5.混ざり合う香り
「あのね、ホスト仲間に聞いてみたんだ。息子さんにつきまとってる女は神津区のホステスなのかもしれない」
「ホステス? やっぱり飲み屋の女なのね」
「息子さん、Eooleでお勤めでしょう? 接待とかの可能性もあるんじゃないかなぁ。お仕事で仕方なく?」
「接待? そんな話は聞かないけど」
「うーん、キャバに行くとかはさすがにユカちゃんにも話さないと思うなあ。それ以上は調べるのがちょっと大変なの。夜に神津にいくとなるとお仕事お休みしないといけないし、どうしよう」
「仕方ないわねぇ。いくらいるの?」
「わぁ。ユカちゃん大好き。ユカちゃんのためなら何でもする」
内倉は翌朝1番にユカに連絡をとった。
色々考えた結果だ。
ユカの息子は胡散臭い。内倉が手に入れた写真はユカが送った1枚だけだ。その写真からは息子は純朴には見えないものの、どちらかといえば真面目そうに見受けられた。ヤバい組織や猟奇殺人鬼に関わっているとは思えない。
内倉は息子が死体と無関係な可能性が一番高いと考えた。
例えばヤバい現場の近くをたまたま通りかかり、匂いが付着した可能性。この場合、金を稼ぐには、茉莉花の情報をユカに売るか、茉莉花を煽って息子とくっつけて金を引っ張ることが考えられる。
2つ目の可能性は息子が連続殺人鬼の可能性。息子が複数の死体を作っている。この場合は内倉自身に危険性が及ぶ可能性が高い。茉莉花の情報だけユカに売り、後は知らないことにする。それが安全だ。
神津は実は治安が悪い。一般的ないわゆる事件発生率や交通事故発生率といった治安を考えればそれは良好だが、突発的に変な奴らが湧いて出る。しばらく前も連続絞殺魔が現れて、今は止まっているから報道されたりはしないけれども、逮捕されたとも聞かない。血の匂いがするなら絞殺魔とは別口だろうけれど、流石に殺人鬼とwin-winの関係になれるとはあまり思えない。
3つ目は関係者として同席している可能性。例えばこの件にヤクザかなにかが絡んでいて、何かのヤバい取引が行われている可能性。けれども一方で、息子は社会的地位もそれなりにある高給取りだ。ヤバい組織に関連しているという線も考え難かった。この場合もユカに茉莉花の情報売って終了する。いい情報があれば息子を脅して直接金を引っ張れるかもしれないが、ヤクザ組織と関わりになるのは避けたい。けれども今後ユカとの関係を継続するならば、ユカに関連しうる息子の危険性は知っておきたい。
そんな金勘定をしながら、内倉は12時少し前に神津駅に到着して左右を見まわした。ケイヤは見当たらなかった。けれども改札にカードをかざして通り抜けると声がかかる。顔を上げて、困惑した。
「こんにちは」
「あの?」
地味なカーキの着倒した感のあるパーカーに自然に破れた感じのデニムにサンダル。今時コード付きのイヤホンをかけている。頭もボサボサで目元は前髪で隠れ、パーカーを深く被って顔が見えない。
道に迷ったにしては駅前の交番に聞けばいいだろう。
けれどもどこかで聞いた声。
「……あの、ひょっとしてケイヤ?」
「はい」
内倉の目の前にいた人物はいつものケイヤと似ても似つかなかった。
普段は細めのクラシカルなスーツで背筋を伸ばしているのに、猫背気味で見た目、いつもより10センチほど身長が低い。
内倉は自身が人を観察することに長けていると認識していた。けれども同意を得た現在も、声以外は記憶のケイヤと同一性が全くない。
「あなた、何かと戦っているの? 諜報員か何かなの?」
「いいえ。じゃあ行きましょうか」
「あ、えっと、はい、え。どこに?」
「匂いのする場所に。最初はデッレ・キナーティでヴァミジャーナの香りを探します」
そう言ってケイヤはくるりと後ろを向き、北口に歩き出すのを内倉は慌てて追う。内倉にとってこれほど混乱した経験はなかったかもしれない。一瞬、自分が何をしているのかわからなくなった。
けれどもデッレ・キナーティと聞いて茉莉花がユカの息子と会った場所だと思い出す。
「あなた、本当にケイヤなのね」
「そうですよ」
その落ち着いた声だけは、確かにケイヤに思われた。
ざわつく駅のコンコースを通り抜けてたどり着いた神津スカイタワー1階の昼時の高級喫茶、デッレ・キナーティは混み合っていた。キナーティの前は化粧品店のブースが立ち並び、そこからは内倉でも凄いと感じる量の香りが漂っている。ケイヤは平然としていたが、こんな中で特定の人物の匂いなんか辿れるものなのか。
「匂いが強い分には問題ありません。問題は同一性です。でも思ったより薄れていますね」
「そりゃぁこんだけ濃い匂いだもん、大丈夫なの?」
「大丈夫です。静かにして下さい」
内倉がよく見ると、ケイヤはパーカー前面のマフポケットに両手を突っ込んで深いフードの中で目をつぶっている。集中しているのだろう。
「捕まえました」
「えっもう? でもヴァミジャーナに行った後タワーに来る人も大勢いるでしょ」
「でもこの匂いです」
内倉は半信半疑ながら断言するケイヤの後ろについてタワーを出る。ケイヤは2つの方向を交互に眺め、アンジェル・ホートスと反対側の方向に足を運んだ。
匂いの手がかりはジルヴァンティとユゲントン。どちらも有名なブランドだ。付けている人は多いし、その組み合わせで一緒にいる男女もそれなりにいるだろう。ヴァミジャーナも神津ではまあまあ有名なカレー店だ。内倉にはケイヤがこの膨大な中から匂いを嗅ぎ分けられるとしても、この条件で絞れるのだろうかと疑問に思っていた。
けれどもケイヤは足を止めたりはしなかった。明確に何かを辿っている。神津の南東方向に歩くその足取りに迷いはない。ヴァジャミーナは反対方向なのだけど。
「ねぇ、血の臭いって人によって違うものなの?」
「どうでしょう。血の匂い自体はそれほど差がないように思います」
「じゃあどうやって見分けてるの?」
「体臭でしょうか」
「体臭? よくわからないな。それは香水で消えちゃったりしないの?」
「この人のは消えません」
「この人の?」
歩くうちに建物の高さは次第に低く変化していき、15分ほど歩くとその変わりに古いアパートや町工場が少しずつ増増加していく。ざりざりと視界と空気に淀みが混ざり、据えた匂いが漂い始めた。
内倉はこの辺を訪れるのは初めてだった。神津は客との話題に使える繁華街しかうろついたことがない。こんな場所があるのかと思いながら、見知らぬ町並みを迷わずまっすぐ進むケイヤの後ろをついていく。屋根の波板が少し破れた少し大きめの倉庫が何棟か見えてきた。そしてケイヤは突然足を止めた。
左右を見渡すと不自然に人通りがない。先程まではまばらに通行人がいたのに、静かで何も聞こえない。なんだか奇妙だ。地下化されていない電信柱の影がひび割れたアスファルトに伸び、それに沿って見上げた空はどことなく淀んで灰色の雲をぼんやりとにじませる。
どことなく据えた臭いがする。ジルヴァンティとユゲントン。その少し高級そうなイメージの香りとこの場所はかけ離れている。
ひょっとして、ここが目的地?
それで、目の先にあるあの倉庫が死体のある場所?




