめよう。
「普段は、いなくていい時にいることが多いのに、最近はよく私を呼び出しますね」
最近と言うと、冴島先生が顧問をしているボクシング部の手伝いを頼まれたんだっけ。
理由は恐らく、「私とリョウちゃんの仲じゃない」だと思う。
「そんな怖い顔しないでよ。今回も頼みたいことがあるんだよねー」
「また、ボクシングのことですか?」
「そうそう。うちの部のマネージャーやって」
「嫌です」
「おう、即答ですか」
「当然です。まず理由を教えてください」
「先週の土曜日にボクシング部の手伝いを頼んだでしょ」
ボクシング部のマネージャーで友人の藤本茜ちゃん。
昔から体の弱い子だったけど、最近になって体調を崩して、自宅で様子を見ることになった。
そこで冴島先生は、私にマネージャー代理を頼んだのだけど。
「あの一度きりって話だったんですけど」
「そうなんだけど、うちの部も準決勝まで勝ち進めたし、この勢いをなくしたくないんだよね」
今の私はぶっきらぼうな表情をしているのだと思う。
この前は茜ちゃんのため、親切心というもので協力したのであって、今回の場合は私のモチベーションも関係してくる。
正直言って、マネージャーなどと言うものよりも、放課後は友達と過ごしたいし、茜ちゃんにも長く会っていたい。
「うん。 見るからに嫌そうな顔だね。 リョウちゃんに断られるとお手上げ状態なんだよねー」
私は「そうなんですか」とすぐに言い返す。
「もう、夏も明けてて、部活やってない子たちは、マネージャーしてくれるとは思わないし、何よりボクシングの女性人気ってあんまりないからねー」
「そう言われましても」
その時、職員室の入り口から「失礼します」と言い扉を開けるのは男子生徒だった。
矢沢健太。
私と同じクラスの男子で、キョトンとした目つき。
初対面のころから、不愛想と言う事はないけど、目元や口元が緩んだところがみたことない。
温厚そうというか個性がないというか。
とにかく自然体という言葉がしっくりきてしまう不思議な雰囲気を感じさせる。
私が彼のことを知っているのは、ボクシング部の部員であり、部員の中で唯一準決勝まで勝ち進んでいる。
言わば、ボクシング部期待のエースであるからだ。
「おっ、ケンちゃんどうしたの」
冴島先生が声をかけるが、もしかしてこの人は、生徒全員をあだ名で呼んでいるん じゃないだろうか。
「休みだから、藤本さんのお見舞いに行きたいんですけど、自宅しらなくて」
話しながら、冴島先生に近づく健太は、私に視線を向けてくる。
「先生は何話してたんですか? えっと……」
「リョウちゃん」
「りょうこです」
妙なあだ名を浸透させるわけにはいかない。
「リョウちゃんも我がボクシング部のマネージャーに加えようとして」
「それで話し合ってました。あと、りょうこです」
「ケンちゃんは、マネージャーが増えると嬉しい?」
「そうですね。結構助けられたと言いますか、元気貰えてたのは確かですよ。藤本さんだし」
矢沢君、ちゃんと茜ちゃんのこと見てくれてるんだ。
そんなことを考えていると、冴島先生が口を開く。
「じゃあ、二人ともアカネっちのこと好きだし、お見舞いついでに聞いてきたら、マネージャーのこと」
「えっ、いいですけど。りょうこさんはどうするの?」
「私もいいけど、あんまり期待しないでね」
「ということで、二人ともよろしくー」
冴島先生に言われた通り、俺は龍子さんと一緒に藤本さんを家にお見舞いに来た。
藤本さんのお母さんが、快く藤本さんの部屋に案内してくれた。
「矢沢くんに龍子ちゃん。 来てくれてありがとう」
藤本さんが一つに束ねる長髪を左肩から垂らしている姿に少しだけドキッとする。
ベッドから上半身を起こして、藤本さんは笑顔を向けてくれる。
以前に一度だけ見たことがある、無理した笑顔を知っているから、今の笑顔が本物なのを感じることができて、内心ホッとする。
「元気そうで良かったよ。早く学校に登校できるといいね」
龍子さんが藤本さんと会話を始める。
藤本さんに学校で何があったか話している。
龍子と楽しげに話す藤本さんの様子は友達同士特有の印象を感じさせる。
