9.謎の男と謎な男
西野木は内倉の情報源の1つである神津の探偵で、よく情報交換している。
だからといって内倉を助ける理由がわからなかった。内倉の考えでは対価というのは都度支払うべきなのだ。内倉はこの恩は西野木に返すべきなのかと頭を捻る。ケイヤが困るところの想像がつかない。
「それよりも内倉さんは身を隠すところはありますか。あるいは押し付けられるところは」
「うん?」
「素性がバレるのはよくありませんから、しばらく仕事はお休みしたほうがいいでしょう。けれども監視がいつまで続くかわかりません。解決までずっとこのままの可能性もあります。誰かの指示で動いていているという形でどこかに押し付けられれば、それが一番でしょう」
「誰かの指示で? ケイヤはどうするの?」
「私は逃げ切れますから普通に働きます。このまま振り切ればバレません」
ケイヤを上から下まで眺める。ホストの欠片もない野暮ったい格好だ。ケイヤが一体どこまで予想していたのかと内倉は途方に暮れ、やはり分かる範囲で全て聞いておくべきだったかとも思ったが、ケイヤの認識する『わかる範囲』となると未来を述べよと言うにも等しく、やはり途方もない可能性量で、聞いても無理だっただろうと思い直した。
「押し付けられる宛かぁ」
「もともとは同伴者を探したかったのですか?」
「ええと、まあ、最終的にはそうなのかな」
「同伴者がどう関与しているのかはわかりませんが、埋められた女の臭いがしたということはやはり関与が全くないということはないのではないでしょうか。そちらに押し付けられませんか」
内倉は茉莉花の情報をユカに売って今回は終了しようと思っていたが、それでは尾行が巻けない可能性が発生した。そもそも内倉の働くアルマニアータは辻切にあり、そのケツ持ちは神津が根城の絆赤会とはゆるやかに敵対しているはずだ。アパートにいた外人連中と絆赤会は敵対しているのだろうから、絆赤会の影響の薄い辻切に戻れば大丈夫ではないかと考えた。
けれども外人の狙いがわからない。得体のしれない組織に身バレはしたくない。内倉の頭の中で収支が圧倒的にマイナスに振り切れた。
関係のありそうなユカの息子に押し付けるにも説明のしようがなく、事態は悪化しそうだ。
ユカに押し付けるとしても内倉は茉莉花を調べろと言われてアパートに辿り着いたわけで、一体どう関係させるというのだ。同じく説明のしようがない。いや、ユカの息子の素性を調べていた体にする。いや、そもそも茉莉花がこの件に関係していれば全て押し付けられるのか?
「あの場所で茉莉花の臭いはした?」
「感じませんでした。そもそも同伴者と茉莉花が会ったのはデッレ・キナーティです。同伴者があのアパートを訪れたのはそれ以前です」
そうすると茉莉花も無関係だから押し付けるのは無理だろう。そうすると正直にユカに依頼されたと言うしかないのか。ユカは太客だ。手放したくはない。
「気は進まないなぁ。でも人殺す相手なんだよね」
「はい。よくない臭いがたくさんしました」
「うゎぁ『よくない臭い』と来ましたか」
内倉は得体の知れないケイヤが言う分、余計に酷くおどろおどろしく感じた。つまりもう、この件は手詰まりなのだと悟った。損切をするしかない。ユカに知らせて知らんぷりを決め込むしか無いだろう。内倉は軽いため息をついた。
「わかった。この後に依頼者に直行する。そうすると追ってきてる奴らの興味はそっちに向くよね? 俺は誰かに聞かれたら依頼されただけで事情はわからないって言うことにする」
「そうですか。では私は交渉を試みます」
「交渉?」
「あの外国人と」
「ちょ、ちょっとまって、意味がわからない」
「私もどうせなら後腐れがないほうがいいのです。これから内倉さんは一昨日の夜泊まった家にいくのでしょう?」
「まあ、そうだけど。ついてくるなら依頼者の所に直行するだけじゃだめなの?」
ケイヤは小さく頷いた。
「その相手との関係を絶って下さい。少なくとも、以降家にはいかないこと。いいですね」
「えっと何で」
「内倉さんは先程そう判断したのでしょう?」
「それはまあそうなんだけどさ」
