ハロウィンの当日
思い返す。
確かに今日はラジオの収録じゃなくてただのイベント。だから友だちを連れてきても構わない、というか賑やかしとして歓迎されるのだけど、大岳と二人で行くと色々からかわれそうな気がするな。まあいいか。
「じゃあそこに座って」
「俺はお前の服は着ないぞ」
「わかってる。入んないだろうし白衣のままでいい。そうだなぁ。ジキル博士とハイド氏みたいなかんじ?」
「それは仮装なのか?」
奏汰さんはバッグからオペラ座の怪人のマスクを半分に割ったようなのとか歯車とかレンズ的なものとかを取り出し、シリコンカバーのようなものを大岳の顔の左半分に被せ始めた。
「ちょっとまて奏汰。これは計画的だろ」
「そうだよ? でも動機なんてどうでもいいよね、大岳は了承したんだから」
「聞いてないぞ」
「言ってないもの。それに皮膚に悪影響は残らない。そうであれば問題ない、だろ?」
「面倒な」
「半分しかいじらないから論文読んでていいよ。夜道ちゃんとってあげて」
「はーい」
結局完成したのは1時間後。それはもう大岳はマッドな感じにゴテゴテしていた。なんだか改造シルクハットみたいなものにたくさんの工具みたいなのが組み合わさっていて、それから顔の左半分を覆うマスクにチューブがたくさんつながっている。なんだかここだけSFだ。変なの。
確かにこれだと普段の白衣がとてもマッドな感じで、その上に奏汰さんにしては小さめの黒いゴテゴテしたコートを肩に羽織らせた。
その準備の良さは本当にここまで計画だったんだなと思わせるには十分だ。
そして私たちは会場に向かう。
過去の私の生活を考えると、一番の苦行は神津スカイタワーに向かう途中の往来ではないかと思う。きっと生きていれば身悶えして恥ずかしがっていたはず。
大岳の研究室のあるあたりはいわゆるオフィス街。夕方前、日が僅かにオレンジ色に傾く頃合いのスーツ姿が行き交う中でマッドサイエンティストと黒いゴスロリ。通る人にはほぼ必ず振り返られた。
けれども情動というものをおおよそなくしてしまった私とそもそも外聞など気にしない大岳なのだから、それは清々しいほどに恥もてらいもない道中で、スカイタワー2階展望デッキに着いたときには知り合いたちに目を丸くされた。
「よくその格好でここまで来たねぇ」
「知り合いに上手な人がいまして」
「ねぇ、その人は彼氏?」
「いえ、従兄弟です。一緒についてきてもらいました」
「そういえば雰囲気が少し似てるかな。かっこいい」
「どうも」
大岳は軽く会釈をして重い帽子にふらついた。
パレードが始まるのは日が暮れてから。もともとこのイベントは神津スカイタワーが主催でFM神津が協賛しているハロウィン企画だ。だから私はスタジオブースに行ってグッズを売ったりスタジオで簡単な番宣をする仕事がある。
その間、大岳はカフェテラスのオープンデッキでケーキを二つ注文して、持ってきた本や資料を読んでいた。確かに本を読むなら大岳は場所や格好なんて気にはしないのだろうけれど、マッド感が半端なく、混んだテラスなのにその一角はポッカリ席が空いていた。
「彼氏さんすごい存在感」
「だから彼氏じゃないですってば」
「またまたー」
「だってあそこ座ってから一回もこっち見てないでしょう? 仕事が恋人みたいな人なんです」
「うーんMAD……」
「否定はできません……」
五時半を回り空が深い藍色に染まった頃合いで機械仕掛けの大時計が鳴り、ハロウィン風に装飾された街灯が一斉に灯る。そこには大勢のハロウィン仮装をした人々がたむろっていた。
この人波だと流石に私たちの仮装も埋もれるのではないかと思ったけど、私たちは群を抜いていたようだ。今は詳しくは語るまい。
