Epi.不穏で平穏な日常
内倉が駅の近くで待っている間、電話は2回鳴った。いずれもケイヤからで、時間がまだかかるから人通りの多い場所で待機してい欲しいという連絡だった。ひょっとしたら夜を跨ぐかもしれない。その場合は駅前交番の前にいろ。
神津は大きな駅だ。終電が終わっても人通りが絶えない。けれども減るには減る。だからやはり警察の前が安全だろう。そんなことを考えて、内倉は駅前交番から3メートルくらい離れた木陰でもう何時間もぼんやりしている。騒げば警察にすぐにわかる場所だ。
結局のところ、内倉がケイヤに合流できたのは午前4時過ぎだった。誰もついてきていないことを確認して電車で辻切に向かう。
「大丈夫です。今はつけられていません。さっきまでいた臭いはしますが俺が駅前についた時はいませんでした」
「やっぱいたのか」
「解決したので大丈夫です」
「解決したの? どうなったの?」
「内倉さんは知らないほうがいいでしょう。仕事も依頼者に会うのも1ヶ月は控えて下さい。最後に俺が確認します」
「確認?」
「1ヶ月後にあの外国人の臭いがしなければ大丈夫でしょう。恐らく大丈夫ですが、つまらないところで足をすくわれても仕方がないでしょう?」
「まぁ、ね。依頼者に茉莉花の店の名前流すのもやめといたほうがいい?」
「足跡をつけないならそのくらいならいいでしょう。履歴が残る形での金銭の授受もやめてください」
「それは大丈夫。生か物でしか受け取らないから。それよりケイヤは大丈夫なの?」
「私は大丈夫です。ああ、それから西野木と連絡をとるのも確認が取れるまで控えて下さい」
「なんで西野木?」
「邪推されても面倒でしょう。西野木以外の交流は問題ないでしょう」
「あの、西野木からケイヤの話を聞いたことがないんだけど、どういう繋がり?」
「ああ。西野木はケイヤという名前は知りません。西野木が知ってる名前は須賀井公晴です」
「その名前も聞いたことがないんだけど」
内倉の頭の中には西野木もスパイなのだろうかという疑問が沸き、あんなズボラなのにまさかという煩悶が生じた。そしてどの範囲まで交流関係を掴まれているのだろうと不安になり、敵に回してはいけないと心に誓った。
それで内倉がホテルを転々としながらようやく一ヶ月が経過し店に出た時。
「うっちー入院してたの? もう大丈夫?」
「大丈夫。ユカちゃんごめんね、スマホも壊れてて連絡とれなくて。SIM再発行されたのが今日でさ、やっと連絡できたの。会えて超嬉しい」
「もう、ちゃんと気をつけなきゃだめよ。これ、退院祝い」
「わぁ! クルネラ! ユカちゃん大好き」
内倉は心のなかで小躍りした。
ユカが持参したシンプルなクルネラのネックレスは店買いで300万だ。
「ユカちゃんのプレゼントだから絶対似合う。ありがとう」
「あの女の情報も助かったわ」
「息子さん大丈夫?」
「平気平気。あの女捕まったわ」
「捕まった? 何で?」
内倉は頭の中でクルネラの売価の勘定をしながら、始末されたんじゃないかと疑問に思う。
「うっちーが入院してからつきまといが激しくなっちゃってね、警察に相談したの。その時うっちーが職場を見つけててくれて本当助かったわ。相手と居所がわからないと警察もなかなか動いてくれないもの。決定的なのは変なチョコ贈ってきて無理やり息子に食べさせようとしたのよ。それって傷害未遂になるのね? そんな気持ち悪いの食べるわけないのに」
「うええ、気持ち悪いねぇ」
「そうなのよ、息子も本当は嫌がってたみたいでね」
内倉の頭の中のユカの息子とユカの話す息子が噛み合わない。茉莉花の行動も予想以上に頭が悪すぎると感じる。あの外国人たちと全く繋がらないどうでもいい日常。
息子も何故嫌なのに同伴するのかわからない。
けれどもともあれ、内倉にとってはすべて終わったことである。この件については深く関わらないことに決めている。
「何かあったらまた言って。ユカちゃんのためなら何でもしちゃう」
「頼りにしてる。ヘクセンハウザーもありがと。でも彼氏にあげようと思ったけど連絡取れなくなっちゃったのよね」
「彼氏さん?」
「そうなの。うっちーもそうだけど急に連絡取れなくなるの、本当にやめてよね、驚いちゃう。事故に会ったって聞いたけど本当に大丈夫? いなくならないでね?」
「ユカちゃんありがとう、もうすっかり大丈夫。彼氏さんて」
そこで予想外に内倉の爪先が踏まれた。
隣に座るホストによって。その内容は、つまりこれ以上聞いてはいけないということだろう。
「あそだ、この子今日体験で入ったケイ。仲良くしてあげてね」
「よろしくおねがいします」
「初々しいわねぇ。でももうちょっとスーツ考えたほうがよくない?」
「すいません、貸してもらったのですが」
内倉はケイヤを見てると身長ってものが何かわからなくなってくる。身長は内倉より高いはずだが低いようにしか見えない。
ケイヤがユカの息子の話をスルーしたのにそこで話を止めたということは、ヤバいのはユカの彼氏のほうなのだ。茉莉花が持っていた写真は息子の写真で、茉莉花はストーカーで逮捕された。
内倉がぼんやり考えてるとユカから声がかかる。
「うっちー今日はアフター駄目? でも病み上がりかぁ」
「ええっと、大丈夫、かな。俺もユカちゃんと一緒にいたいし」
足は踏まれない。ユカちゃんちに行くのは問題ないようだ。
内倉には何が大丈夫なのか判断がつかなかった。
「本当? やっぱうっちーいいわぁ。でもやっぱり今日は辞めとくね、ちょっと顔色が悪そうだもの」
「ごめんねぇ。ユカちゃん優しい、ありがと」
◇◇◇
「大丈夫でしょう」
「本当? よかった。本当にありがとう」
「いえ。では失礼します」
ケイヤとは辻切中央の駅でわかれた。
結局のところ、内倉はユカの彼氏に言及しなければ問題はなさそうだと判断した。
内倉は推測する。ヤバかった、というか死体に関連したのはユカの彼氏だとする。ユカの彼氏がユカの家に来ているなら、ユカの家の臭いがしていてもおかしくはない。だから内倉と共通の匂いがしてもおかしくはない。
そして内倉は重要な見落としに気がつく。
内倉に茉莉花の写真は拡大して送ったが、一緒に写っていた息子の顔は含まれていなかったことを。
思わず頭を抱えた。普通は顔や見た目で人物を同定するのに、ケイヤは匂いで同定する。とすれば、そもそも最初に相談した時から対象が噛み合っていなかったのだ。
酷い無駄骨を折った気になった。
結局内倉にとっては、何が何だかよくわからない間に稼ぎ時のバレンタインが終了した。
いつもならプレゼントで儲かるはずだったけれど、開けてみれば退院祝いでトントンになり、ユカからもらったクルネラで例年よりプラスになった。
けれども一番の儲けはケイヤに恩を売られたことだと思う。繋がりというものはプラスでもマイナスでも存在していること自体が重要だ。
これで何かあった時にケイヤに連絡がしやすくなったわけだから。内倉はそう自分を納得させ、いつも渡る危険な橋の少し延長線上を乗り切れたことに旨をなでおろした。
おしまい。