「それにしても、矢沢くんがお見舞いに来てくれたのは、少しびっくりしてる」
突然俺に話題をふられたから「えっ」と声を出してしまう。
「俺は先生に言われて、龍子さんと一緒に来たんだけど」
「りょ……龍子……さん……」
俺からも話を振ったのだが、藤本さんは固まってしまった。
「どうしたの? 藤本さん」
「な……名前呼び……」
急に独り言を言いだして、どうしたんだろうか。
考える人みたいに顎に手を当てた龍子さんが、「はは〜ん」と口に出す。
「あかねちゃん。気にしなくていいよ。多分だけど、私の名字知らないだけなんだろうし、ねっ、そうでしょ」
「えっ、はい」
龍子さんの言葉を聞き、「そっか、そうなんだ」と言って、ほっとため息をついた。
藤本さんの様子を見て、龍子さんが話を続ける。
「それに、矢沢君が茜ちゃんのお見舞い来たがってたし、ねっ」
「そうですね。こうして、藤本さんの顔を見れて嬉しいです」
俺の言葉を聞いて、顔が赤くなる藤本さん。
「大丈夫? 熱がでましたか?」
「だっ、大丈夫! これは、関係ないから!」
俺は「はぁ……」としか返せなかったが、龍子さんは俺と藤本さんの顔を見比べてニヤニヤしている。
藤本さんは赤くなっていた顔から「ハッ」と目を見開いた。
「龍子ちゃんがこの前、私の代理してくれたんだよね。ありがとう」
「ああ、そのことなんだけど、これからもマネージャーしようと思うから」
龍子さんの言葉に「いいの!?」と返す藤本さん。
「なんか、茜ちゃん見てたら、手助けしたくなっちゃった。矢沢君も茜ちゃんのために勝ち進まないとね」
「そうですね。俺は行けるとこまで行ってみますので、藤本さんも早く体を良くして、俺の試合。見に来てください」
聞き終えた藤本さんは、ベッドの上で正座を始める。
「えっと、それじゃ、改めて」
藤本さんは頭を下げた。
「ボクシング部のことよろしくお願いします」
顔を上げた藤本さんと龍子さんの顔を見あった俺は頬が緩んでしまう。
二人もつられたのか、笑顔を浮かべていた。
ボクシング部のマネージャー生活が始まり、何となく矢沢君を観察してしまう。
授業が終わり、黒板を消そうとするとき。
「今から黒板消すけど、いいか?」
「待て矢沢! 今めっちゃ写してるから」
男子集団が必死になって、ノートに書きこんでいる。
矢沢君は、男子集団の最後の一人がノートに写すまで、目の色を変えずに待っていた。
休み時間は、カバーでタイトルは見えないが読書をしていた。
目元も頬も、ピクリとも動かずにページをめくり続ける。
「矢沢」と男子の一人がノートの山を持って声をかける。
「先生に届けるように言われてるんだ。 手伝ってくれない」
矢沢君は本を閉じ、一言。
「いいよ」と言って、ノートの山の半分を両手で持ち、届けに教室を出た。
今まで矢沢君を見てきて分かったことがある。
矢沢君が笑った顔や落ち込んだ顔をほとんど見たことがない。
って言うか、目元や頬が動いたところすら見たことがない。
それくらい無表情なんだ。
クラスにゴキブリがでたとき。
男子も女子も先生も。
「黒いのがでた!?」
と驚いてたけど、矢沢君はゆっくりと窓を開け、ゴキブリを両手で包んで外に追い返した。
男子集団が、何故か持っていたゴムボールでキャッチボールをしているとき。
矢沢君の席が丁度真ん中にあり、読書を続けていた時に、事故と言うべきか案の定と言うべきか。
後頭部にボールが当たって、男子が誤っていたのに対して、無表情で許していた。
掃除の時も大量の汚れきった水の入ったバケツ。
男子と女子の分も進んで水を替えに行っていた。
もちろん、無表情で。
頼りがいのあることから、男子にも女子にも先生にも好かれている。
矢沢君はそれらに顔色変えずに対応している。
そうこうしているうちに、昼休みにはいった。
「ずっとの矢沢君のほう見て。 好きなの?」
友達が私を見てそう言ってくるが。
「恋とかそういうのじゃないよ」
だって、矢沢君を見てもドキドキしないんだから。
「じゃあ、何で見てるのー」
ニヤニヤして、友達は訪ねてくる。
私と恋バナしたいんだろうけど、生憎だったね。