開会が宣言されてパレードが始まれば、あとは流れに乗ってタワーを一周するだけだ。ゴール地点でトリックオアトリートと叫べば小さなお菓子が振る舞われる。
参加のネームタグを受け取って大岳を促す。大岳は本や書類をカバンにしまい、自然に手が握られる。迷子になったりしないのに。けれども私が一度死んでから、大岳は私が再び失われることを心配している。確かにこのオレンジ色と黒の黄昏時にぴったりな不思議な亡者の波はどこかの彼岸にでもつながりそうだ、と想起された私の記憶は告げた。
淡々と賑やかな葬列の流れに乗ってタワーを一周するのに20分はかからなかった。その間、私と大岳は何も喋らず手を繋いで、ただ前だけを見つめていた。たくさんの音楽とカラフルな衣装の群れ。この世のものとは思えない幻想的な光景。けれどもその華やかさは私たちにあまり影響しない。隣を歩く大岳の表情はつばの広いシルクハットの影に深く隠れてよく見えなかったけれど、きっと大岳にとっては普通に散歩するのと同じ意味しかないのだろう。いや、大岳は散歩なんかしたりしないからそれはそれで珍しいのかな。珍妙珍妙。
やがて全ては終幕し、ゴール地点の魔女の格好をした女の子から順番にお菓子を受け取る時。
「トリックオアトリート!」
その声と共にいたずらのように強い風が吹いた。そしてその風は私の首元のスカーフを吹き飛ばしてしまった。その瞬間、魔女の子や周囲の視線は私のほっぺたにできた精巧だけれどもどこか現実離れした偽の傷ではなく首筋に集まった。やはり実際の傷の方こそが生々しくて異常なのだ。
どうしよう。どう考えてもこの赤黒く首を抉る深い索状痕と鮮やかな吉川線というものは言い逃れのしようがない死の香りを漂わせる。もうこの生者としてのかりそめの人生は終わってしまうのかな。
そう思った時、大岳がふわりと私の首に再びスカーフを巻いた。それと共にゴテリと重いシルクハットがベリベリと音を立てて、大岳の顔にくっついたマスクとシリコンスキンを剥ぎながら落下した。無理にスカーフをキャッチしたからバランスを崩したのだろう。そして接着剤やらなにやらでくっついていたところが無理やり剥がれたのだろう。顔の左半分が赤くなって髪が少しぼさぼさになっている。
「夜道、特殊メイクが間に合わなかったところはちゃんと隠しておかないと」
「大岳?」
「本当。すごいメイクですね」
「そうだろう。友人が得意なんだ。俺のは取れてしまったけれど」
女の子からほう、とため息が漏れる。
大岳が地面からシルクハットと剥がれたパーツを拾い上げて埃を払うと、魔女の女の子は勿体なさそうに見ていた。
「行こう。夜道」
いたずらに加えてお菓子も受け取って流れから離脱する。ベンチで再度スカーフを巻き直してもらう。
「これで大丈夫だろう」
「ありがとう大岳。顔赤いけど大丈夫?」
「問題ない。帰ろう」
そう言って大岳は立ち上がり、私に手を差し伸べた。手を取った正面には、狼男が住んででもいそうな月が煌々ときらめいていた。
後日談。
奏汰さんがザッハトルテを持参して研究室を訪れた時、バラバラになったシルクハットを見て小さな悲鳴をあげた。ライブでたまに小物に使っていたらしい。大岳は大事なものなら使う方が悪いとバッサリだ。ザッハトルテを食べながら。
大岳にとってハロウィンの外出なんて特別な意味はないのだろう。いつもと少し違う格好をして、たまたま外で仕事をした日。
けれどもハロウィン写真展の企画で大賞をとった写真。それは誰かが撮影した私と大岳の写真で神津スカイタワーで展示されて注目を集めていることなんて、研究室にこもりきりの大岳にとっては知る由もないことだ。
まあ知っても、そうか、というだけだろうけど。
了




