2.勘違いに気付く
「松笠栄一と待ち合わせしてた人だよね?」
「はい?」
不審げな顔を上げる女の顔が一瞬で微妙に赤く染まり、智樹は背後からイケメン死ねという呟きを聞いた。
「俺、栄市の友達でさ、急にみんな来れなくなったから連絡してくれって言われてさ」
「な、なんで?」
その表情は予想と違い、鳩が豆鉄砲を喰らったようで、そしてこれぞ不審of不審という形に眉が潜められた。なんだか嫌な予感がした。こういう時は逃げるに限る。
「とりあえず伝えたから。じゃあ」
「ちょ、ちょっと待って、待ってください。どうしてそれを?」
「どうしてって?」
「いや、その」
智樹は女の様子が妙なことに気がついた。
友達と出かけると言う風態ではない。ノーメークに近く、カーキのゴツめのジャケットにカゴパンはまだよいとしても、背中のリュックから50センチほどの柄が飛び出している。所謂『汚れてもいい格好』で『これから野良仕事にでも行く格好』に見えた。
そしてさらに嫌なものが目に入る。体にまとわりつく水子霊。ゴクリと喉が鳴る。しかも1体じゃない。都合十体を超える。某漫画の産子使いのようだ。どうみてもろくでもない。
そして可愛いだろうと呟く栄市に、智樹は無視すればよかったと改めて溜息をついた。
「何? 俺、忙しいんだけど?」
「松笠さんはどうしたんですか」
「どう……? 俺は伝言頼まれただけだし」
「……私を脅すつもりでしょう?」
智樹の頭の中でヤバさアラートが大警鐘を鳴らす。酷い勘違いをしていることを自覚する。
今の話の流れに『脅す』要素などない。けれどもこの女には脅される自覚がある。つまり脅されてしかるべきな行為をしたということだ。
それは栄市の呑気な様子から真っ先に智樹が可能性から外したもの、殺人。智樹の脳裏に栄市がこの女に殺された可能性が浮上する。
「待って、俺は金輪際あんたと会わない」
「あなた雑誌で見たことある」
智樹は美容師でたまにタウン誌にのる。だから割に顔は知れている。そして腹立たしいことに栄市は智樹の頭の中の可能性に全く思い至っていなかった。
「もてもてじゃん、智樹ずるい」
智樹的にはここで逃げて、営業時間中に店になだれ込まれるのが最もまずい。智樹は已む無く近くの茶屋のオープンテラスに腰掛ける。幸いにも参道は賑わい、2人の会話に耳を傾ける者はいない。智樹は緊張を伴い、口を開く。
「それで?」
「それでって」
「俺はあんたが誰だか知らない。俺はたまたま栄市と友達で、栄市から連絡しろって言われたから伝えただけ。あとは知らない」
「ありえない。何で私ってわかるの」
「容姿を聞いた……髪型とか」
「普段こんな格好してないし」
智樹は無茶な言い分だと自覚する。髪型は特徴のないボブだし服も人に合う用じゃない。普段この格好で会社に行くなら土木作業員でもなければどん引く。
頼んだコーヒーが次第に冷めていくのを眺めながら、何度目かの沈黙をスルーする。智樹の掌の内側は湿り、外見には出さないものの、この膠着状態に胃をキリキリとさせていた。
「俺、帰りたいんだけど」
「駄目」
「要件は何さ」
「……」
「あんた何かしたの?」
「「えっ」」
「挙動不審すぎるんだよ」
「「そうかな」」
智樹には安易に立ち去れない理由があった。
先程栄市の部屋に侵入したからだ。殺人となれば自宅を調べられる可能性がある。事故か病気と決めつけていたから安易に入ったが、窓枠とキーボードの1番上に大量の智樹の指紋がついているし、ハードディスクが初期化されている。
智樹が少なくとも重要参考人として疑われても仕方がない状況だ。
「面倒ごとは困るんだよ。本当に。雑誌に載ってるからさ。何事もないのが1番なの。だからもうお互い関係なしってことでいいじゃん」
「じゃあ1つだけ、松笠さんからの連絡はいつどうやって受け取ったの?」
「どうでもいいじゃん、そんなの」
女がはぐらかすのと同様、智樹も誤魔化している。智樹の背に嫌な汗が伝う。
智樹は先程から女の身になって考えていた。
女が栄市を殺したのは昨日だ。以降、栄市は誰とも連絡を取れるはずがない。なぜなら殺されたから。
栄市から昨日予め聞いていたという筋書きは成り立たない。1日も前なら栄市が直接連絡をすればいい。智樹がわざわざ出向く意味がない。
そうすると『栄市が来れない事』、つまり智樹はお前が栄市を殺したことを知っているぞと告げに来たにも等しいわけだ。
確かにこれは脅しだと智樹は思い直す。
来てしまった以上、女の立場ではこれで終わるとは思えない。何もないならそもそも来なければいい。殺人犯のところになど。だから女は智樹の要求か目的を聞くまでタモ機を解放しないだろう、
これが智樹が導き出した結論で、再び大きくな溜息が響いた。言い繕う言葉は出てこなかった。
それで智樹は考えるのを諦めた。元来さほど頭が良くはないという自覚もある。




