7.追うものの影
「困ったな」
マッサージが終わって大通り沿いに神津駅に向かい、目についたレトロな喫茶店に入る。
店員がコーヒーを2つ机の上に並べて去った後、ケイヤが口を開いた。夕方の喫茶店は妙に寂れて客は少なく、誰かが入ってもすぐ目に入る奥まった席に陣取っている。
「困った?」
「まだつけられています」
「まじで? あのアパートの辺の人?」
「あの辺にいた人」
「えっと、かなりヤバい?」
「ヤバいかどうかはわかりません。とっさに間違えて迷い込んだふりをしてみましたが、駄目そうです。今も2人います。マッサージ店を出る時に姿を確認しました。男女でやはり2人とも外国人だと思います」
チャンは内倉たちの後に来たのは北欧系の女と言った。断ったらショップカードだけ持ってすぐに帰ったそうだ。北欧系の女。内倉は店を出た時に外国人の男は見た。100メートルくらい先にスーツを着た男が自販機でタバコを買っていた。けれども女は見ていない。
「そもそもなんで追いかけてるのが外人ってわかるの?」
「外国人の匂いです。それに死んでいるのも外国人だからです。身内なのでしょうか」
「ちょっとまって、なんで死んでるのが外人ってわかるのさ」
ケイヤが言うことは大抵よくわからないが、ここまで超能力じみていると内倉にも疑問が湧く。
ケイヤが言ってることは全部本当か。でもケイヤが自分を担ぐ理由はない。仮に担いでいるとしたらいつからだ。昨日の朝にケイヤに茉莉花のことが聞きたいと写真付きでLIMEした。その時すでに茉莉花とグルか何かだった可能性。
けれども茉莉花に自身が騙されるとはとても思えない。そこも含めて演技、にしては茉莉花はユカの息子の情報を漏らしすぎだろう。
それではケイヤはユカの息子と繋がっている? けれども昨朝ケイヤに送った写真は茉莉花だけカットして、茉莉花について知らないかと送っただけだ。息子は映っていない。写真に匂いはない。
わからない。
そもそも息子に関連しているなら知らないと言えばそれで済むはずだ。
「内倉さんも香水つけてますよね」
「え、うん。少しだけ」
「どうしてつけていますか」
「うん? いい匂いがしたほうがいいでしょう?」
「そうですね。日本人は香水は体臭を隠して、その代わりにつけるものと思っています。けれども外国人は体臭を嗅がせるために使います」
「嗅がせる?」
「体臭と混ぜた時により香りが魅力的になるように調合します。特に欧米系の外国人はもともと体臭が強い。体臭の薄い日本人とは香水の使い方がそもそも異なります。そして探していた人や追いかけてくる人はちゃんと香水の香りと体臭が混ざっていました。だからこの人達の臭いは特徴的で、1日置いたくらいで他と区別がつかなくなることはない」
内倉は昼に『この人のは消えない』と言っていたのはそういう意味なのかと考えを改める。
もともとはユゲントンと血の香りをまとう死んだと思しき女の臭いが付着したユカの息子を追っていた。デッレ・キナーティで茉莉花が息子と会った時、その女はいなかったはずだ。死んでいて。
それでケイヤはその男の匂いを辿ってまっすぐにあのアパートに向かったわけだから息子はあのアパート近辺にいたはずだ。その時に女はすでに埋まっていたんだろうか。
Eooeleは外国企業だが、そんなヤバイ会社とも思えない。でかい企業には多かれ少なかれヤバイ面はあるだろうけど、ヤバイ仕事はたいてい外注だろうし、社員が直接どうこうすることもない気はする。
内倉には全容が全くわからなかった。けれども潮時だと感じる。内倉は自分でこのストーキングに気づけない。仮にケイヤが自身を騙しているとしても自身はその匂いからケイヤをごまかせない。危険性が測れないのならばこれ以上は深煎りできない。
茉莉花の情報をユカに売っておしまいだ。
「ケイヤ、ごめん、ありがとう。俺はこの件から手を引く」
「いえ、もうそういう段階ではありません」
「どういうこと?」
「この人達は内倉さんを尾け続ける可能性があります」
「え、そこまで?」
「私は尾けられているかどうかがわかりますから逃げ切る自信はありますが、内倉さんはわからなかったのでしょう? それに追われるとしたら内倉さんです」
「え、うん、え、と、そもそもなんで尾けられているの? あそこに行ったっていうだけで?」
「内倉さんの格好のせいです」
内倉の格好はいつものスーツにロングコート。
そこで内倉は気がついた。あの場所には酷く不釣り合いだ。
これで怪しまれたとすれば不本意だ。内倉は『ユカの息子であるEooele社員』を追っていたわけで、むしろTPOをわきまえていた。まさかあんな寂れた地区に行くとは想像すらしていなかった。
「それにしたって人が迷い込むことぐらいあるでしょう?」
「私も少し勘違いをしていました」
「勘違い?」
「痴情のもつれか何かだと思っていたのですが違う可能性があります」
「痴情のもつれで刺したってこと?」
「そう。ユゲントンの人間はおそらく腹部を複数回刺突されています。普通の人が人を殺そうとする時に一般的なパターンです。そしてこの方法は返り血がたくさん付着します。プロであれば違う方法を試みるでしょう」
「ちょっとまって、何で死因までわかるの」
「火薬や酸化臭はしませんでしたから銃器ではありません。次に血と胃液とヴァジャミーナの香辛料の匂いが混ざった匂いがしました。血は循環器で胃は消化器です。別々ではなく臭いが混ざっているということはつまり2つが接触したということです。恐らく刺創です。けれども心臓や肝臓のある部分ではなく胃腸部分に対する1回の刺突では即座に致命傷となるとは考えがたい。それであれば複数回の刺突。これは怨恨等の一般的な殺人ではよくみられるパターンと思われます」
「ちょっとまって、最初に臭いを嗅いだ時点でそこまでわかってたの?」
内倉は教えてくれてもよいのではないかと心のなかで叫ぶ。けれども自身が教えてくれと言わなかったことに気がつく。ケイヤは不確定な事象は尋ねなければ教えてはくれない。それに、よく考えれば解説はなかったが、様々な断片的な情報から推測は不可能ではなかったのかと思い直し、困惑する。
そしてこの状況が見えた上で、ケイヤが自身が困ってるかと聞かれたことに気がつく。こんな状況に巻き込まれていれば通常は困っている。それに内倉はたまに女に刺されてる。
内倉はむしろ、ケイヤが自身を心配してくれてたらしいことに驚いた。