「矢沢君って、表情ずっと変えないから、変わるところを見てみたいなって思って」
「ふーん」と言って、友達は矢沢君のほうに歩いていく。
会話をしていて気にしていなかったが、クラスは友達同士で話す人が多くて、矢沢君が何を話しているのか聞こえない。
友達が矢沢君に何か話し始めた。
矢沢君は読書をやめ、話を聞き終わると本を置いて椅子から立ち上がり、何か言い会釈した。
友達は慌てて、矢沢君の何かを言い、私の所に帰ってきた。
「矢沢君に何言ったの」
「いや、その、学生らしくお付き合いしてみないって聞いたら、すごく真剣にお断りされました」
「何やっての……」
「誠実なお断りだったから、罪悪感がすごい……」
お付き合いを断った矢沢君は、すぐに読書を始めていた。
告白に近いことをされても、顔色を変えている様子はなかった。
矢沢君のことを知ろうとした結果、よくわからないと言う事がわかる1日だった。
ボクシング部のマネージャー生活の初日は、日直の仕事で遅れてしまった。
「大丈夫大丈夫。 頼みたいことには間に合ったんだから」
二年の先輩男子が、優しくそう言ってくれた。
私の仕事は渡されたビデオカメラで、矢沢君のスパーリングを撮ってほしいと言う事だった。
試合の一つ一つを大事にする方針で、5年くらい前に部費で買ったのを使い続けているらしい。
茜ちゃんがボクシング部に入ってからは、マネージャーの仕事に落ち着いたと聞いたので、私にその役目が回ってきた。
紺色の体操ズボンにTシャツを着た矢沢君とその相手が、リングに上がっていた。
お互いにヘッドギアとグローブを身に着け、矢沢君はシャドーボクシングをして調子を確かめている。
矢沢君の相手は青ざめた顔で震えている。
さっき会った先輩とは違う先輩が矢沢君の相手に話しかける。
「どうした1年。 同い年なんだからビビることねえって」
「そうは言ってもですね……。あいつの試合見ましたよね……。すげー怖いですよ」
「はははっ。矢沢も準備はいいか?」
先輩が矢沢君に声をかけると、矢沢君の目つきが鋭くなり、相手の1年に視線を向ける。
教室にいたときにはしたことのない目つきに、私はちょっと驚いてしまう。
「はい。同い学年のよしみで、手加減なんてしませんから」
その言葉を聞いた相手の1年は「ひぃっ!?」と小さい悲鳴を上げた。
私はすぐにビデオカメラの電源を入れて、録画モードに設定し、リングを写す。
私が準備できたのを見たカメラを渡した2年の先輩がゴングを鳴らす。
構えて近づく二人。
相手の1年は、左ジャブから右ストレート、直線的なパンチを何度も打ち始めるが、矢沢君はブロッキングやスリッピングで避け続ける。
パンチを避け続ける華麗さに私は思わず見とれていた。
「ハァ……ハァ」
相手の1年が肩で息をし始めた。
そのとき、矢沢君から攻撃を始めた。
相手の1年は両手を上げて、矢沢君のパンチを防いでいる。
矢沢君の攻撃の手が緩まることはないため、相手の1年は、手を出せずにいた。
相手の1年がパンチを防いでいる中、少しずつ、腹部にパンチを受けだした。
「うっ……」と目に見えて苦しんだ瞬間、相手の1年の顔に矢沢君の右ストレートが直撃した。
矢沢君は手を止め、バックステップで距離をとった。
相手の1年は、足を震わせて、両膝をついた。
矢沢君は気を付けの姿勢になり、「ありがとうございました」と頭を下げる。
先輩の一人が、相手の1年を手助けしてリングから降ろす。
入れ替わるようにビデオカメラを渡してきた先輩が、ヘッドギアをつけてグローブに手を入れる。
「そんじゃ、次は俺の番だ。先輩だからって遠慮はいらないぞ」
「はい。先輩の胸をお借りします」
私はリングへ向けてカメラを回し続ける。
試合は一瞬だった。
先輩が打ちだすパンチに合わせて、矢沢君がそれよりも早く打ちこんでいた。
瞬殺と言っても差し支えない試合だった。
リング上で大の字になって倒れている先輩に矢沢君は「ありがとうございました」と礼をした。
グローブとヘッドギアを外し、リングから降りてきた矢沢君は大きく息を吐いた。
「撮ってくれてありがとうございました。後で見させていただきます」
