ハロウィンの準備
赤司れこ@obsevare0430
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ベクセンハウザーっていうのは公園通り商店街にあるケーキ屋さん。結構近くだけど、大岳は引きこもりというのをしているから、自分で買いに行ったりはしないの。
「うん、これでできたかな。夜道ちゃん的にはどう?」
「うわぁ。本当にすごいですね」
目の前の鏡に映るのは生々しい傷跡。右目の下から唇の近くまで一本の大きな傷が走っていて、傷に沿って血が飛び散っている。なんだか、ガチすぎて困惑困惑。
今日はハロウィンだ。
私がパーソナリティーを務めるFM神津の放送局前展望デッキではハロウィンパレードが行われる。だから局にハロウィンの仮装をしてこいといわれたのだけれど、どうしたものか途方に暮れていた。途方に暮れていたというのも少し違うのかな。なんだかワクワクもしないから積極的にはならないのだ。
なぜなら私はこの間の夏にそれはもう酷い方法で死んでしまって、今の私はそもそもゾンビなので。けれども心臓はちゃんと動いてるからゾンビではないのかな?
謎謎。
だからそもそもハロウィンを地でいける。なのに仮装するという不条理?
まぁ私が死んだとわかる痕跡といっても、首筋に巻いたスカーフに隠れた生々しい索状痕と吉川線だけなのだけど。
あれ?
それでもいけそうだな。けれどもこれを晒すのは躊躇われる。だってこれは本当に私が死んだときの傷。だから私の死の香りが生々しすぎるのだ。
けれどもワクワクしない理由はそれとは違って。
私は死んでしまって以降、何かにワクワクするというか喜怒哀楽を失ってしまったから。けれども何とか暮らしていけてるのは私が昔の私を覚えていて、それに沿った生活しているから。だから私は笑ったり泣いたりするけれど、それに心は伴っていない。そしてそれが私の心に何かをもたらしたりもしないのだ。
それはそれとして仮装はしなければならない。いい案がないかとバラエティショップに立ち寄ってはみたものの、なんとなくどれもこれもデザインが似通っている。魔女といえば黒の長いとんがり帽子と同じく黒の裾がギザギザのワンピースばかり。被るのも何ていうか、ちょっと微妙な感じ。
それで幼馴染の奏汰さんに相談した。奏汰さんはビジュアル系バンドをやっているからゴシックな服や装飾をたくさん持っている。奏汰さんと私は30センチくらい身長が違うけれども、違いすぎるからこそ逆になんとかなる、気はする。きっとぶかぶかの服を来た可愛い感じで?
それで持ってきてもらった服はとてもかわいかった。黒を主体にしたフリル大量のブラウスシャツにたくさんのチェーンがついた膨らんだ感じの7分丈のパンツ。私が着ると足首丈になるけれどもまあ大丈夫だろう。細身のベルトで縛って誤魔化す。癪なことにウエストサイズはさほど変わらないのだ。それから小さなシルクハットを頭に乗せて完成、と思ったのだけど。
「ありがとうございます」
「メイクもしようか」
「メイクですか?」
「夜道ちゃんいつもナチュラルメイクじゃん。せっかくだし特別な感じにしようよ」
そう言って奏汰さんはメイクセットを取り出した。私がいつも使うピンクやオレンジじゃなくて黒や青、それからラメだらけのメイクセット。これはこれで新しくていいのかも。
そう思ってパタパタパフを振られたりつけまつげを盛られたりしているうちに何かを筆で塗るようなよくわからない作業が始まって、グリースペイントで書いた血の跡の周辺にシリコンパテで盛り上がりを作り、合間に色を付けたゼラチンを塗り込める。そして別口で作った縫い跡を奏汰さんはピンセットで器用にその盛り上がった皮膚の辺りにくっつけて完了。
はいこれと鏡を手渡されたら立派な傷跡。唇が黒いのも斬新だな。
特殊メイクをお願いしたつもりではなかったのだけど。奏汰さんは特殊メイクが得意というわけではなく、単に手先がものすごく器用なのだ。
でもその傷口はあまりにリアルで本当に痛そう。流石にこれはやりすぎなのでは。奏汰さんは本業がお医者さんだからこういう傷口は見慣れていてなんとも思わない、のかな。あまりにあまりで周りにドン引かれないかどうか少し心配になってきた。
見かねた大岳が口を出した。大岳は私のいとこで奏汰さんとも幼馴染。
「TPOを考えろ」
「いやハロウィンにTPOって」
「リアルすぎるだろ」
「そうかなぁ」
「ええと、蝙蝠とかそういう明らかに仮装ってわかるものも書いてもらえませんか」
「うーんそれは俺の美学に反する」
美学ときたか。
はぁ、とわざとらしく大岳がため息を付いた。大岳は紙束を机に置いてこちらにやって来る。ここは大岳の研究室で、大岳はさっきから机に向かって何やらのレポートを読んでいた。なんだか邪魔して申し訳ない。
大岳の研究室は私にとっても奏汰さんにとっても丁度いい場所にあってもよく遊びに来るんだ。それで今日も待ち合わせ場所に使わせてもらった。
「お前が嫌なら俺が書く」
「いや、大岳が書くなら私が自分で書くから」
「ちょっと待って、せっかくかっこよくしたのに。ええとそれじゃあ大岳も同じようなメイクして一緒に行けばいいじゃん。そうすると夜道ちゃんだけ目立たなくて済むでしょ? 人が増える分にはいいんだよね」
「断る」
「今度ベクセンハウザーのザッハトルテ買ってくるからさ」
「……6個だ」
「OKOK」
大岳はだいたい研究室に引きこもっている。そして蟻地獄のように誰かが甘味を持ち込むのを待ち構えている。大岳は甘いものにとても弱い。特に重厚なチョコレート菓子には。
奏汰さんは私がかつて大岳を好きだったことを知っている。そして死んでしまってその気持ちも一緒に死んでしまったことと、私が昔の暮らしを再現しながら暮らしていることも。だから奏汰さんは私が生きていた時と同じように振る舞っている。
このよくわからない気遣いは昔から継続されている一環だ。事あるごとに私と大岳が一緒に出かける機会を作ろうとする。そして私は昔から大岳が振り向いてはくれないことを知っていた。奏汰さんも。だからこの行為自体が結局過去を懐かしんでいる行為と同義。
私の中の何かの喪失。
それは私にとってですら、もはや感じられないものだけど。