「こちらはあくまで何も知らないフリで通して交渉します。なるべく隠そうとは思いますが、バレた時に内倉さんが疑いの生ずる場所への出入りを継続していると、話の信憑性が全て失われます。仮想敵から敵になり、私も内倉さんも殺される可能性があります」
「……断言されちゃった」
殺されるといいつつケイヤの表情が全く変わらないことに内倉は更に動転した。内倉としても金の絡みもなく殺されるリスクは犯せなかった。大金儲かるなら一瞬は天秤に乗せるところだが。
「あのアパートの7人は皆殺しです。関係者を皆殺しにするつもりなら少なくとも内倉さんは殺されます。私も神津に住んでいるので妙なタイミングで素性がバレる恐れは回避したいのです」
「よくわからないけど、俺が押し付け先に行くより前にワンチャン交渉したほうが分がいいってこと?」
「はい。内倉さんに心当たりが無いのが確かなら」
内倉に心当たりは全くなかった。けれども内倉はケイヤが何を交渉しようとしているのか、さっぱり思い当たらなかった。こちらは相手の素性がわからない。交渉材料がなにもない。
けれども外人が皆殺しにするつもりなら俺は既に関係者に該当し、ユカにたどり着くのを待っているだけの可能性がある。先程ケイヤの言っていた『泳がせている』というやつだ。
それなら先に接触して無関係だと言いはったほうがまし、なのだろうかと思いはするものの、『知りません』と言いに行くのは『知っています』と言いに行くのと同義ではないかという考えが内倉の頭をよぎる。けれどもやはり、自身には現状がさっぱりわからないし情報の収集方法がない以上、自身と比べるべくもないほど膨大なケイヤに任せるのが得策のようにしか思われなかった。
「わかった。ではお願いします」
「わかりました。では私はナカジマケイタということにします。内倉さんはどうしましょうか。ウチダユウタでいいですか。ユウさんと呼びますから私のことはケイと呼んで下さい。あと、話しかけるまでは極力黙っていて下さい」
「はぁ?」
偽名? 偽名、だよね。ギャグじゃないよね。内倉は内心でそう唱えた。
それからケイヤはメモを書いたナプキンを水に突っ込んで立ち上がり、伝票を持ってレジで払ってそのまま入り口脇のテーブルに座り直した。そこでは1人の男が座って携帯をいじっていた。
「おっさん、後ろつけてくるのやめてくんないかなぁ?」
「誰だお前」
「おっさんら、今日の昼過ぎからずっと俺らつけてるよねぇ? 気持ち悪ぃんだよ」
「何の話だ」
「ねえ、なんとか言えよ」
内倉の混乱は極まっていた。
男は不審げにこちらを眺める。三十代後半、普通のサラリーマンにしか見えない。日本人。外国人ではない。
お前誰? という意見はご尤もだと思ったが、内倉にとっても、このひと誰、の状態だった。内倉の疑問はその男と、それから目の前のケイヤと思われる人物にも向けられていた。目の前のパーカーの出す声は一オクターブをゆうに越えて高く、その物言いは頭が悪そうだった。目の前のパーカーはこれまでのケイヤとの同一性を完全に失っていた。
「警察呼ぶぞ」
「いいなら俺が呼んじゃうけど? 変な人達に追いかけられてるって」
「待て」
「いたっ。何すんだよ、やめろよ」
ケイヤ、いや、ケイタがマフポケットから携帯を取り出したところを男はそれをはたき落とし、ケイタの悲鳴で人の少ない喫茶店内の注目が集まった。
内倉としては一層何がなんだかわからない。だから突っ立っているしかない。
「酷い。謝って」
「……」
「謝れってば! 俺の携帯壊れたらどうするんだよ、弁償してくれんのかよ」
「弁償ならする」
「そう? じゃぁ仲直りでいいや。座っていい?」
「……」
「ユウも座って。ほら早く」
「ハイ」
「あ、お姉さんアイスコーヒー追加で2つ」
店員がアイスコーヒーを2つ運んできてケイタに『大丈夫?』と小さく尋ね、ケイタはニコッと笑って『大丈夫、ありがと』と返事していた。
ケイヤはさっきより更に猫背になり、高校生くらいにしか見えない。内倉はケイヤが本当にスパイか何かなのではないかと真剣に疑い始めた。