矢沢君が頭を下げてくるが、私はまだ驚いて固まってしまっている。
「どうしましたか?」
「いや別に」
道具をなおしに歩いていく矢沢君。
本人は気づいてないのだろうか。
顔も声色も、本当に楽しそうな感じがした。
矢沢君がボクシングを楽しんでいることが当たり前に思えてきたころ。
あっという間に試合へと時間が進んでいった。
冴島先生と龍子さんが、セコンドについている。
「ついに準決勝に入りました! 今回も私、小林が実況兼解説役をさせていただきます!」
前回も解説をしていた男子高校生の声が、会場にこだまする。
俺は自陣の青いコーナーポストから、会場の観客を見回してみる。
準決勝と言うだけあって、会場にはかなりの人が入っていると思う。
「緊張してるの?」
龍子さんにそんなことを言われたけど、
「いや全然。むしろ、早く試合したいって感じ」
言葉を返すと龍子さんは「だと思った」と言ってくる。
俺は思わず、「えっ?」と返してしまった。
「スパーリングの時もそうだけど、試合のことになると矢沢君はよく笑ってるよ」
そうなんだ、知らなかった。
俺は対戦相手と共にレフェリーに呼ばれ、リングの中央に歩いていく。
丸坊主で鋭い目つきで睨んでくる対戦相手。
名前はー、忘れた。
と言うか、誰かに聞いた覚えがない。
「太田選手の視線に対して、笑っている矢沢選手。今回はどのような試合が展開されるのでしょうか!」
解説の人の声を聞きながら、自分のコーナーポストにたどり着くと龍子さんが聞いてきた。
「作戦は」
俺は一回戦から続けている戦法を伝える。
「とりあえず、中央で殴り合って様子を見る。隙が出来たら、何発か打ってみるよ」
聞き終えると龍子さんはリングから降りていった。
俺と相手選手を見るレフェリー。
『カアアアァァァン!!』
待ちに待っていたゴングが鳴った瞬間、相手は一直線に走ってきた。
「突き進む太田選手に対し、円を描くステップでリング中央へ足を運ぶ矢沢選手!」
追ってきた相手の両腕による、パンチの連打が始まる。
俺は相手の右のパンチに対して、左にスリッピング。
左のパンチに対して、右にスリッピングで避け続ける。
「綺麗に回避する矢沢選手! が、腹部に右アッパーが当たりました!」
頭を狙う連続攻撃で、下への注意が怠っていたため、腹部に綺麗な一発を食らってしまった。
「矢沢選手がロープに追い込まれる! 太田選手の猛攻だ!」
俺はロープに背中をつけながら、相手のパンチをブロッキングする。
右と左のストレートは、両腕で防ぎ続けているが、腹部に入る一発一発の対処が出来ない。
相手はボディ打ちが得意なんだと、受け続ける腹部から理解できる。
俺はすでに作戦を考えた。
このラウンドは手を出さない。
残り時間、パンチを受け続ける。
「今、ゴングが鳴り、1ラウンドが終了いたしました」
1ランドが終わり、相手も俺も自分のコーナーに歩いていく。
冴島先生が椅子を出してくれたから、ゆっくり腰を下ろすと、龍子さんが汗を拭いてくれる。
汗を拭き終えた龍子さんは、ストローからペットボトル内の水を差しだしてくれる。
俺は水を口に含んでゆすぐ、冴島先生が準備していたロートに水を吐き出した。
俺が小さく息を整えていると龍子さんが、
「さっきは打たれっぱなしだったけど、大丈夫?」
「打たれてたんじゃなくて、打たせてたの。まあ、見ててよ」
答えた俺の顔を龍子さんはじっと見てくる。
「何? 鼻血でも出てる?」
「いや、こんな時でも笑ってるんだなーって」
少しあっけにとられてしまう。
俺って今、笑ってるんだ。
『セコンドアウト』
マイクを通して聞こえてきた言葉に俺は立ち上がる。
「それじゃ、行ってらっしゃい」
リングから降りる龍子さんに「押忍」と小さく答えてみる。
案の定、相手は1ラウンド同様、突っ込んできた。
俺は円を描くステップでリング中央へ移動する。
追いかけてくる相手の両手による連打が始まる。
左右のスリッピングで避け続ける俺。
「これは、1ラウンドと同じ流れか?」
解説の小林は疑問をうかべる。
避け続ける中、俺の背にロープが近くなった時、相手の右腕が大きく引かれる。
待ってた!
