1.霊の心残り
時刻は丁度夕暮れ、誰彼時で霊の類が活発になる時間帯。そして智樹が虚空に話しかけても不自然ではないように酒を飲み始める時間帯。その結果、智樹は酒乱なのだが致し方ない。
満開の桜並木の下をくぐり、智樹は今日も行きつけのバーのカウンターでダラダラと酒を飲み始めた。
「智樹に頼みたいことがあったんだよ」
「ふうん」
「智樹じゃないとできないことなんだよな。なんだっけかな」
その言葉で幽霊が誰なのか、智樹にはおおよそ推測がついた。中高の同級生の松笠栄市だ。
栄市は労さず儲けようとするタイプで、こすっからいというか小狡いというか、他人を動かして儲けようとするのだ。けれどもその言う事は大抵大雑把で現実離れしている結果、誰も労力を払わないから妙に憎まれない。
智樹には家康の幽霊に徳川埋蔵金の場所を聞いて儲けようぜなどとわけのわからないことをよく言っていた。その時にいつも口癖のように『智樹にしかできないことなんだよ』と主張する。
「霊ってのは記憶力と頭が悪いんだよ、400年も前のこと覚えてられるか馬鹿。それに財宝の在り処を教えろと聞いたって、生きてる人間でも教えてくれるわけ無いだろ」
そんな風に返すのが智樹と栄市の日常だった。そんな風に思い出していると、妙にしんみりした気分になってきたらしい。
「お前栄ちゃんだろ? 何で死んだんだ」
「栄ちゃん? そうそう、そうだった。思い出した、栄市だ、俺」
「な、霊ってのは記憶力が悪いんだよ」
栄市の霊はわずかに人の姿を取り戻す。
自分の姿を思い出したのだろう。珍しい現象だ。普通、霊が失った情報を再度獲得することはない。
霊というものは情報媒体だ。生前に脳が体に蓄積した情報が死んで宙に浮く。ただでさえポロポロと胡散霧消するところを強い意志やら思いやらで何とかまとまったものが霊だ。それゆえ既に取りこぼしたものを再取得することは少ない。だから余程の思いがあるのだろう、そう推測しながら智樹はグラスを傾けた。
栄市を成仏させるには現世に引っ掛かるそのこだわりを解かないといけない。問題はそれが何か。今のところ見当もつかない。
結局、中途半端に優しい智樹は無視することを諦めた。
「仕方ないなぁ。何があったの? そんで何がしたいの」
「なんだったかなぁ。智樹わかんない?」
「知んないよそんなの。隠し財産でも俺にくれるの?」
「ないない、そんなもん俺が欲しいって。そういえば何か隠した気がする」
「HDのエロデータ消してほしいとか?」
以前に別の友人が事故で死んだ時、その霊に頼まれたことがある。あの時もお前にしか頼めないと言われたことを思い出す。
このままでは死んでも死に切れないと言うのでアパートのキーボックスに隠してた鍵で入ってPCのパスワード聞いて削除した。代金に帆船模型もってけむしろ捨てられるのが忍びないというので高いという奴をいくつか運び出して売ったら二束三文になった。
「それとは違う気がするけどそれもお願い」
「忘れてたならもういいじゃん」
「でも思い出しちゃったし、お前のせいだぞ。このままあ死んでも死にきれない」
「栄ちゃんもう死んでんじゃん。仕方ないなぁ」
幸いにも翌日は休日だ。
こっちな気がする、という栄市の言葉に導かれて早朝の町を彷徨う。歩みがふらつくのは毎度の飲み過ぎの後遺症ではなく栄市の記憶が曖昧だからだと智樹は頭痛に苛まれながら呻き、1軒のアパートにたどり着く。
よくある古い木造2階建の1階。
「鍵は?」
「俺が持ってる」
「入れないじゃないか」
「裏の窓が開いてる、多分」
「不用心だ」
人がいないのを確かめ急いで窓を乗り越える。室内は散らかっていた。開けっぱで大丈夫かと思ったが、金目のものはなさそうだ。PCにログインするとメール画面が開いていた。妙な広告ばかりだが、昨朝のメールに既読がついていたから栄市が死んだのは昨日の昼から夕方くらいなんだろう。
いっその事という指示通りにHDを初期化するとプツリと手がかりは途切れた。
「悩みでもあったの? そうか病気してたとか」
「そんな記憶ないんだけどなぁ」
「じゃあやっぱ死因は自殺じゃなくて事故か心臓麻痺かな」
「やな事言うなよ。でも俺は自殺しないと思うぞ、多分」
「同意、お前図太いもんな」
栄市は多少鬱陶しいが誰かの恨みを買うたタチでもない。殺されたりもしないだろう。なのに現世にとどまっているのは心残りでもあるのだろうか。そう思って智樹は栄市の散らかったベッドに寝転がり、嫌々ながら聞き取りを始めた。
「したい事とか行きたい場所とか何かないの?」
「そういや今日花見に行く予定だった」
「会社?」
「サプライズで告ろうかと」
「嫌な予感しかしない」
あちこちに散らばる栄市の話からなんとか浮かび上がったストーリーは酷かった。
グループで遊びに行くという体でその女、栄市が名前を思い出せないから仮にAとする、そのAを近所の観光スポットの逆城神社に呼び出して、みんなはドタキャンになったと告げる。それでせっかくだから観光しようと誘う。逆城神社は参道沿いに店が立ち並んでいて、梅林が有名な庭園や綺麗な池があったり何はなくとも半日は潰せる。
それで最後に神社奥の大きな桜の木の前で告白する。その桜の前で祈れば願いが叶うらしい。
「桜の下とか何のゲームだよ。酷いの一言に尽きる」
「そうかな」
「……逆城神社に桜なんてあったっけ」
「奥の方にあった」
栄市は何かの本で昔ここに隠れ村があると読んだから、財宝でもないか探しに行ったらしい。
けれどもそれなら八方塞がりだ。栄市の引っ掛かりがそのAとやらへの告白なら、もうどうしようもない。なにせ既に栄市は死んでいる。
「諦めろ」
「嫌だ。気になる」
「鬱陶しい」
「それに放っといたら俺の嘘がバレるじゃん」
「嘘?」
「その子が一緒に行く予定のやつに電話したら嘘ついてたのがバレる」
「屑だな」
智樹は栄市の物理的にぼんやりした姿を眺めながら、栄市が引っ掛かってるのは告白でもなんでもなく嘘バレかと検討をつける。小さな嘘など死んだ以上どうでもいいはずだが、こだわりは人それぞれだ。
だから智樹は嫌々ながら、栄市の代わりにそのAに声をかけることにした。
「その女と話してもいいけどな、今後俺に付き纏わないことを条件だ」
「なんだよ友達がいがないな」
「お前はもう死んでいる」
智樹にとって幽霊というものは既に過ぎ去った過去なのだ。