俺はすぐに右足を下げ、腰を落とし、両腕を交差させる。
相手の右アッパーは俺のクロスアームブロックに受け止められる。
俺は次の狙いに視線を向ける。
狙うは呆気にとられる相手の顔。
右アッパーを打ったあとのため、相手の右腕が下がってブロックが遅れるはず。
相手が動き出す前に俺は左フックで相手の右テンプルを打ちぬいた。
ぐらついた相手に今度は右フックを打ち込む。
相手の左テンプルに入り、素早く右腕を戻した俺は右ストレートを放つ。
相手は両腕を顔の前に移動させ、俺の右ストレート止めた。
ので、俺は左足を踏み込んで左アッパーを相手の腹部に一撃。
相手のガードが緩んだので、素早く右と左のフックで、相手の両テンプルを打ちぬいた。
「今、レフェリーが割って入り! 両手を振る! 試合終了!」
解説の声、鳴るゴング、観客の聞き取れない叫び。
喜び合う冴島先生と龍子さんに向け、俺は実感した。
「よっしゃあ!」
俺は両手を上げ、誰にも負けないほど叫びあげた。
俺と龍子さんは試合経過を藤本さんに伝えに行った。
前回とは違い、俺と龍子さんと藤本さんは、藤本さんのカーペットの上に腰を下ろしている。
龍子さんの言葉に藤本さんは柔らかい笑顔を見せてくれる。
「というわけで、無事決勝まで進出してくれました」
「おめでとう! 龍子ちゃんに矢沢くん!」
試合でも感じたことない鼓動に変な笑みを浮かべそうになるが、無表情でこらえ続ける。
「体調も安定してきたから、明日にはボクシング部に参加できると思う」
「本当ですか。良かったです」
俺の返しに微笑んでくれる藤本さん。
俺も少しだけ、頬を緩めてしまう。
龍子はそんな二人をニヤニヤと見つめていた。
「ねぇ、茜ちゃん」
龍子さんの問いかけに「何? 龍子ちゃん?」と答える藤本さん。
「これからもボクシング部のマネージャー。続けてみてもいいかな」
「本当。龍子ちゃんと一緒に部活できてうれしいよ」
藤本さんが喜んでいるなら、俺が拒む理由はないな。
「きっと面白くなるよ」
何故だろう。
龍子さんの向けてくる笑みに邪悪さを感じる。
茜に顔を近づけて、小声で語りかける龍子。
「茜ちゃんって、矢沢君のこと好きだよね」
茜の首から耳、額まで真っ赤に染まる。
「いっ!? いつから!?」
「矢沢君とお見舞いに来たときにね。その様子だと当たりかな」
茜は龍子に耳打ちする。
「矢沢くんには、絶対に言わないでください……!」
「分かってるって、矢沢君もこの3人で頑張っていこう!」
会話を振ってきた龍子さんと藤本さんに向けて俺は答える。
「任せてください。決勝戦は俺たち三人で勝ち取りましょう」
俺の言葉に龍子さんが「エイエイ」と口にした。
俺と藤本さんと龍子さんは、一斉に右手を上げる。
「「「オー!」」」